撤退Ⅳ
木箱ごと全部持って行ってもいいが、全員腹が減っている。だからと言って、事務質の他人の席で食べるには少し気が引ける。一度、部屋で食事をしてから戻ってくる、という提案をしてみるとあっさり全員が頷いた。
最悪、何かあった場合でも、今日一日はこれで十分過ごすことができるはずだ。
後は桃が足が早いので先に食べておかなければと追加で取り出す。包んでいた新聞紙を外して芽衣と朱理の方を見る。
「悪い。桃の切り方ってわかるか?」
「逆に聞くけど、あんたはわからないのね」
ニヤリと芽衣が笑って久陽から桃を受け取ると、事務室の一角に歩いていく。小さな流し台で適当に棚を開けていくと包丁と皿を見つけたようで芽衣は素早く処理をし始めた。
「水洗いしたら軽く拭いて、割れ目の所に包丁を指す。種に当たったらくるりと回せば、後は手で捩じってあげると、ほら半分に出来るでしょ?」
ものの見事に十数秒でやってのける手際に久陽はもちろん、善輝と朱理も目を丸くする。フウタは相変わらずいつも通り我関せずという感じだが、ムクは得意気に鼻を鳴らす。
「後は皮をむいて、四人だから半分を四等分ずつにすれば一人二個食べれるわね」
「お前、料理スゴイできそうだな。いや、できるだろ。料理苦手だから、本当に羨ましい」
「あら、珍しいじゃない。そんな風に褒めてくれるなんて、今までなかったのに」
素早く桃を切りながら返事をする。芽衣は気付いていないが正面の鏡には満更でもないような笑顔が映っていた。久陽はまだ残っている桃の数を見て、朱理に尋ねる。
「桃って、どれくらい持つかわかるか?」
「うーん。少なくともこの暑さだとあまり長くは持たないんじゃないですか? 多分、二日が限度かなって。電気が切れてても、一応冷蔵庫に入れておけばもう少しは大丈夫そうですけど」
一気に食べるのは辛いが腐らせるのはもったいない。とりあえず久陽は持てるだけ持って部屋の冷蔵庫に保管しようと考えた。
それに気付いたのか善輝も進んで片手に乾パンとペットボトル。もう片方の手に桃を抱え始める。
「朱理、芽衣姉さんの分を持ってやってくれ」
「りょっうかーい」
兄の指示を素早く実行する朱理。先程まで泣きじゃくっていたとは思えない明るさだ。その背中を優しい目で見つめる兄。そして、それを同じような眼差しで見つめる久陽である。
芽衣は皿に桃を並べ終えると、片手に包丁とスポンジ、洗剤を持ち、もう一方に桃の皿を持って振り返った。
「他の桃も上に持って行くなら、これごと持って行った方が良いわね」
各指に挟んだ三つの道具の内の一つ、包丁がやたらと光って見えるのが若干恐怖を煽る。思わず久陽はそれを持とうかと提案するが、即座に却下された。
「そういえば、あんた実家暮らしなんでしょ? あんまり包丁とか触ってないんだろうから、慣れないことはしないの。ほら、さっさと行く」
「兄さん。あんまり逆らうと後ろからプスッとやられますよ?」
「あらあらあら、善輝君。まるで私が悪者みたいな言い方じゃない。何か気に障ることでも言ったかしら?」
軽く包丁をわざと揺らす芽衣に善輝は首を全力で横に振る。久陽は心の中でやってることは十分に脅しだから悪者だろう、と思いながらも口に出すことはできない。あくまで冗談だとはわかっているからだ。尤も、モラル的にアウトな気がしないわけではないが。
そのまま、事務室を出ていく四人と二匹。その時、ふと久陽は振り返って、もう一度、連二の机を見る。何か大切なことを忘れているような気がしたのだが、何か思い出せないでいた。
ただ、その向かい側にあったカップ麺を見た瞬間、ゾワリとしたものが背中を駆け上がった。いつもならば霊を見つけることに特化した眼が、カップ麺から溢れ出る悍ましい色をしたオーラを捉えていたからだ。
「久陽兄さん。何かありましたか?」
「いや、なんでもない。すぐにそっちに行く」
既に距離が何メートルも離れ始めていたので、気付いた朱理が大声で呼びかける。すると他のメンバーも反応して久陽を見つめていた。桃を落とさないように掴みなおして、久陽はその後を追いかけた。
次話投稿日時 8月12日 16:00




