邂逅Ⅵ
波の音しか聞こえない中、アスファルトから立ち上る熱気を受けながらも、一人の男が海岸沿いの道を歩いていた。小さな子供がやる様に堤防の上に立ち、ポケットに手を突っ込んだまま口に煙草を咥えている。
海を眺めながら歩くその姿は、ホストっぽい格好のせいで違和感があるが、そんな感想を抱く者は周囲に一人もいない。
「ちっ、めんどくせーことになったな」
いくら風があるとはいえ、この季節にスーツは自殺行為だ。額を汗が伝い、頬から顎へと流れ、そして地面へと落ちる。雫がコンクリートに広がる前に男の足は既にそれを踏み越えていく。
特に急ぐわけでもなく、ただフラフラと当てもなく彷徨っているようにも見える。そんな彼の足がゆっくりと止まる。
「俺に何か用か? ガキども」
距離にして十メートル弱。そこまで声を張り上げているようには見えないが、その声は鋭く目の前の人物たちに突き刺さった。一人は久陽、もう一人は善輝である。
二人はまるで身長よりも大きい大太鼓の音を間近で聞いたように体を突き抜けていく声に体が動かなかった。
一声だけでここまで力量差を知ることになった善輝は、一歩後ずさる。
「あなた、犬伏司さんで合ってますか?」
「ああん? だったら、何だってんだ」
いかにもチンピラですという口調で問いを返してくる男、犬伏司。犬伏家の長男で相当のやり手という噂がある犬神使い。
久陽も会ったことがあるのは片手で足りるほどだったはずだ。
だが記憶に目の前の男の容姿はほとんど残っていない。芽衣やムクの前では雑な呼び方をしていたが、流石に協力を求める手前、敬語くらいは使わないとまずいだろう。
「ここでどんどん人が消えて行ってるんです。あなたなら何かご存じかと思って来たんですが」
「なるほどな。俺の名前もこんな辺境まで届くようになったか。結構、結構――――」
辺境などと言われて善輝がムッとするが、久陽はその前に立つことで余計な言葉が出ないように遮る。
「――――だが、気に入らねえな。まず自分の名前を名乗ってから質問しやがれ」
「失礼しました。自分は犬塚久陽と言い――――」
久陽はそこまで言って声が途切れる。司の口がまるで口裂け女のように、不気味なほど口角を吊り上げたからだ。得体のしれない不安に冷や汗が背中を伝うのがわかるが、ここで退くわけにもいかない。
次の反応を待っていると、喉の奥で声を押し殺したような笑いが聞こえて来た。
「くっくっくっ、まさかそっちから来てくれるとはな。それで? その小さな犬の浮遊霊を携えて何だ。今から芸でも見せてくれるのか?」
「先ほども言った通り、この異常な世界について知っていることを教えていただきたいのですが」
売り言葉に買い言葉ではないが、本題になかなか触れようとしない司の態度に久陽の言葉も若干、早口になり始める。その様子がおかしかったのか。司は更に見下したように二人を睨む。
「そうだな。知っていると言えば知っているし、知らんと言えば知らん。……意味が分かるな?」
「兄さん。アイツなんかヤバそうですよ。やっぱりやめておきましょう」
何とか勇気を振り絞って横に並んだ善輝が小声で久陽に警告する。
だが、久陽はそれを無視して言葉を紡いだ。
「――――何が条件ですか?」
答えはお前たちの態度次第。そう理解できる言葉に久陽は、眼を逸らさずに問い返す。別に無茶難題を突き付けられたら、ここを立ち去るだけだ。何の成果も得られないが、無駄な労力を使う必要がないと判断できれば、撤退も視野に入れるべきである。
目の前の男が非協力的だという情報で十分。そう思いながら返事を待っていると耳を疑う言葉が聞こえて来た。
「そうか、自分の立場が分かってないようだな。じゃあ、死ね」
「は――――!?」
――――ズドンッ!!
まるで車に跳ねられたような轟音と共に久陽の体が後方へと吹き飛んだ。道路の上を軽くバウンドした後、横倒しになった体がゴロゴロとセンターライン付近を転がって行き、七、八メートルのところでやっと止まった。




