30 義姉「もう逃がさないわ」
「ふぅ……」
夕日が沈む前のまだ少し明るい時間。
私はドロール公爵家の門の前で小さく深呼吸をした。
あれから結構時間は経っているし、マーサ様が呼んだという男性ももう帰っているわよね?
念のため外から確認をしたけれど、見知らぬ馬車は停まっていなかった。
私がいなくなったことでマーサ様がどんな言い訳をしたのかはわからないけれど、きっとその男性に非難されて今頃すごく怒っているだろう。
会った瞬間に平手打ちされそうだわ……。
今、ここにルイ様はいない。私1人だ。
3人で考えた作戦を実行するためには、私が1人でお屋敷に戻る必要があるのだ。
「もうルイ様達はさっきの裏通路に入ったかしら?」
広い公爵家の敷地を歩いて回るのは大変なので、先ほど私は馬車で正門付近まで連れてきてもらった。
ルイ様達はまた馬車で裏側に回っている。私が早く中に入ってしまうとタイミングが合わなくなってしまうため、ここで少し待っている状態なのだ。
うーーん。まだ早いかな。
1人で待っていると時間がゆっくりに感じるわ。
「あっ!!」
「!?」
突然の声に振り返ると、正門の近くにメイドが立っているのが見えた。
驚いた様子でこちらを凝視しているメイドは、あのグレンダだ。
グレンダ!
どうしてこんな場所に彼女が!?
お屋敷からは見えないように、うまく草木に隠れていたのに!
庭師でもない限り、メイドがこんな庭の端っこに来ることはない。
きっと私を探していたのだとピンときた。
「こんなところにいたんですね! 早く来てください!」
「……どこへ……」
「いいから! 早く!」
グレンダは走ってくるなり私の腕をガシッと力強く掴んだ。
痛いと声が出そうになったくらいに強く、とても痛い。絶対に離さないという意思を感じる。
どうしよう……!
まさか外で見つかってしまうなんて。
もし拒んだらグレンダにマーサ様を呼ばれて外に出てきてしまうかもしれないから、ここはおとなしく屋敷に戻ったほうがいいわね。
……ルイ様はもう中に入ったかしら?
「まったくどこに行っていたんですか! マーサ様も奥様も非常に怒っていますからね!」
「……マーサ様が私に男性を用意しようとしたから逃げたのよ」
「だからなんですか? 素直に離婚に応じないからでしょう!」
「!」
同じ女性なのに、私に同情するどころか当然と言わんばかりのグレンダの態度に驚いてしまう。
使用人の中でもなぜかグレンダには特に嫌われていた。
なぜここまで彼女に嫌われているのか、私には心当たりがなかった。
前からグレンダは私に冷たかったけれど、まさか男性を用意されることにも賛成されるなんて……。
グレンダとはやっぱりどうあっても分かり合えそうにないわね。
少しは彼女の良心に期待したものの、完全に諦めるしかない。
グレンダは庭にいた他の使用人に合図をしていたので、きっと先にマーサ様や義母に私が見つかったことが伝えられているだろう。
予想通り、私が玄関ホールに着くとマーサ様が腕を組んで立っていた。
お義母様は階段の上から見てるだけ……。
やっぱりここではなく屋根裏部屋に連れて行かれるのかしら?
私を見つけるなり、マーサ様はすぐ近くにまで寄ってきて小声で話しかけてきた。
「このグズ女。一体どこに行っていたのよ」
「…………」
怒鳴られると思っていたのに、あまりにも小さい声でコソコソと話すものだから驚いてしまった。
いくら他の使用人の前だとしても、多少の罵倒くらいは普段からあるのだから。
な……何?
こんなに静かに言い寄られるとは思わなかったわ。
まさかすぐ近くの小部屋にルイ様がいるって気づいているんじゃないわよね?
「まあ、いいわ。早く来なさい」
グレンダに掴まれていたほうとは逆の腕を掴まれて、グイッと引っ張られる。
義母の立っている階段を上がって行くので、やはり予想通り屋根裏部屋へ向かうのだろう。
ルイ様やコリン卿はもうあの小部屋にいるのかしら?
私が階段を上がっている音、聞こえてる?
そんなことを考えているうちに階段を上がり終わった。
屋根裏部屋に行くためにはさらに階段を上がらないといけないのだけど、なぜかマーサ様はスタスタとそのまま2階の廊下を歩き出した。
義母は私達の後を追ってくる気配はなく、こちらをジッと見ているだけだ。
その口元が意味深に笑っていることが不安を誘う。
えっ? 屋根裏部屋へ行くんじゃないの?
なんでこっちに……。
マーサ様が立ち止まったのは、ルイ様が帰ってきた時にだけ利用する私の部屋の前だった。
誰もいるはずのないその部屋の扉をノックしたマーサ様は、開けながら甲高い声を上げた。
「お待たせしました〜。ダリム様」
ダリム様? え? だ、誰?
扉が開いて部屋の中が見えた瞬間、中に人が立っているのがわかった。
小太りで髪の毛が薄く、背のあまり高くない男性が──。
まさか……まさか……!
マーサ様がこの家に呼び出したと言っていた子爵子息の特徴と同じだ。
もうあれから何時間も経っているので、すでに帰ったと思い込んでいた。
まさか、私が逃げていなくなったにもかかわらずずっとこの部屋で待っていたというの!?
「マーサ様……っ」
そう言って掴まれている腕を振り解こうとしたけれど、それを察したマーサ様に強くギュッと握られてしまった。
子爵子息には聞こえないような小さな声で、ボソッと囁かれる。
「もう逃がさないわ」
「!!」
真顔で私を見据えるマーサ様にビクッと怯えてしまった瞬間、ドンッと強く体を押され、私は部屋の床に倒れてしまった。
急いで顔を上げた時には、ニヤリと怪しい笑みを浮かべたマーサ様が扉を閉めるところだった。
「待って!!」
バタン!
無慈悲に扉は閉められ、私は見知らぬ子爵子息と2人きりにされてしまった。
背後から「はぁ――……はぁ――……」という大きな息遣いが聞こえ、慌てて振り返る。恐怖から足に力が入らず、すぐに立ち上がることができない。
「ま……待ったよ。リリー様……」
なぜか激しい息遣いに紅潮している顔。ニヤニヤと笑いながら私を見ているダリム様を見て、心の底から震え上がる。
こ、怖い……っ!
「どこに行っていたの……? 僕ずっと待ってたんだよ。リリー様が僕に会いたいって言うから……」
「あの、ダリム様! それは誤解なのです! 私はそんなことを言ったことはなくて──」
「大丈夫だよ。お姉さんから聞いてるから。君は恥ずかしがり屋だから、きっとそう言うだろうって。お姉さんが」
「!!」
マーサ様……!
そこまでして、本当に私とこの男性を……!?
激しい怒りが湧いてくるが、今はそれ以上に恐怖が勝っている。
ルイ様やコリン卿は私が屋根裏部屋にいると思い、そっちに行ってしまっているはずだ。
この部屋の前にはきっとマーサ様やグレンダが立っているだろう。私が万が一にも逃げた場合に捕まえられるように。
そんな場所に、ルイ様がやってくるとは思えない。
もし私が屋根裏部屋ではなくこの部屋にいると気づいても、ただ私がここに閉じ込められただけだと思って様子を見る可能性が高いわ……。
ルイ様もきっと男性は帰ったと思っているはずだ。
まさか私と男性が2人でここにいるとは思わないだろう。
マーサ様が部屋の中に入ってくるまでは、ルイ様も入ってこないはず……どうしよう……!!




