決断Ⅴ
ペンを筆箱の中から出してその上に置くと、善輝は一本ずつ芽衣と朱理に手渡しながら言う。
「ムクは午前中に崖崩れや地割れがある場所を見て来たんだよな? 朱理、ムクが言った場所を書いて行ってくれ。芽衣姉さんはプードル達が見つけた地割れとかを書いて欲しい」
「それはいいけど、何であなたまでペンを持ってるの?」
「もちろん、こうするためですよ」
その返事と共に彼の背後から三匹の黒い犬が飛び出てくる。平面のようでもあり、立体のようでもある彼らは、何も言わずとも即座に三方へと散って、姿を消してしまった。
「姉さんとムクが確かめられなかったところは、俺が行きます。そうすれば久陽兄さんの言った何かが見えてくるかもしれません」
「そうだけど……こいつはどうするの? 何もやることがないみたいだけど」
芽衣がジト目で久陽を見る。
犬神を使えず、地図に書き込むこともせず、ただいるだけなのは気が散る。仮にフウタを行かせたとしても連絡を取る手段がない。
だが、善輝はそこまで考えて割り振りをしていたようだ。
「兄さん。屋上に行って見える範囲でいいので情報をこれに書き込んできてください。身体強化の法が特異な兄さんなら死角でなければかなり遠くまで見通せるはずですよね」
「ああ、もちろんだ。その点に関しては任せてくれ。あまり離れ過ぎると、自信が無いけどな」
久陽は胸を張って言い切る。善輝の言う通り、死角でなければ多少遠くにある物でも見分けることはできる。ましてやそれが車の通れなくなるような大きな地割れならばなおさらだ。
ただ懸念事項がないわけではない。ここにはまだ誰かを襲った何者かが紛れ込んでいる可能性がある。その中で単独行動するのは得策とは言えない。
『……私も着いて行こう』
「いいのか。フウタ。俺じゃなく朱理ちゃんと一緒にいた方が――――」
『ここにはムクもいるし、善輝はいつでも影犬を一瞬で呼び寄せることができる。戦力としてなら、この部屋に私が一匹いるかいないかは誤差程度のものだ』
早々に立ち上がったフウタは、ついて来いと言わんばかりに玄関へと向かって行く。部屋と玄関の境で振り返ると久陽に向かって挑発的に問いかける。
『まさか、とは思うが……怖いから行きたくない、などとは言うまい?』
「何だと!? 今すぐ、俺の眼の良さを見せてやるから覚悟しておけ。後で尻尾を巻いて逃げるなよ!?」
『ははは、頼もしい坊やだ。有言実行する姿を見せてもらおうじゃないか』
善輝が持って来たマップの一つとペンを握ると、わざとらしく足音を立てながら玄関へと向かう。軽くペン先を出して腕をなぞり、インクが出ることを確認すると振り返って指を四本立てる。
「四十分だ。その時間になっても戻らなかったら、俺たちに何かあったと思ってくれ。それまでには全部の確認が終わってなくても戻って来る。」
「縁起でもないことを言わないで……でも、無事に帰ってきてちょうだい」
「任せとけ。ちょっとやそっとのことじゃ俺はやられないからな」
親指をぐっと立てて久陽は玄関を出ていく。外から鍵が閉まった後、二度ほど扉を軽く揺する音が聞こえた。
芽衣は部屋の時計を確認する。時刻は十二時三十分手前。久陽の言った四十分の間にどこまで書き込むことができるか。可能ならば久陽が戻ってくる前に少しでも何かに気付けることを願って、芽衣はプードル達に思念を送る。
数秒のラグの後、彼らから覚えている限りの情報が矢継ぎ早に送られてきた。
「海側の道……国道ね。そこにある店の名前は――――」
思念とこんがらがりそうになるのを抑えるために、自然と口で話し始める芽衣。その横では、ムクが朱理に手を地図に置いて書き込む場所を示し、口頭でどれくらいの範囲で災害が広がっているか詳細を伝えていく。
その間、善輝は微動だにしなかった。近すぎる場所や芽衣の言葉から推測したプードル犬がいそうな場所を避け、久陽の死角になりそうな場所かつ海側を除いた三方向へと向かわせた。条件に合う場所までには、少しばかり時間がかかるが問題はない。
ペンを握る手に力が入る。
今まで超常現象は目の前の犬神たち以外で起こったことはない。それが今は自分自身が巻き込まれているかもしれない状況に、不謹慎ではあるがテンションが上がるのを抑えきれていない自分がいることに善輝は気付いていた。




