父と娘は七夕の夜にキュウリを食べる
ジャンルに迷った結果、純文学としました。
七月七日の夜である。
茂は珍しく早く帰宅し、縁側でビールを飲んでいた。
ツマミはキュウリ。輪切りにして、天然塩を少々。
「なんだ、お父さん帰ってたの」
塾帰りの千聖が、カバンを置いて側に来る。
手にはキュウリが丸ごと一本。マヨネーズと、何かの小瓶を一緒に持っている。
千聖はパキンとキュウリを折ると、おもむろにマヨネーズをかけて齧りつく。
パリパリと小気味良い音が響く。
千聖の白い前歯は、小動物のようだ。
「うーん、イマイチ。やっぱ、これも必要」
そんなことを言って、千聖はマヨネーズの上に、何かを振りかける。
柚子胡椒だ。
香りの強いモノは苦手じゃなかったっけ。
そういえば。
中学に入ってから、娘の好みが変わったと、妻の美也子が言っていた。
千聖はすらっと伸びた足を、縁側でバタバタさせながら、キュウリを頬張る。
いつの間にか、大人の味覚に近づいた娘に、茂の口元は緩む。
「今夜、七夕でしょ」
「ああ」
「私ね、ずっと不思議だったんだけど」
「何が?」
「なんで、牽牛と織女って、別れることになったの?」
茂は文化人類学の講師をしている。
神話の類は専門家だ。
よって、七夕の伝説なんてものにも、当然詳しい。
だが。
丁寧に説明しようとすると、「房事」に言及するはめになる。
思春期の娘に、そのまま言うには躊躇いがある。
「二人とも、恋愛に夢中になって、やるべきことをしなかったから、じゃなかったかな」
「ふうん……ねえ、お父さん、ぶっちゃけると、二人が『ヤリ過ぎ』で仕事しなくなって、天帝から追放されたんでしょ?」
茂はビールを吹いた。
「な、お、お前、知ってて、質問?」
えへへと千聖は笑う。
その表情は、保育園に通っていた頃と変わっていない。
「小説サイトにね、なんか、そんな話が載ってた」
どこの小説サイトだ。
いや、ちょっと待て。
茂はメジャーな小説サイトに、時折『ホントはエロい古事記』なんて作品を載せている。
ポイントは低いが、固定読者がいるようだ。
勿論、ペンネームを使っているのだが。
つい最近、牽牛と織女の話を、投稿したばかりだ。
「ただいま。あらどうしたの? 電気もつけずに二人して」
茂の妻、美也子が帰ってきた。
「あ、お帰りなさい、お母さん、今日の夕ご飯、何?」
「素麺にしようと思って。今日七夕だし」
お手伝いすると言って、千聖は立ち上がる。
茂にだけ聞こえるように、娘は囁く。
「お父さんのペンネーム、ちょっとダサイ」
茂は再度、ビールを吹く。
暮れた空には、星が微笑む様に光っていた。
お読みくださいまして、ありがとうございました!!
本作のスパイスは「柚子胡椒」です。