コミュニケーションは英文メール
土曜日の朝、といっても11時過ぎに起きたら、イギリス人はもういなかった。台所のコーヒーメーカーの傍にメモが置いてあった。さすがに日本語は書けないらしい。英語のメモだ。
『Tao Good Morning. I’ll come back three weeks later but it depends on schedule. If you would like to contact me write a message to my e-mail address (Daniel_C@xxxx.xx.uk) or call. I suppose tel conversation would be English. Take care and work hard. Daniel』
しっかり働けよ・・か。それは、君だよ。007。と思いながらコーヒーをありがたく飲んだ。3週間かぁ。また、お一人様生活だ。もう師走。12月。世の中は忘年会やらクリスマスやらで盛り上がっているのに、映画制作現場ではそんなものは関係ないのだろうか?それとも、『仕事』とか言っちゃって、新しい彼女とバカンスでも過ごしに行ったのだろうか?どんな風に映画ってできるんだろう?スタントマンが危ないシーンをやるんだろうけど、怪我はないのかしら?痣ができているって言ってたな。さて、今日は何をしよう?やりかけの仕事もあるし、それをするためにはペンキが乾いた部屋の掃除が必要だ。今日は床のワックスがけでもするか・・・・・何も考えなくて済むようにひたすらワックスがけに集中した。終了したのは19時過ぎ。お一人様の夕食はどうするか・・・昨日の残り物で一杯かな。携帯電話が鳴った。表示を見ると非通知だ。基本的に非通知の電話には出ないのだが、もしかして会社からかもしれないと思って電話に応えた。
「はい。岡本です。どした?何かシステム落ちた?」
「Tao?」ひえぇ・・・・イギリス人だ・・・・この家の神通力も通じないのか、英語だ。
「い Yes。Tao speaking。」だめだ。これで会話は終了する。
「Hi. Tao. How are you doing? Now I stay in Bahamas.」
「Bahamas? What time is it now on your end?」
「・・・・・5AM」
「Why do you call me?」
「No reason. I wonder if I bothered with you.」
「No. I think about today’s dinner.」
「Ahaha… OK. Did you read my memo? If you don’t talk to me by phone, you can send a message to my address. OK?」 これでもゆっくり喋ってくれているんだろうけど、電話は遠いし聞き取りにくい。なんで朝の5時に電話なんかしてくるんだ?なんで起きているんだ?仕事に集中しろよ。俳優をやってるときは。
「OK. I asked why you call me at 5AM?」
「Why do we need the reason to call? I wake up, call you and say good morning. Just it.」 ああ、そうですか・・・ 朝、起きてすぐにこのテンションの高さ。こいつ、イギリス人じゃなくてアメリカ人だ。
「Hummmm. OK I understand. Take care and work hard.」
「Thanks! Bye. Have a nice Sunday!」電話が切れた。非常に一方的だ。何なんだ?まったく。バハマで脳がいっちゃったのだろうか?もてる英語力一杯いっぱいで喋ったので、急に疲れが出てきた。ビール飲もう。飲んで一息ついて、考えてみた。なぜ、電話をかけてきたんだろう?直接電話で話しをしたくなければメールでもいい、って言っても、そんな頻繁に連絡をとることもないじゃん。一日、何があったか報告するとか?夕飯、何を食べたか報告するとか?イギリス人の考えていることはわからん。俳優の考えていることはわからん。
日曜日は仕事をして過ごした。外は生憎の雨だったし。焚き火も何もできない。「寒いな・・・・今日のイギリスはどんな天気なんだろう?」イギリス人の部屋に行けば、外が見られるのはわかっていた。でも、奴がいないときに部屋に立ち入るのはよくないと思った。007だから、誰かが入ったかどうかわかるようにしてあったりして・・・・髪の毛を抜いてドアに貼り付けているクラーク氏を想像して1人で笑ってしまった。「イギリス、雨だったりして・・・・」とまた独り言を言っていた。やっぱり、メールしてみようかな・・・・
仕事で散々メールのやり取りをしているのにプライベートのメールアカウントは2週間に1回くらいの間隔でしか見ない。入っているメールはジャンクか広告メールばかりだし。「久しぶりにプライベートからメールをうってみますか・・・・」あぁ、また独り言。「タイトルは・・・・」本文はシンプルに元気か?ということと・・・・・英文メールを書き始めて数分で頓挫した。「鬱陶しいな・・・・英語。」と独り言。散々苦労をして、辞書を駆使して、これだけ書いた。
タイトル: Today’s Japan weather is ……
本文: It’s rainy Sunday. Though I couldn’t do anything at my patio, I really enjoyed rainy sound. May I come into your room? To tell you the truth I’m eager to check the weather in England. Take care. Tao. 追伸: Sorry for my bad English.
ああ、自滅。メールを書くことなんてないと思っていたのに、教えてもらったメールアドレスを入れて送信ボタンを押してしまった。
適当に食べて(いつも適当だ)、ちょっとワインを舐めながら書斎で本を読んでいた。リビングに移動しなかったのは、PCが書斎にあるからだ。メールを待っている私なんて、なんだかヘンだと思いながら、チラチラとPCの画面を見ていた。目がなんとなく本の上っ面を追っているうちに1通未読メールが表示されていた。
タイトル: Sure
本文: Why not? Please check and let me know England weather. And what’s your dinner? D.C. P.S. Your English is not bat. It makes sense.
『let me know』って、またメール打つの? 『not bat』ね。そりゃどうも。
2階にあがって、昨日青い目と一緒に入った部屋の前に立った。少し、ドキドキしながら扉を開けた。壁際を探って電気をつけた。部屋の明かりは全体的に暗い。海外にありがちな間接照明だ。昨日は(今朝の早朝だな)わからなかったけど、結構広い部屋。どこかに通じているドアが更に3つある。一つは洗面所かしら?もう一つは、クローゼット?そして残りはイギリスの家に更に通じているのかもしれない。壁と天井は重厚な感じ。暖炉まである。家がとても古いって、イギリス人が言っていた通りだ。部屋にあった大きなベッドが一つ(QueenだかKingサイズに見える)とベッドサイドに丸テーブル。その上にランプと数冊の本があった。暖炉の前に読書用の椅子が2脚。窓2つ。あ、違う。小さなバルコニーに出るためのガラス張り観音開きのドアだ。「なんて、大きな部屋・・・・ これは普通の家じゃなくて、お城じゃないの?」 昨日見た窓はベッド側にあった。「天気は・・・・・・っと・・・・」 カーテンを少しめくってみた。そうだ。夜だったんだ。でも、月が出ていた。晴れている。白々とした月の光が庭を照らしている。そんなに遠くないところに森らしき影も見える。「天気は晴れで、お月様がきれいです。とでもメールするか・・・」 それにしても大きな部屋。バルコニーに出られるのかな。出たらどうなるんだろう?と誘惑に駆られたが、イギリスから帰ってこられないとまずいしなぁ。と思い直して部屋から退散した。ドアを閉めて見慣れた光景が目の前に広がったので、安心した。ホッとため息をついて、1階の書斎に戻ってメールを1通送信して、そのままPCの電源を落とした。
タイトル: England
本文: It’s cold but moonlight is very beautiful. Tao
これで、今日の義務は果たしたような気分になった。またイギリス人の部屋を見てみたいという考えがチラッと浮かんだが、そのまま寝室に入った。明日からお一人様の1週間の始まりだ。