喪失Ⅲ
エントランスはもぬけの殻になっており、受付にすら人がいない。ただ時折、小さく波の音が響いて来るだけだ。それほどまでに静かになってしまったことに、少し不安を覚えながらも久陽は前へと進む。
「受付にも人がいないのは変ね」
「もしかしたら、停電の対応で忙しいのかもしれません」
水も電気も止まって復旧が長引けば命の危険すらありうる。そういう意味では朱理の言っていることはあながち間違いではないのかもしれない
。カウンターまで来たところで、耳を澄ませてみるが、奥から従業員の声が聞こえては来なかった。
「あのー、すいませーん」
芽衣が少し声を張り上げて、呼びかけてみるが反応は帰って来ない。今度は口元に手を当てて、さらに力を込めてみるが結果は変わらなかった。
その様子を見て、善輝が首を傾げる。
「おかしいな。いくら停電と断水だからって人が一人もいないなんて、あり得るかな?」
「こうなったら、少し覗いてみるか」
久陽は申し訳なさそうにカウンターの脇から内側へ入ると、事務室へと繋がるドアをノックした。芽衣の時と同じく、反応はない。慎重にドアノブに手を触れると、小さな金属音と共に周り、ほんの少しの力でドアが動く。
久陽はそのまま振り返って全員の顔を一度確認した後、音を立てないようにそっと扉を開けた。
「……あのー、すいま――――」
それ以上は言葉にならなかった。或いは出す必要がなかったと言い換えても問題ない。その部屋にはつい最近踏み入れたことがあったが、一歩中に入れば一目でわかる程度には従業員がいたはずだった。
しかし、今は誰一人としておらず、ただただ物だけが存在する部屋が広がっていた。机の上には書類が散らばり、椅子は立ち上がった拍子に動いて出たままか、酷い物は横倒しになっている。
床には辞書が床に転がり、そこもまた書類が散乱している。
誰かが電話でもしていたのだろうか。受話器が外れ、コードが伸びきって床近くまで垂れていた。
「誰も、いない?」
「ちょっと、それはおかしいわね。何か近くで事故とかあったのかしら」
「ここが火事とかになったならまだしも、そんな様子はないな」
久陽の後を追って芽衣が部屋へと踏み入れるが、抱いた感想は同じだったようだ。この状況は明らかにおかしい。そう理性も本能も告げていた。
乾兄妹も続いてくる中、何か手掛かりはないかと久陽と芽衣は中を散策する。するとすぐに芽衣が声を上げた。
「見て、このカップ麺。まだ入れたばかりで温かいわ。少なくとも、つい先ほどまでは誰かがいた証拠よ」
「芽衣姉さん。アニメの探偵みたい。」
「よしてよ。当たり前のことをいっただけなんだから」
照れくさそうに手を振る芽衣だったが、その反対側では久陽が腕を組んで、目の前とその両脇にある机を見ながら唸っていた。
ぱっと見て、手掛かりになるようなものは見つからないからだ。それ故、久陽は従業員が外に出なければいけない何かがあったのだと考える。
「そうだとしたら、一体どこに? 一応、エントランスの自動ドアは手動に切り替えれば開けられるけど、簡単には動かない。それなら従業員専用の勝手口を使った方が楽だと思うんだけど、そっちも見てみるか?」
『そっちは俺たちが見てこよう。俺たちは机の上だと力を使って浮かんだり跳び乗ったりでもしない限り見れないから、そっちをお前らに頼む』
「わかった」
ムクがフウタを連れていく中、久陽はもう一度、机の上を観察する。あまり褒められたことではないが、机の上にある付箋などの走り書きにも目を通してみた。
今日やらなければいけない仕事、電話の相手と思われる人の名前と所属に用件、旅館のキャンセル状況など、内容は様々だ。
その中で久陽は一度、目を離した後に、すぐに視線を戻した。釘付けになったのは白い紙に短く書かれた文であった。
――――至急連絡 対応不可能 避難を
ほとんど筆記体に近い形で走り書きされたそれは、よく見なくても善輝たちの父親、連二のものだと手紙や品物の郵送で見慣れていた勇輝は気付くことができた。




