26 怪しむ視線
馬車から出てきたのは、茶色の髪を1つに縛っている優しい顔をした騎士──ルイ様の部下、コリン卿だ。
「お怪我はないですか?」
「あ……はい。大丈夫で──」
「ああっ!? 腕から血が!!」
「え?」
コリン卿の慌てた声で、自分の腕から血が出ていることに気づいた。
何が怪我の原因なのかと、コリン卿は焦った様子で周りをキョロキョロと見回している。
「馬車を急に止めたから、小石か何かが飛んでしまったのかもしれないですね。本当に申し訳ないです!」
「いえ。これくらい大丈夫で──」
「ダメですっ! 手当てをするので早く馬車に乗ってください!」
「えぇ……!?」
またまた返事の途中で遮られてしまった。
コリン卿はルイ様とは違い、とても元気で慌ただしい方のようだ。
「そんな、大丈夫ですよ」
「ダメです! ドロール公爵家の方ですよね? 俺が怪我させたなんて団長に知られたら、俺殺されちゃいますから!」
「…………」
まさか、そんな。
そう言いたかったけれど、顔面蒼白なコリン卿の顔を見る限り本気で言っているのがわかる。
一体どれだけ怖い団長さんだったのかしら?
ルイ様ってば。
チラリと私の手の中にいるルイ様を見ると、彼は気まずそうにボソッと呟いた。
「コイツはいつもこう大袈裟なんだ。だが、馬車に乗れるならそのほうがいい。姉がいつここに来るかわからないからな。リリー、馬車に乗るんだ」
「!」
たしかにそうね。マーサ様に見つかったら大変だし、お言葉に甘えさせていただきましょう。
ルイ様の声は動物の鳴き声として聞こえてたらしい。
コリン卿が興味津々にルイ様を見た。
「ずいぶん小さな動物ですね」
「あっ……はい。そうなんです」
「白銀色の毛並み……それに、エメラルドグリーンの瞳……」
「!!」
コリン卿は自分のアゴに手を置き、真剣な顔でジーーッとルイ様を見つめている。
この方、もしかしてルイ様の正体に気づいたのかしら!?
ずっと一緒に働いているんだもの。気づいたっておかしくはな──
「すごくかわいいですね! 撫でさせてもらってもいいですか!?」
「…………どうぞ」
キラキラと輝く瞳でお願いされて、スッとルイ様を乗せた手を前に差し出す。
期待した分、予想外の反応に少しガッカリしてしまった。
うん。そうよね。
普通はこの小動物がこの国の英雄騎士だなんて思わないわよね。
私はよく気づけたな……と自分自身に驚いてしまう。
ルイ様はコリン卿に撫でられたくないのか、必死に私の指に掴まってその手から逃げていた。
「あれ? 全然触らせてもらえないな」
「……人見知りするんです」
ルイ様ってば。
少しくらい触らせてあげてもいいと思うのに。
ルイ様は小さい手でコリン卿の指をペシペシと叩いている。
よほど触られたくないのだろう。
しかし、叩かれているコリン卿はショックを受けるどころか顔を輝かせて喜んでいた。
「うわあ……! 見てください。叩いてますよ! かわいいですねぇ」
「! そうなんです! とってもかわいいんですよ」
「!?」
私の言葉を聞いて、ルイ様がギョッとした様子で私を見上げた。
今まで本人に向かってかわいいと言ったことがなかったのだから、驚くのも無理はない。
でもでも、本当はすごく言いたかったの!
誰かとこのルイ様の愛らしさについて語りたかったの!
ルイ様からの異様な視線に気づかないフリをして、私はコリン卿との会話を続けた。
「こんなに叩かれても全然痛くないし、むしろモフモフしてて気持ちがいいです」
「わかります〜! ずっと触っててほしいって思っちゃいますよねっ」
「いいな〜。俺も手の上に乗せたいなぁ〜」
「慣れたらきっと……たぶん……ほんの少しは乗ってくれるかもしれませんよ」
そこまで言った時、呆れたような軽蔑したような顔で私達を見ていたルイ様が叫んだ。
「コリンの手に乗るわけないだろ! リリー、気色が悪いことを言うな」
「気色が悪いなんて! そんな言い方……あっ」
つい気が緩んでしまい、コリン卿の前だっていうのにルイ様の言葉に返事をしてしまった。
ルイ様の言葉がわからないコリン卿から見たら、私がいきなり小動物に向かって話しかけた変な女に見えたことだろう。
いけない! つい反応してしまったわ!
コリン卿は元々のパッチリした目をさらに丸くして、少し引いた様子で私とルイ様を見ている。
どうしましょう!
変な女だって思われたかしら!?
実際には短い時間だったけど、やけに長く見つめ合っていた気がする。
お互いが気まずい顔をしている中、意を決したようにコリン卿が口を開いた。
「あの、今……」
「あっ! 馬車! 馬車に乗せてもらってもよろしいですか!?」
「え……あ、はい。ど、どうぞ」
何か聞いてこようとしたコリン卿の言葉を遮り、私は無理やり話を変えた。
あきらかに不自然だったとは思うけど、コリン卿は戸惑いながらもそれを承諾して馬車の扉を開けてくれる。
あ……危なかったわ。
『今その動物に話しかけてました?』なんて聞かれても困るもの。
コリン卿からはまだ変な目で見られているけれど、聞くタイミングを失ったからか再度聞かれることはなく、スッと手を差し出された。
その手に掴まり馬車に乗り込む。
「ありがとうございます」
不自然な作り笑いを浮かべながら、私はコリン卿の馬車の中に入った。
「どうぞ、座ってください」
「はい」
「…………」
「…………」
しーーん……。
ううっ。どうしましょう。
すごく気まずいわ!
何か話さないとまた質問されてしまうかも……えっと……。
頭の中でグルグル考えていると、コリン卿が遠慮気味に問いかけてきた。
「お名前も聞かずにお話ししてしまいましたが、もしかして……その、団長の奥様のリリー様でしょうか?」
「えっ!?」
どうしてわかったの!?
私とコリン卿は、顔を合わせるのが今日が初めてだ。
ルイ様から事前に名前を聞いていなかったら、この方がコリン卿という名前だということすら知らなかった。
結婚式はルイ様の遠征時期が長いのを理由にやっていないし……。
もしルイ様から私の特徴を聞いていたとしても、今の私とは結びつかないはずだし。なんでわかったのかしら?
「あ。やっぱりそうなんですね。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。自分は団長の部下でコリンと申します」
「こちらこそ名乗らず申し訳ございませんでした、コリン卿。それにしても、その……よく私だとわかりましたね?」
「え? あーー……はい。なんとなく」
「?」
コリン卿は、なぜか後ろめたそうな顔をして私の手の中にいるルイ様を見ていた。




