邂逅Ⅸ
先程まで余裕の笑みを見せていた司の頬が引き攣る。
それもそうだろう。昔から続く伝統的な拷問の末に作り出した犬神の呪力に加え、自身の強制能力で犬神となってからも虐げられることにより、恨み辛みを増幅させた特別製の犬神が効かなかったのだ。焦るどころの騒ぎではない。
普通ならば、憑かせてゆっくりと衰弱するところを替えが効くからと使い捨てで放ったこともあり、その威力は即死級。よほどの結界や障壁を用意しなければ無傷で耐えるなど不可能だ。
一瞬、司は奪い取った二匹の犬神に意識を向ける。
「(ちっ、駄目だ。この程度の犬神の威力、たかが知れてる)」
自分の奥の手の犬神は使い捨てにするわけにはいかない。奪い取った二匹以外にも使用できる犬神がいないわけではないが、目の前の相手に無駄に消費するのも問題だ。
相手の犬神を奪い取れることと、必殺の一撃を決めること。この二点に絶対の自信があったからこその対応だったのに、それが裏目に出てしまった。
「お前、人間か?」
「おいおい、言うに事欠いてそれはないだろ。正真正銘、人間の両親から生まれた人の子だ」
久陽は前腕部を擦りながら、手が動くかどうかを確認する。骨が折れている様子はないが、本人の表情から察するに打撲程度には痛みがあると言った所か。腕全体が日焼けとは明らかに違う赤みを帯びている。
そこでようやく、あの一瞬の間に腕で犬神をガードしていたことに気付かされる。
「(いやいや、腕で防げるような代物じゃねえぞ、おい。最低でも腕の一本くらいは吹き飛んでろよ)」
そう思いながら司は目の前のプードル犬の一匹に特攻するように命じる。どうせ、相手は犬神を使えない。それならば適当に相手をさせておいて、自分は出直せばいい。
久陽のことは気に喰わないが、今すぐ殺さなければいけないというわけではない。だから、その標的は確実に攻撃が通るもう一人に向ける。
「――――殺せ」
そうは言ったものの久陽に放ったものほどではない。推測では昏倒させるには十分だが、後遺症も何も残らない程度の威力だ。
成功すれば、慕っている少年を無防備な状態で放置するはずがないという司の読み。撤退するにしても戦うにしても、久陽の行動を縛ることはできる。
「善輝、戻せ!」
「――――!」
まるで犬神が来ることが分かっていたかのように、久陽は素早く声を上げ、その声に反応した善輝が地面へと手を当てた。
それと同時に火薬が爆発したかのような轟音が響く。プードル犬が残像の尾を引いて善輝に向かう。その速度は実際には時速百キロに近い剛速球に近い物だが、体感では銃で撃たれるに等しい速さだ。
一秒にも満たない時間で到達するであろう犬神の弾丸は、善輝に届く瞬間、真っ黒な空間が間に立ちはだかった。
「むっ!?」
直後、犬神がその空間に穴をあけて消し飛ばす。そこには標的の善輝はおろか、久陽の姿も見当たらなかった。
目標を見失った犬神は、そのまま上空へと上がり、ヒュンヒュンと風を切って善輝を探すが捉えられないらしい。しばらくすると、司の傍へと落ちて来て、元の犬の姿へと戻る。霊だというのに、心なしか体が細く、やつれているように見えた。
「面妖な技を使う奴らだ。次に会う時にはもう少し準備をしておかないとな」
頭を掻きむしりながら溜息をつく。一瞬で終わるはずだった仕事が長引くのは、面倒以外の何物でもない。今まで何人もの命を軽々と奪ってきた司だが、ここまで明らかな失敗を目の当たりにしたのは初めてだ。
面倒の一言で済ませるだけでは足りない。腹立たしさや苛立ちといった怒りの感情を自覚する一方で、次はどうやろうかという、現状を楽しんでいる自分に気付く。
「どうせなら最高に愉快に、そして最悪に絶望する形でぶち殺してやろう」
手の骨を鳴らしながら醜悪な笑みを浮かべる。そんな彼の周りを音もなく四つの影が取り囲んだ。
『弟たちを――――返せ!』
六匹いたプードル犬の残りが異変を察知して集まって来たのだ。それも芽衣の静止を振り切って。
あまりにも脆弱な姿で自分を脅す。それがあまりにも滑稽で司は笑いを我慢できなかった。プードル達はそれを挑発と捉えたのか。一斉に司へと飛び掛かる。
笑みを崩すことなく、司は一言告げた。
「――――俺に従え」
次話投稿日時 8月12日 15:00




