32 義母達との対面
「あの……ルイ様……」
「…………」
マーサ様を無視して廊下に出たあと、ルイ様はどこかを目指してスタスタと歩いている。
声をかけたけれど何も返事がない。
肩に担がれている状態の私はルイ様の後頭部しか見えないため、どんな顔をしているのかわからない。
どうしましょう……。
私の作戦が外れてしまったから怒っているのかしら。
マーサ様にも姿を見せてしまったし、今もルイ様の手を煩わせて……。
自分の情けなさに申し訳なくなるけれど、この状態でどうしていいのかもわからない。
ただおとなしくしていると、ルイ様はある部屋の前で立ち止まった。
結婚してから一度も入ったことのないルイ様の部屋だ。
ここは……。
ルイ様は迷う素振りもなくその部屋の扉を開けた。
見てはいけない部屋に入ってしまったような気持ちで、目を閉じたほうがいいのか考えてしまう。
どうしましょう……!
私、ルイ様の部屋に入ってもいいの!?
そんな私の戸惑いに気づいているのかいないのか、部屋に入るなりルイ様は私を優しく下ろした。
部屋を見るのもルイ様の顔を見るのも躊躇われてうつむいていると、ずっと黙っていた彼がやっと口を開いた。
「なぜあんな場所にいた?」
え……?
怒っているような低くて小さい声。
屋根裏部屋ではなく自分の部屋にいたことを言われているのだろうと思い、頭を下げたまま謝罪をする。
「すみません! まさかあの部屋に行くとは思っていなくて……! 私の考えが甘く──」
「そうじゃない。なぜあんなバルコニーの柵の向こう側にいたんだ、と聞いているんだ」
「えっ?」
意外な質問に、思わず顔を上げてしまった。
バルコニーの柵の向こう側?
ルイ様が私の部屋に入ってきた時、自分がどんな状況だったのかを思い出す。
眉根を寄せて私を見つめるルイ様の顔は怖いけれど、どこか悲しそうにも見えた。
「それは……ダリム様に捕まるくらいなら……と、あの場所に逃げました」
「もし足を滑らせていたら落ちていたんだぞ?」
「……はい。それは覚悟の上でした」
「…………」
私の答えを聞いて、ルイ様は自分のサラサラな前髪をかき上げて大きなため息をついた。
「はぁ……なんとか間に合って良かった。もしリリーがあそこから落ちていたら、俺は人殺しとして捕まるところだった」
「そんな! もし私が落ちても、それはルイ様のせいではないですよ!」
「違う。もしリリーが落ちていたら、その原因を作ったあの男と姉を2階から突き落としていたからだ」
え!?
ギョッとした私の顔を見て、ずっと不機嫌そうだったルイ様がフッと鼻で笑った。
「英雄騎士が子爵家のご子息と実姉をバルコニーから落とした──と新聞の一面に載っていただろう。リリーが無事だったからそんなことにはならずに済んだけどな」
「……冗談ですよね?」
「本気だが? だからリリー、もう二度とあんな危ないことはするな。リリーに何かあったら、きっと俺は相手が誰でも許せない。騎士の称号がなくなるとしても、気にせず暴れてしまうだろう」
「ルイ様……」
あのルイ様にここまで言ってもらえて、嬉しさで泣きそうになる。
感動している私の前で、ルイ様は部屋の中にあった椅子を軽々と持ち上げるとそれをブンッと振り回した。
「あんなことするくらいなら、こうやって男の頭を狙って思いっきり殴れ!」
「……死んでしまいますよ」
「リリーが死ぬよりはいいだろ」
「…………」
真顔でキッパリと言いきるルイ様。
冗談なのか本気なのかわからないけれど、その曇りのない瞳を見る限り本気で言っている気がする。
まったく……優しいのか怖いのかわからないわね。
それでも私のことを思って言ってくれているのは素直に嬉しい。
彼にお礼を伝えようとした時、部屋の外からバタバタとした足音と数人の声が聞こえてきた。
「本当にルイだったの!?」
「ええ。お母様。私見たもの! リリーを抱えて出て行ってしまったの!」
「他に何か話は!?」
「何も……!」
義母とマーサ様の声だ。
足音はもっとたくさん聞こえるので、他にも使用人が一緒なのかもしれない。
行方不明だと聞いていた息子が帰ってきたことで興奮しているのか、義母はノックもせずにルイ様の部屋の扉を開けた。
「ルイ!! ……まあ! 本当に帰ってきたのね!」
ルイ様を見て顔を輝かせる義母と、歓声を上げる数人の使用人達。
一度ルイ様の姿を確認しているマーサ様とグレンダは、私をチラッと冷たい目で一瞥するなり彼のもとに駆け寄っていた。
「ルイ! 心配したのよ。あなた、どこに行っていたの?」
「……○▲%★□」
「え? なんですって?」
ルイ様の言葉を聞き取れなかった義母は、不思議そうに首を傾げて聞き返している。マーサ様も使用人達もみんな顔を顰めていた。
今の言葉は……!
やっぱり呪いにかかっていたことは話せないんだわ!
まずそれを話せるのか試したのだろう。
その説明ができるのならば、自分が義母達の言動をすべて見てきたことを言えるのだから。
でもやっぱり話せなかった……。
お義母様達に姿を見せてしまったから、私をいたぶる決定的瞬間に出てくるという作戦ももう使えないし。
ルイ様はどうするのかしら……?
チラリとルイ様に視線を送ってみると、ものすごく冷めた目で自分の母を見ていた。
変な言語を話したきり黙っているルイ様に痺れを切らしたのか、マーサ様が近くに立っている私を振り返る。
「ルイはどうしたの? あなたと離婚するって?」
「え?」
「さっき他の男性と一緒にいるところを見られたじゃない? 何を言われたの?」
「…………」
ルイ様の前なので、口調も穏やかでやけに心配そうな表情で話しかけてくるマーサ様に鳥肌が立ちそうになった。
それでもニヤけそうになっているその緩い口元は隠せていない。
完全にルイ様が私に怒ってここに連れてきたと思っているみたいね……。
さて、どうしましょう。
どう答えていいのかわからず困っていると、ルイ様が低い声を出した。
「離婚はしない」
そのハッキリとした言葉に全員の視線がルイ様に集中する。
「離婚しないの? あなたのいない隙に男性を部屋に呼んでいたのよ?」
「しない」
「……他の女性避けのために『妻』という存在が必要なのね?」
マーサ様は、ルイ様が私と離婚しないのは形だけでも『妻』が必要だからだと思っているらしい。
まぁ私達がお互いの誤解を解いて仲良くなっているなんて知らないのだから、無理もないでしょうけど。
その時、同じ考えらしい義母が話に入ってきた。
「あなたのその気持ちはわかるわ。でも、不倫はさすがに容認できない。ルイの妻として失格よ」
「そうよ、ルイ! ここまであなたをバカにされたら、いくら私やお母様だってもうリリーを許せないわ」
「リリーとは離婚しましょう。安心してね、ルイ。またしつこく結婚のお話がこないように、今度はもっと静かで従順な子を妻にしましょう」
「!」
そのセリフと同時にこちらを見た義母とマーサ様が、小さくニヤッと笑った。
私よりももっと従順な人を新しい妻にさせる?
今回、私は初めて義母達に反抗した。
もしまたこのようにルイ様に何かあった時、私のように反抗する嫁はいらないのだろう。だからルイ様が見つかったというのにまだ私達を離婚させようとしているのだ。
もう私は不要ってことなのね……。
「さあ。そうとなったらすぐに離婚してしまいましょう。ルイも早くこの家から出て行ってもらいたいでしょう?」
マーサ様がルイ様の腕にそっと手を触れながらそう話しかけると、ルイ様はバッと勢いよくその手を振り払った。
「ル、ルイ?」
「ああ。すぐにでもこの家から出て行ってもらいたい」
「! そうよねっ?」
「ただし……出て行くのはリリーじゃない」
「え?」
キョトンとするマーサ様。
同じように目を丸くしている義母や使用人達を睨みつけるように見渡したあと、ルイ様は低く感情のないような声でハッキリと告げた。
「出て行くのはリリー以外の者、全員だ」




