神様のぬいぐるみ
今日はボクの誕生日。お父さん、お母さん、と一緒おいしいごはんを食べた帰り道。なんでも好きなものを買ってあげる、と言われて商店街の中を歩き回りましたが、結局、欲しいものはありませんでした。
ボクはそんな風におもちゃを見て回るだけで、とっても楽しかったけれど、お父さん、お母さん、はちょっぴり残念そうでした。
そんな時、商店街の細い裏道にキラキラとした光が瞬きました。ボクは遊園地のパレードみたいなその光が気になって、両手を握る二人の手を振りほどくと、真っすぐそこへと走って行きました。
それは、ぬいぐるみ屋さんでした。
クマ、サル、ヒツジ、イヌやネコ。いろんなぬいぐるみが、ふわふわ、もこもこ、棚に行儀よく座っています。ずらりと並ぶぬいぐるみの、一番奥まで眺めると、そこには穴が空いていました。いえ、よく見ると穴じゃありません。真っ暗なぬいぐるみです。夜を丸めて団子にしたみたいなぬいぐるみが、そこには置いてありました。
「これは、なんのぬいぐるみ?」
お店の隅の安楽椅子に座って、ゆらゆら揺れていたぬいぐるみ屋さんにボクは聞きました。ぬいぐるみ屋さんは綿のような真っ白な髭を撫でながら、ボクの隣までやってくると、
「神様のぬいぐるみ、だよ」
と、言いました。
「かみさま、ってなに?」
ボクは聞きます。
「一番大切なもののことさ」
「大切なもの、って?」
「人を幸せにするものだよ」
ぬいぐるみ屋さんは皺くちゃの指でボクの胸の辺りを指差しました。ボクはその指の先を見つめましたが、それが何を意味するのかはよく分かりませんでした。
お父さん、お母さん、が慌てた様子でぬいぐるみ屋さんに入ってきて、ボクを見ると、ほっ、と息を吐き出しました。
「急に走ったら危ないでしょう。怪我してない?」
お母さんに言われて、ボクは「だいじょうぶ」と返事をします。二人はお店の中を見回して、たくさんのぬいぐるみに感心したように目をぱちくりさせました。
「お父さん、このぬいぐるみが欲しい」
ボクはぬいぐるみ屋さんの話を聞いて、幸せが欲しいと思いました。だから神様のぬいぐるみを誕生日プレゼントに買ってもらおうと考えたのです。
お父さんがやって来て、神様のぬいぐるみを手に取ります。そうしてボクとぬいぐるみを見比べて、
「そっくりじゃないか。こんな偶然あるんだなあ」
と、驚きました。お母さんもやって来て「ほんとにそっくり」と繰り返します。ボクはお店のガラスに映る自分と、ぬいぐるみとを見比べましたが、全然似ているとは思いませんでした。
お父さん、お母さん、は嬉しそうに神様のぬいぐるみを抱きしめると、それをボクにプレゼントしてくれました。
ボクは神様のぬいぐるみをすごく大事にしました。けれど、お友達が家に遊びにやって来て、神様のぬいぐるみを見かけると、突然、蹴飛ばしてしまったのです。
ボクはびっくりしてしまって「なにするんだよ!」と思わず叫びました。
「サッカーボール見たら蹴りたくなっちゃったんだよ」
お友達はサッカー部です。けれど、いくら真ん丸でも、神様のぬいぐるみは落っこちてしまいそうに真っ暗で、とてもサッカーボールには見えません。
ボクが怒ると、お友達は「蹴ってごめんよ」と謝って、神様のぬいぐるみを拾い上げると、お医者さんのように怪我してないか確かめて、よしよしと撫でてくれました。ボクはお友達を許して、仲直りしました。
それから二人で夕暮れまで遊ぶと、お友達は帰って行きました。
「風邪ひくなよ」と、お友達が言うと、ボクは「そっちこそ」と、返します。
夕日が照らす中、手を振って帰っていくお友達を、その細長い影が見えなくなるまで見送りました。
夏休みがやってくると、お爺ちゃんの家に行くことになりました。親戚みんなが集まるのです。ボクはお爺ちゃんが大好きなので、すごく楽しみです。大事な神様のぬいぐるみをカバンにつめて、遠い田舎のお家まで、お父さん、お母さん、と一緒に行きました。
「よお坊主。元気にしてたか。でっかくなったなあ」
親戚のおじさんがボクを見ると嬉しそうに目を細めました。おじさんはとっても大きくて、ちょっとだけお酒の匂いがして、ほんのちょっぴり怖いです。けれど、ボクといっぱい遊んでくれる、とっても優しい人でした。
ボクはおじさんに神様のぬいぐるみを見せてあげました。
「なんだいこりゃあ。金塊じゃねえか」
おじさんはびっくり仰天して、恐る恐る手に取りましたが、触れた瞬間「なんだこれ、綿が入ってる。本物じゃないのか」とがっかりしたように肩を落としました。
「坊主はこれが大切なのかい?」
ボクは言われて首を傾げてしまいましたが、曖昧に頷きました。
「俺みたいにはなるなよ。自分を大事にしなきゃあいけないよ」
おじさんはしみじみと言います。そして、他の親戚に呼ばれてどこかへ行ってしまいました。
ボクはおじさんの言っていたことについて考えていましたが、そんな時、従兄のお兄さんがやって来て、ボクが手に持っている神様のぬいぐるみを目にすると、声を上げました。
「あっ。それって……」
お兄さんは誰かの名前を呼びました。それはボクも知っている名前です。確かテレビで聞いたことがあります。歌ったり踊ったりしている、とっても綺麗なお姉さんの名前でした。
「これ、どこで買ったの?」
お兄さんはボクに詰め寄るようにして聞きます。ボクが場所を教えると、首を捻って、悩まし気に眉を寄せました。
「ファンなの? それとも、お父さんがファンなのかな?」
僕はテレビで聴いたお姉さんの歌を思い出すと、小さく頷いて「お姉さんのお歌、好きだよ」と言いました。
「そうなんだ。今度チケット取れたらライブに誘うよ。楽しみにしておいて。それまで体を壊したりしないようにね」
お兄さんはとても満足そうにボクの肩をポンポンと叩くと、ウキウキした様子で去っていきました。お兄さんがあまりに嬉しそうなので、ボクも嬉しくなってしまいました。
それからボクは縁側で座っているお爺ちゃんの所へ行きました。
「おお、お顔をよく見せておくれ」
お爺ちゃんがボクに手を伸ばします。ボクは隣に座って、お爺ちゃんの温かい木のような顔を見上げました。お爺ちゃんはボクの頭をゆっくりと撫でて、庭から吹いてくる風に身を任せています。
ボクはお爺ちゃんにも神様のぬいぐるみを見せました。
「ありゃ。これは、お天道様じゃないか」
「おてんとさま、って、なあに?」
「お日様のことだよ。太陽だ」
言われて空を見上げましたが、太陽は眩しすぎてとても目を開けていられませんでした。そんなことをしていると、お爺ちゃんに「お天道様を直接見ちゃ危ないよ」と、まぶたを押さえられてしまいます。
「気を付けにゃあならん。ずっと健康で、健やかに育っておくれ」
お爺ちゃんが、願うように、祈るように言いました。
それから、お爺ちゃんも親戚の人に呼ばれて行ってしまいました。ボクは一人縁側に座って、神様のぬいぐるみをじっと眺めました。
みんな、この神様のぬいぐるみが、それぞれの大切なものに見えているようでした。けれど、ボクには真っ暗な穴のようなものにしか見えません。ボクはそれがだんだん悲しくなってきました。悲しい気持ちはどんどん膨れ上がって、涙が零れてきたのでした。
ボクは神様のぬいぐるみを覗き込みました。ボクの大切なものってなに、そう心の中で呼びかけてみました。すると、穴の底にボクの涙の滴が一粒落ちて、ぽちゃり、と音を立ました。どうやらそこは井戸の底みたいになっていて、水が溜まっているようです。それとも、ボクの涙が集まって池になったのかもしれませんでした。
ボクはその水面を覗き込みました。水面に影が揺らめいて、ボクが映り込みました。水面の向こう側にいるボクは明るく笑っていて、とっても元気そうです。
あっ、とボクは声を上げました。いつの間にか神様のぬいぐるみは鏡になっていたのです。
ボクはボクを見つめました。そして、お父さん、お母さん、お友達、おじさん、お兄さん、お爺ちゃん、みんなのことを想いました。みんな、ボクにあることを言っていました。
「怪我してない?」
「風邪ひくなよ」
「自分を大事にしなきゃあいけないよ」
「体を壊したりしないようにね」
「ずっと健康で、健やかに育っておくれ」
ボクは、ボクを大切にしなさい。神様のぬいぐるみに、そう言われている気がしました。すると鏡の中にはボクではなくて、ボクを想ってくれているみんなの顔が映りました。みんなが笑うと、ボクも笑いました。それはボクの鏡ではなく、みんなの鏡だったのです。
ボクはみんなが大切にしてくれるボクを大切にしよう、と思いました。いつか、お父さんにとってのお母さん、お母さんにとってのお父さん、そんな誰かをボクの鏡に映す時がくるかもしれません。そんな誰かの大切になれるように、ボクは神様のぬいぐるみを大切に抱きしめたのでした。
この「神様のぬいぐるみ」は小説家になろう様主催「冬の童話祭2023」への参加に際して書いたものになります。
あとがきは活動報告の方へ投稿致します。ご興味がある方は、そちらもご覧頂ければ幸いです。