決断Ⅳ
「私も犬神使いの端くれ。あの子がどの程度の力を持っているか測れないほど馬鹿じゃないわ。あれだけの器で、契約をできないということは何かしら別の理由があるのよね?」
『……やはり、わかってしまうか』
フウタは自嘲気味に呟いた。
芽衣へと背を向け、ずっと続く廊下の向こう側へと視線を向ける。その背中には迷いが見えたが、芽衣はフウタが話し始めるまでじっと待ち続けた。
『あの子が物心つく前に、私が死んだのは知っているな』
「ええ、三歳くらいの頃でしょう?」
『死因は、野犬に食い殺されたことだ』
芽衣は何も言葉を発さない。その瞳が大きく開かれるが、フウタは更に言葉を続ける。その声には怒りとも悲しみとも言えない感情が混ざっていた。
『あの頃はまだ、物理的な侵入に対する結界が張られて無くてな。それにやられた後は、一緒にいた朱理へとその毒牙が向けられた』
「でも、朱理ちゃんは生きている」
『そうだ。まだ幼かった善輝が身を挺して庇ってくれた。あいつの影犬はその時に発現したものだ。野良犬の首など跡形も残ることなく消し飛んだのを薄れゆく意識の中で見た。確かにな』
善輝の後頭部と耳に昔からある傷跡。それはその時についたものなのだろう。芽衣はそう想像しながら、耳を傾ける。
同時に、それが何故、朱理が犬神の契約を結べないのか。その疑問が胸中に渦巻いていた。
芽衣の考えを読み取ったかのようにフウタは振り返って、言い放った。
『トラウマ。お前たちの世界ではそう呼ばれているらしいな。犬に襲われた。兄が傷ついた。その事実と共に影犬という犬神の存在が一緒に残ってしまっているのだろう。心の奥底で、あの子は犬神という存在に恐怖を抱いている』
「だから、あなたはずっとあの子の側に……?」
あの時に救えなかったからこそ、今度は守り切る。犬神は危険な存在でないと、時間をかけて恐怖を取り除く。フウタは命を失ったあの瞬間から、今日この時までずっとそれだけの為に朱理に寄り添って来ていた。
芽衣の疑問にフウタは微笑むだけで返事をしなかった。だが、そういうことなのだろう。
『憐れんでくれるなよ。何も悪いことばかりではない。あの子たちがああやって大きくなっていく姿を見れるだけでも幸せなのだから』
「柄にもないことを言い出して……やめてよね。そういうの死亡フラグって言うんだから」
『ははは、既に死んでいる私が死ぬには、よほど強い呪霊でもぶつけない限り無理な話さ。やることはやって、成仏するつもりだからな』
暗くなった雰囲気を笑い飛ばすかのようにフウタは振舞う。その姿に芽衣は拳骨の一発でも落として、小一時間説教してやりたい気分になったが、部屋の中も心配であった。
仕方なく、握った拳を開いて扉へと手をかける。
「一応、言っておくけど……、朱理ちゃんはあなたが思ってるよりも強く子よ」
『知っているよ。だが、君が思っているよりも強くないのも確かだ』
一瞬、二人の間で火花が散ったかのように思われたが、すぐに芽衣は笑顔で扉を開く。
「さて、あの馬鹿がしっかり話をできているか確認しに行きましょう」
『ああ、坊やだけでは心配だからな。頭はいい癖に、一言二言余分にしゃべる気がある。肝心な時には、逆に足りないと来たもんだから手に負えない。将来の嫁は苦労しそうだな』
「な、なにを急に言ってるのよ?」
開ききった所で、芽衣は慌ててフウタへ振り返る。珍しく、ムクのしてやったりした顔によく似たフウタがそこに立っていた。
『うん? どうした。私はまだ見ぬ坊やの未来の嫁に対して言っただけだ。何故、君がそこまで慌てるんだ?』
「う、ううう、うるさいわね。関係ないでしょ」
顔を赤くして、さっさと扉を閉めて部屋へと戻って行く芽衣。彼女よりも長く生きた老犬神は笑いを押し殺しながらゆっくりとその後を追う。




