黄泉Ⅴ
「準備はいい?」
芽衣の声で全員が顔を上げた。
それぞれがバッグを背負い、中にペットボトルと軽食。タオルや塩などの最低限プラス護身用の道具を持って立っている。
「午前中の目的は、急遽現れた霊への対抗策の確認と、水分の確保。可能であれば現実世界に戻るための境界や異界に引きずり込んだ元凶の捜索にも向かう。心の準備は?」
「大丈夫です。」
朱理が張り切って声を上げる横で、善輝は小さく頷いた。
「旅館内は結界の効果で霊が侵入してきてはいない。だから、まずはムクとフウタが霊を引き付け、俺たちで結界の中から色々試そうと思う。ムクとフウタには危険を冒してもらうことになるが頼めるか?」
『お前の指図は受けたくないが、芽衣の為だ。いくらでも走り回ってやるよ』
ムクが胸を張る様にすっくと立ちあがると、フウタもそれに続いて朱理の傍へと駆け寄る。すかさずそれを朱理が撫でるが、きっとそれは緊張を誤魔化すためだろう。
善輝はその光景を横目で見ながらも、無言で久陽に先を促した。
「試すのは三つ。塩と結界と俺の早九字。可能ならば塩で解決できると良いんだけどな。」
そう言って、小瓶に詰め込まれている塩を見つめる。幸運にも使っている途中の塩の瓶が一つ、未開封が二つあった。それぞれを久陽、芽衣、善輝が持ち、朱理は詰め替え用のパックをバッグの中に入れている。
何故、事務室にこんなに大きな瓶の塩が複数もあるのかというと、神棚に供える盛り塩用だとか。
「ちょうど、お盆の時期だからね。これが現実世界なら、せっかく帰って来たのに門前払いするようで気が引けるけど、やるしかないわ」
『案外、お盆に入ったせいで、異界でも霊が出始めたって可能性は否定できないな。もしかすると、現実世界に行こうとどこかで行列ができてるかもしれないぞ』
珍しくムクが冗談っぽいことを言うので、芽衣は笑い飛ばそうとするが、ムクの表情は真剣そのものだ。恐らく、彼なりに少しでも現実世界に戻る方法を考えているのだろう。
いつもは久陽であっても揺れる尻尾が、今では力なく垂れ下がっている。見た目からは察することができなかったが、精神的に彼も苦しい部分があるのだろう。
芽衣は無言でムクの頭を撫でる。
『ど、どうした。急に!?』
「別に。ちょっといつものムクっぽくないなと思っただけよ」
そう言って芽衣はドアの方へと向かって行く。既に久陽が手動でドアを開け、周囲を警戒している最中だった。結界は、ちょうど建物が立っている敷地と道路の境界に存在しており、ドアを潜ったらすぐに危険であるという状態ではない。
結界内に逃げ込めば、ドアを閉める余裕があるというのは精神的にも余裕が出るだろう。そこで、さらに余裕を持たせるために、芽衣は用意しておいたものを善輝に運んでもらっていた。
「芽衣姉さん。これでいいんですか?」
「ええ、左右の両方に置いて。美香さん、ホテルにもこういう物を用意しておくなんて流石ね。」
善輝が両手に持っているのは、二つの真っ白な小皿の上に乗った八角錐状の盛り塩だった。所謂、魔除けのおまじないと言ったところだが、美香がわざわざ事務室に神棚を祀って、盛り塩用の八角錐の容器を用意しておいたのだから、効果がないはずがない。
八角錐の意味は末広がりで縁起がいいともされるが、魔除けの意味では八方塞がりで侵入を禁ずるというものもある。
もし、効果があれば、万が一結界の内部に侵入してきても、ここで食い止めてもらえるかもしれない。
「準備完了ですね。私は小瓶を持ってないから、お兄ちゃんの傍にいます」
「朱理ちゃんはそれでいいわ。三人もいれば大丈夫だろうし、いざとなれば結界を張るか。あいつが九字を切るかすると思うから」
そう言って芽衣はガラスのドアの向こう側へと一歩踏み出す。




