撤退Ⅱ
先程まで命のやり取りをしていたというのに、呑気に飯の話をしている。心配していた女子二人の心境は一体どれほどのものか。泣きじゃくっている朱理はさておき、少なくとも芽衣の方が若干のイラつきを覚えたのは間違いない。
久陽の背中に回した手の片方をそっと降ろすと、久陽の脇腹を軽く抓る。
「いった!? お前、いきなり何するんだ!?」
「う、うるさいわね。さっきまで心配していた私の気持ちも考えなさいよ!」
涙声になりながら、もう一度抓る芽衣に、久陽は身を捩って逃げようとする。
しかし、がっしりとホールドされた状態で、自身の腕は芽衣を引き剥がせない位置にある。つまり、この攻撃は甘んじて受けるしかないということだ。
『……おいおい、鈍感にもほどがあるだろ』
『そうかい。案外、こういう関係の方が最終的に長続きしそうだと思うけど。私は傍から見ている分には楽しいから、坊やにはこのままでいてもらった方がいいかな、と』
『やめてくれ。想像したら虫唾が走る』
「好き勝手なこと言ってないで、この人止めてくれませんかねえ!?」
我関せずといったムクとフウタに助けを求める久陽であったが、芽衣の攻撃から解放されるのは、それから数十秒後のことであった。
解放された久陽と善輝は畳の上に座り込みながらも、悪びれもせずに食事の話を再開する。
「それで、ここらへんだとどこで飯が確保できる?」
「うーん。事務室に置いてある誰かのお菓子とか、厨房にある食材とかですかね? でも、厨房は鍵がかかってるから、そう簡単には取れないかと。」
久陽は天井を見上げながら考える。一番効率がいいのは、事務室で厨房の鍵を捜索しながら、食べれるものを拝借する。もう一つは、コンビニなどの店舗に入って、ある物を買っていく方法だ。無論、店員はいないので厳密にはお金を置いて行っても万引き扱いになってしまうのだが、緊急事態ということで勘弁願いたいところだ。
そこで、ふと久陽は今朝見たメールの内容を思い出す。
「そういえば、前に見つけた木箱の中身。あれって食べ物だった気が……」
急いで携帯を取り出して、送られてきたメッセージを確認する。すると確かに中には飲食物が入っていると書いてあった。
「事務室の神棚の近くか。それなら行ってみる価値ありそうだな」
「一応、纏まって動きましょう。あいつがここを見つけて襲ってくることも考えられるし、単独行動は危険だわ」
プードル達が配下に入ったことで、居場所がバレている可能性も否定はできない。最悪、ここを捨てて乾家に移動することも考えねばならないが、乾家は乾家で司が来る可能性は十分にある。いくら親戚付き合いが少ないとはいえ、年賀状で住所はバレているし、まったく来たことがないわけではない。
特に子供が産まれたり、誰かが亡くなったりしたときくらいは、顔を出すだけの付き合いはある。
「ここだと結界がない代わりに逃げやすい。二人の家だと結界があるとはいえ、集中攻撃を受け続けたら、どこまで耐えられるかわからない、か。俺も結界の張り方習っておけばよかったな。」
立ち上がりながら久陽は、どうにもならないことを呟く。今できることは食べて、休んで、体力を回復させることと。今後のことをひたすら議論するくらいのことだろう。
「――――って、不味いな。転移したままだったから靴履きっぱなしじゃんか。後で軽く掃いておかないと」
その場で一度、靴を抜いて玄関へと向かう久陽と善輝。その後に続く芽衣と朱理。その四人を後ろから見ながらムクとフウタは小さな声で会話する。それは、久陽たちと同じく司に対する危機感からだった。
『あいつの能力。どう思う?』
『言霊というには力が強すぎる。何かしらの縛りがあるとみて良い。それもかなり限定的な』
『俺たちにも効くと思うか?』
『効くだろうね』
『…………』
間髪入れずに返って来た答えにムクはため息をつくしかない。聞くまでもなく自分には防げないと思っていたからこその質問。フウタならば何か否定できる考えがあると思っていたが不発に終わった。




