決断Ⅵ
屋上まで来た久陽は、赤い文字で大きく「開放厳禁」と掛かれた扉の鍵を開けて、屋上へと辿り着く。
扉を開けた瞬間に外の暖かい空気が流れ込むと同時に、肌を刺すような日光が飛び込んで来た。
「相変わらず、暑いな」
『そんなことを言っている暇があるなら、さっさとお探し』
「わかってるって」
久陽は身体強化の法を発動させると、その大部分の力を眼に集中させる。真っ先に目を向けたのは北側だった。異界と言えども現実世界の影響は受ける。そうでなければ、昼夜問わず物の怪が侵入して跋扈する世の中になっているだろう。
逆に言えば、陽の光がある方は異界であっても何かしらの力の行使は難しいと言えるかもしれない。今回に限って言うのであれば、境界が発生しにくいと考えられる。それならば、逆側である北を見ればいいという判断だ。
「お、見える見える」
すぐに久陽はペンを走らせ、地図に楕円を書き込んでいく。国道は勿論、それ以外の道も地割れが存在するほか、隆起や陥没によって所々が通行できなくなっていた。
『おかしいな』
「何が?」
『ここに来るまでに通った道は何も起きていない部分が多かった。だが、今、目印を付けたところは、その私たちが通った場所ではなかったかな?』
久陽が書いていた地図を透けている裏側から読み取ったフウタに驚きながらも、その指摘を確認する。
「そうだな。確か、ここは芽衣がプードルに向かうよう指示を出した最初の川だったか?」
『まさかとは思うが……現在進行形で、地割れや崖崩れが起きているというのか?』
「可能性は高いな。何せ、人がどんどん消えてってるんだ。少なくとも、俺の目の届く範囲は人っ子一人いない。家の中でじっとしている人もいるかもしれないが、それは確認できないな」
二つ目、三つ目、と素早く丸を書きこんでいく久陽に対し、フウタは頭を回転させて、起きている現象について考えを巡らせる。
災害が起きるから人がいなくなったのか。人がいなくなったから災害が起きるのか。それに関しては前者だろう。地割れや崖崩れは境界の発生、もしくは境界から何かが侵入してきた痕跡だと考えれば納得がいく。
では、その原因は何か。日本は地震大国で、この地域では特に大地震が百十数年単位で繰り返されていると聞く。
しかし、それが原因で神隠しが起きるのならば、普段の地震でも起きているはずであるし、ニュースにもなっているはずだ。
『意図的に誰かが引き起こしている……?』
呟いたフウタであったが、それはすぐに否定する。これだけの大規模なことは個人でできることではない。
もし呪霊や怪異の仕業であるというのならば、数百年以上の力を溜め込んだ存在だ。
もちろん、死した後に雷を落としまくった怨霊・菅原道真公のような即座に力を発揮する例もないわけではないが、この現代においてそれができるような傑物はいないだろう。
故に可能性としては九尾の狐・玉藻の前、鬼の総大将・酒呑童子のような大妖怪が考えられる。狐も鬼も神隠しの原因としては十分だからだ。
尤も、前者の玉藻の前はどちらかといえば、国のトップに君臨する男を誑かすことを得意としている。狐が原因となっている神隠しもただの悪戯で生還率は高い。
そう考えれば危険視するべきは鬼である。酒呑童子ではないにしろ、鬼はその存在自体が爆弾並みに危険だ。神隠しの原因が鬼の時は生還率が低く、絶望的ともいわれる。
最悪の状況を考えるならば、鬼が原因なのではないか、とフウタは考えていた。
「何だ……あれ?」
『どうした?』
久陽の呟きが気になり、フウタは呼びかける。しばしの沈黙の後、久陽は険しい顔でフウタに告げる。
「さっき向こうの――――図書館がある方なんだけど、一瞬だけど人影が見えたんだ。でも――――」
『でも、何だい?』
「こう……蜃気楼みたいに消えたように見えた、気がする」
現実だったのか。幻だったのか。確証がもてず思わず声を出してしまったという久陽。それを聞いてフウタはまた頭を悩ませる。
この世の不可思議な現象は一通り連二や美香の話を聞いて知っていたが、実際に見るのと聞くのとでは違う。久陽の見たものが一体何なのか、皆目見当もつかないが、神隠しの現象を見たというのが一番無難だろう。
『時間は有限だ。今はわかったこと見つけたことを書いておくんだ。今見たこともだ』
「わかった。そっちでも見ていて気付いたことを言ってくれ」
一人と一匹は互いに声を掛け合いながら地図へと情報を追加していく。その背中をそっと見ている者がいることも知らずに。




