最終話 初夜のやり直し
翌日の早朝。
義母とマーサ様、そして使用人全員がドロール公爵家から追い出された。
使用人の中には、ブルストル領地に行くくらいなら次の仕事のレベルが下がってもいい! という決死の覚悟で出て行った者もいるらしい。
「この家から出て行けばそれでいい。そのあとどこに行こうかは俺には関係ない」
ルイ様はそう言って気にも留めていなかったけれど、義母とマーサ様は散々文句を言って昨夜は色々と大変だったそうだ。
実家が複雑だと聞いていたグレンダはマーサ様について行くことに決めたのか、不機嫌そうな顔で外に立っている。
顔を出すなと言われた私はお屋敷の窓からその様子を眺めていた。
「……本当にみんな出て行ったのね」
「半日しか猶予をあげないなんて、本当に団長は鬼ですよね〜」
私の隣で一緒に外を眺めているコリン卿が、やけに楽しそうに言った。
新しい使用人を雇っても心配らしく、ルイ様が私の専属護衛騎士としてコリン卿を指名したのだ。
「あの、ごめんなさい。コリン卿。私のせいで……」
「大丈夫ですよ! どっちにしろ俺は街の警備隊に異動願いを出してたんです。騎士団で大きな戦いに挑むより、身近な人達を守るほうが自分には合ってる気がして。なので俺にとっても今回の指令は喜ばしいことなんです」
「……そう言ってもらえると嬉しいわ。ありがとう」
「いえいえ。これからは安心して過ごしてくださいね」
ニコッと明るく笑うコリン卿を見ていると、私まで元気になれる気がする。
「とりあえず、以前この家で執事長をしていた方が特別に戻ってくれることになったんです。引退して今はのんびり暮らしていたそうですが、全員解雇の話を聞いてすぐに名乗り出てくれました」
「それは良かったわ」
「はい。団長も喜んでいました。あと料理人と使用人は数人確保できたので足りない分は少しずつ補充していくという形で……」
「急だったのにすごいわね」
「そりゃあ団長の名前を出せば……ね。働きたいと言う人は多いですよ」
これがドロール公爵家の名前の強さか、と感心してしまう。
使用人全員を追い出すと聞いた時には不安になったけれど、何も問題はなかったようだ。
「今日はとりあえず夫婦の部屋を準備するので終わってしまいそうです。ベッドや家具やら全部新調するって。あ。あとでリリー様にもカーテンや壁紙など色々選んでいただきますので、よろしくお願いしますね」
「…………ん!?」
夫婦の部屋の準備……ですって!?
*
「夕食を残していたみたいだが、どこか体調でも悪いのか?」
「…………」
お風呂上がりの濡れた髪を拭きながら、ルイ様が尋ねてきた。
私は今日用意されたばかりの可愛らしいソファに座りながら、横目でその姿を確認している。
違います! 夫婦同室ってわかってから緊張しちゃって、食事が喉を通らなかっただけなんです!
そう心の中で叫ぶけれど、とても口には出せない。
挙動不審な私の様子を見たルイ様は、私の隣に座り顔を覗き込んできた。
「どうした? 大丈夫か?」
「……だ、だい、大丈夫……です」
「本当に? 熱でもあるんじゃないのか?」
目を泳がせている私の額にルイ様の手が伸びてくる。
その大きな手を見て、反射的にビクッと肩を震わせてしまった。ルイ様の手がピタリと止まる。
あっ、いけない!
これじゃルイ様を避けてるみたいだわ!
一瞬悲しそうな顔をした彼を見て、押し寄せる罪悪感を拭うように慌てて訂正する。
「あの、違うんです! ごめんなさい。ルイ様に触られるのが嫌なわけじゃ……」
「……熱は?」
「ないです! 体調も悪くなくて、その……すごく緊張しちゃってるだけで……」
「緊張? 何がだ?」
本気でわかっていないのか、ルイ様は眉をくねらせて問いかけてきた。
どう答えていいのか迷っているうちに自然と私の目はベッドをチラ見していたらしい。
ハッとしたルイ様が急に慌て出した。
「あっ、え!? ああ、そういう……って、いや!! そういう意味でこの部屋を用意したんじゃないぞ!?」
「……え?」
「夫婦としてやり直すために、これからは同じ部屋で寝るようにしたいって思っただけなんだ。俺はあっちの長ソファで寝るつもりだったし!」
「…………」
「でも……そうか、ごめん。小動物になっていた時に同じ部屋で寝ていたから、それと同じような感覚でいた。リリーにとっては同じじゃないよな……」
ルイ様は頬を赤く染めて、照れているような困っているような顔で私から目をそらした。
……なんだ。そういうことだったのね。
やだ。勝手に勘違いして恥ずかしいわ!
気まずくて自分の両頬を手で隠すが、同じくらい照れた様子のルイ様を見ると意識しているのは自分だけじゃないって安心する。
「……勘違いしてすみません。てっきり初夜のやり直しをするのかと思って」
「初夜? ……あ」
何かを思い出したかのようにルイ様の顔が曇る。
私達には初夜どころかお互いの部屋に入ったこともないような関係だ。
結婚したばかりの私はそんな関係になるとも知らず、ドキドキしながら初夜を1人で過ごしていたのだ。
私の少しだけ苦い思い出──ルイ様はそれを一瞬で悟ったらしい。
「……ごめん。俺は本当にダメな夫だった」
「い、いえ! あの、責めているわけではなくて……!」
「わかってる。ただ、自分自身が許せないだけだ」
そう言うなり、ルイ様は私の背中に手を回しギュッと抱きしめてきた。
手のひらに乗っていた小さくモフモフなルイ様ではない。たくましく男らしいその胸板に顔をうずめると、一気に抱きしめられている実感がして体中が熱くなった。
「…………」
「…………」
ど、ど、ど、どうしましょう!!
鼓動が速すぎて胸が苦しいわ!
こんなに激しく心臓が動いていて大丈夫なのかしら!?
あまりにも速く大きい自分の心臓の音に不安になりながらもその胸に寄り添っていると、ルイ様がゆっくりと体を離した。
真剣な表情をした彼と至近距離で目が合う。
「……もしリリーが許してくれるなら、初夜のやり直しをさせてほしい」
「えっ……」
そ、それって……!
ドッドッドッ……とどんどん激しくなる心臓の音。
緊張と恥ずかしさで倒れてしまいそうだ。……でも、不思議と嫌じゃない。きっとそれ以上に彼に対する愛しさが上回っているからだ。
「……はい……」
消えてしまいそうなほど小さい声でそう返事をすると、「ありがとう、リリー」と言ったルイ様が私を抱き上げてベッドに運んだ。
嬉しさやら少しの不安やら色々な感情が溢れてきて頭がうまく働かない。
私をベッドに優しく下ろしたあと、すぐ近くにルイ様も座った。
いつもと違う艶っぽい瞳で見つめられて、今にも心臓が止まりそうだ。でもその目をそらすことができない。
「リリー。愛してる」
「私も……」
最後まで言い終わらないうちに唇を塞がれる。
二度目のキスは一度目よりも甘く長く、呼吸困難になりそうになった。
「ルイ様……」
「リリー……」
一度離された唇が再度近づいてきた時──
ボンッ!!
大きな破裂音のようなものと共に、ルイ様の姿が消えた。
「……えっ? ルイ様!?」
「リリー!」
「!」
名前を呼ばれて下を向くと、さっきまでルイ様が座っていたベッドの上に白銀色の毛をした小動物がいることに気づいた。
間違いなく呪いで姿を変えられていた時のルイ様だ。
「ルイ様!? そのお姿は!?」
「わからない。なんで……こんな……」
「あっはははは!」
その時、部屋の中に魔女の笑い声が響いた。
気がつけば辺りが真っ白な空間のように変わっている。これは前回魔女が現れた時と同じ状態だ。
「魔女!!」
「そうさ。久しぶりだねぇ〜って、昨日会ったばかりか。あははは」
「おい! これはどういうことだ!? 俺の呪いは解けたんじゃなかったのか!?」
小さいルイ様が怒鳴っているというのに、魔女は心底楽しそうに笑っている。
「ああ。解けただろう? ……数十時間だけな」
「何!? 完全に解けたんじゃないのか!?」
「当たり前さ。あれっぽっちの血でアタシが満足するわけないだろう? 全然足りないね」
「なんだと!?」
「元に戻りたかったらもっともっとアタシに血をくれなきゃ。これからもよろしく頼むよ」
「…………」
大きなショックを受けたルイ様は、口を開けたまま呆然と魔女を見上げている。
魔女はそんなルイ様を見てさらに楽しそうに笑った。
なんてこと……。
これからも人間に戻るには誰かの血が必要ってこと?
「あ。言っておくけど、独身で若くていい男。この条件はしっかり守ってもらうよ。じゃあね」
「あっ」
魔女は言いたいことだけ言うと、パッと姿を消した。
「あの……クソ魔女があああ!!」
ルイ様はかなりお怒りらしく、もう姿の見えない魔女に向かって罵声を浴びせていた。ここまで怒っているのは見たことがない。
怒り任せに暴言を吐いているとはいえ、見た目はモフモフの小動物。
正直その怒っている姿がかわいいとすら思えてしまう。
もちろんかわいいなんてルイ様には言えないけどね。
「ルイ様。どうしましょう?」
「はぁ……そうだな。とりあえず明日になったらコリンに話そう。あいつの血なら大丈夫だって実証済みだからな」
「……そうですね」
コリン卿ならこの姿のルイ様と話せるものね。
今後も血が必要だと伝えたならどんな顔をするのか──嫌です! と半泣き状態で叫ぶコリン卿を想像するとさすがに同情してしまった。
それでも現状コリン卿にしか頼れないのだから話すしかないだろう。
「それにしてもまだ完全に呪いが解けていなかったとは。またこの体になるなんて思ってもなかった」
「他の人の前で変わらなくて良かったですね」
「……あのタイミングで戻したのはわざとな気がするけどな」
ルイ様は不快そうに小さくそう吐き捨てるなり、私に向き直った。
「ごめんな、リリー。結局今度も初夜のやり直しができなくて……」
「! いえ! 大丈夫ですよ」
「だが……」
「ルイ様」
落ち込んだ様子のルイ様を手に乗せて、自分の顔に近づける。
昨日もやったことだというのになぜか懐かしく感じた。
「私は気にしていませんから。今夜はこのまま一緒に寝ましょう」
そう言って小さなルイ様の頭にチュッとキスをする。
その瞬間、モフモフだった毛がボワッと逆立ったような気がした。
「リリー……俺はこれほどまでにこの体でいることを悔やんだことはないぞ……」
「ふふっ。明日の朝にはまた戻れるから大丈夫ですよ」
「それじゃ遅いんだ……」
ガックリと脱力した様子のルイ様を微笑ましく思いながら、私は彼の背中を優しく撫でた。
夫婦としての初夜を迎えられなくて残念だし少し寂しくはあるけれど、どこかホッとしている自分もいるのは……ルイ様には内緒だ。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
みなさまの応援のおかげで、連載中はずっとランキングに残ることができました。
読み続けてくださった方、評価やブクマをしてくださった方、本当に本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
このラストシーンは最初からずっと考えていたものなので、とても楽しく書かせていただきました。やっと書けて満足です!
最後まで読んでくださった方に感謝の気持ちを込めて✩︎⡱
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追記
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よければこちらも読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
菜々




