じゃあ、眠くなるまで話そう。
私は逃げたといってもいいかもしれない。その晩、ベッドには早く入ったが寝られなかった。真下のリビングには人のいる気配がする。まだ起きているんだ。イギリス人。「ダメだ。寝られない。」と呟くと、パジャマの上にニットのロングカーディガンを引っ掛けてリビングに行った。青い目はまだソファに腰掛けて本を読んでいる。BGMは私のiPodから流れ続けているようだ。「寝られない。」と呟きながら台所に入った。水のボトルを持ってソファに腰掛けた。イギリス人から遠い位置だ。青い目はこちらをチラッと見て本に視線を戻したまま何を喋らない。暫く、黙ってソファに座っていた。
「どうした?」
「寝られない。今、何時?寝ないの?」
「2時。もう少ししたら寝るよ。君は?」
「寝られない。」
「なんで?」
「何でだろう?まあ、いつかは寝られるんじゃない?2階に行くよ。」
「・・・・・・ここにいたら?眠くなるまで。」
「?」
「もう少し、喋ろう。」
「・・・・いいけど・・・・」また本に目を戻すと区切りのいいところだったのだろうか?青い目は本を閉じてこちらに向き直った。
「俳優って、虚飾の世界に生きていると思っている?」いきなり難しいことを聞いてきた。
「俳優っていう職業の人を知らないから、なんとも言えない。」
「じゃあ、僕は虚飾にまみれているように見える?」
「他のサンプルがないから比較できない。」
「例えば、初めてどこかで会って、喋る機会があったとしよう。そして その時、君は僕の職業を知らない。どんな印象をもつ?」
「会った時が・・・今もだけど、異常だったから・・・・」
「じゃあ、友好的に食事をして、酒を飲んでいるときは?」
「さっきも言ったけど、楽しい。とても。」
「いい友達になれそうかい?職業が何であれ、いい友達になれそう?」私は青い目を見ながら頷いた。「そうね。」
「じゃ、食事をしているとき とか、この家のペンキを塗っているとき、君は僕が虚飾にまみれた俳優とは見てないよね?」
「そうね。」
「だったら、いいんだ。」
「あなたは、私のことを いい友達と思ってくれているの?」
「そうだ。自分でもビックリするくらい君とは素で喋れる。何でも話せるような気がする。」
「おかしなものね。」
「そうか?」不思議そうな顔をされた。007早とちりしていないか?それとも、私はそんなにわかり易いのか?
「君は僕と喋るときに、何か構えている?作っている?」作っていたか?構えていたか?
「不思議なことに、何も。」そうだ。素で怒っていたし、素で笑っていた。
「最初に会ったときに、激怒した。」
「だろ?あ、この子は本気で怒って、当惑していると思った。」と言ってイギリス人は笑った。
「あなたのほうは、とても ふてぶてしかったし。不親切に見えたから。」
「この俳優が!って思ったんだろ?」
「ん~ 俳優が!とは思わなかった。何?この男、偉そうに! とは思ったかな。」
「随分だな。」と笑いが引っ込んだ。
「ごめんなさい。」
「いいんだ。」だって、あなたの眉間に皺が寄った顔、怖いんだもの・・・・
「笑った顔のほうがいいと思う。」
「僕?」
「そう。」
「いつも、笑っていられないよ。」
「まあ、そうだけど・・・・」
「君がボーっとしている顔が、僕は好きだけどね。」
「庭で?」
「とか、この家で寛いでいるとき。」
「それはどうも。バカに見える?」
「いや、安心した顔。厳しい部分が取れて いい顔になっている。」
「・・・・・そりゃどうも。」
「どういたしまして。」
「泣いたりすることあるの?」
「僕が?」
「そう。」
「泣きはしないが・・・・どうしようもなく落ち込むことはある。実は、この家に入って-君が帰ってくる前だけど、そうだった。」
「そう・・・・・・・」
「さて、どうするか?と思っていたんだ。1人で住むには大きすぎる。」
「で、私が帰ってきて、大騒ぎ。」
「そう。大騒ぎ。」
「少しは悲しいことを忘れた?」
「そうだな。君のおかげだ。」
「思い出すことはあるの?」 なんてひどいことを聞いているのかしら?
「・・・・・・・まあ・・・・ね。君は泣くことあるのか?」
「・・・・・・・悲しくて泣くことは少ないかもね。悔しくて泣くとか・・・・でも・・・・」
「でも?」
「たまに、理由もなく涙が出るときがある。家に1人でいるときとか・・・・3ヶ月に1度くらいね。」と言って、私は照れくさくてちょっと笑ってしまった。
「それは・・・・・会っている奴のことを考えて?」
「その人のことを考えてじゃなくて・・・泣くような付き合いはしていないし。うまく言えないけど、今の全ての状況を考えて急に感情的になるのかもね。」青い目はこちらをじっと見て、理解しようとしているみたいだ。でも、わからないだろうなぁ。理屈ナシだから。
「感情の動きは理由がないさ。いつまで考えてもわからないことは わからない。でも、涙が出る。だろ?」
「そうね。」
わかってるじゃない。伊達に俳優をやってないわね。
「君はさっき、僕と話をしていて楽しいと言ってくれた。これは理屈なし?」
「そうね。」暫し見詰め合ってしまった。いかん!見詰め合ってどうする?向こうは彼女と別れたばかりで落ち込んでいる男なんだから。寂しい2人で語り合っているだけだ。この空気を何とかしようと思って、口調を変えていった。
「仲良く暮らしていけそうじゃない?この家の状況はよくわからないけど。」
「そうだな。」と青い目はじっとこちらを見ている。だから!止めてよ。その目。目を離せなくなるから。
「また、明日の午後からいなくなるよ。」
「そう・・・・・」
「今度は長い。3週間は帰れない。」
「コーヒーは自分で入れないといけないのね。」ちょっとイギリス人は笑って
「そうだな。」と答えてまた、じっとこちらを見ている。と、唐突に話題が変わった。
「イギリスの僕の家を見たいと思わないか?」
「そりゃ、見てみたい!でも、私の家からあなたの家には行けないし。」
「行ける場所があると言ったら?」
「!?え?」ニヤッと笑っている。
「あるの?」
「ある。君の家の客用寝室で使っていない部屋が3つあるよね?そのうちの1つは君の家から入れるみたいだ。」
「本当に?」
「見てみる?」と言いながらイギリス人が面白そうにこちらを見ている。
「あなたの家の何の部屋に通じているの?」
「君が僕のほうのメインベッドルームを使っているから・・・・変更した僕の寝室。」
「・・・・・・・・・・・・・・・そこにしか行けないの?」寝室かい?
「そう。見る?」う~ん見てみたい・・・・でも、寝室。
「見てみたいでしょ?」
「見せて!」
「いいよ。」リビングから出た瞬間にイギリス人が消えた。2階の私の寝室前でまた現れた。その客用寝室は私の寝室の目前だ。越してきたときに一回チェックして、この青い目と会ったときにもう一回チェックしたはずだけど、また変わったのだろうか?私の家からイギリスサイドにいける?客用寝室のドアを開けると・・・・・そこは私の知らない部屋だった。知らない家具調度・・・・窓はあるが、今は夜だからきっと外は見えないだろう。
「どう?」
「全然知らない部屋。これ、イギリス?」
「だろうね。」窓に近寄った。
「外は暗いからよくわからない。風景は違うの?」
「違うよ。」と私のすぐ傍にイギリス人が立って私を見下ろしている。しょうがない。身長差があるんだから。彼を見上げて聞いてみた。
「どんな風景?」
「とりあえず小さな森が見える。それから花壇。何も植わっていないけどね。それから日本の君の家にちょっと似ているデッキ。」
「そうかぁ・・・・ 昼間、また見たい。」
「見ればいいよ。」
「勝手に人の寝室には入れないでしょ?日本人のメンタリティとしては・・・・ダメよ。それは。」
「じゃ、僕がいるときにノックして入ればいいじゃないか?」
「見たくなったら、そうする。」目を凝らして外を見たけど、やはり見えるのは暗闇だけだった。窓ガラスに手を当てるととても冷たい。
「外は寒そう。」
「寒いよ。多分、日本よりも寒いはず。」
「そうか・・・・」
「イギリスに君がきたら、この家に泊めてあげるよ。」
「あははは。それはいい考え。あなたが日本にきたら、ここに泊めて差し上げましょう。」
「よろしく。」と言ってまた、じっと イギリス人はこちらを見ている。仕事やプライベートで落ち込み加減の男だ。何か慰めを求めているのかもしれない。そんなこと、考えているんだろうか?でも、それを私に求めるのはダメだよ。イギリス人。お互い気まずくなる時がきっとくるから。それに住んでいる世界が違いすぎる。本当は出会うこともないはずだったんだから。視線を外に戻して言った。
「寝られないかと思ったけど・・・・やっぱり少しは眠る。徹夜はできない年齢なの。」
「僕も寝るよ。」イギリスから出て廊下のわずかな共有空間で俳優と向き合った。
「おやすみ。」
「おやすみ。」明日から3週間会えないんだ。