孤立Ⅰ
八月十二日、午前六時。
昨日同様、久陽は規則正しく目を覚ました。海で遊んだことと、慣れない枕で寝たこともあってか少しばかり首を寝違えてしまっていた。
「いっつつつ……。」
手で首を伸ばしつつ、久陽は薄明かりに照らされた部屋の時計を見る。秒針が細かい振動をしながら、一つずつ時を刻む。一定のリズムで鳴る音がやけに大きく響くように感じた。
「(――――やけに静かだな)」
芽衣を起こさないようにしながら、ゆっくりと窓に近寄って僅かに外を覗く。空は半分ほどが白い雲に覆われていたが、天気予報通り雨が降る気配は一切ない。仮に降ったとしても十数分で止むレベルだろう。
海も穏やかで、幾つか船がゆっくりと進んでいる様子が見える。
一見、何もない平和な一日に見えるのだが、久陽はどこか胸騒ぎを覚えていた。
「雀が、鳴いてないな」
昨日はチュンチュンと騒がしかった雀の声が聞こえない。雀なんてどこにでもいる鳥なのに、それが忽然と姿を消したとでもいうのだろうか。周りを見渡してみるが、雀どころか鳩も烏もいなければ、海鳥ですら見えない。
嵐か何かでも来る予兆かと不安になって、布団まで戻って携帯を操作する。出て来た天気ネットの予報は降水確率十パーセント。風速は二メートル。突風・雷の注意報もなし。至って安全だ。しいて言うならば、紫外線の量が非常に多いくらいだろう。
「やっぱり、昨日拾った奴が原因ではないんだよな……?」
もう一度、久陽は携帯を操作してメールを開く。そこには美香からの連絡が昨夜十一時に入っていた。中身はペットボトルや缶詰、桃、お菓子と言った飲食物のみ。周りに貼られていたお札は神道系列のものらしく、辛うじて読み取れた神格の名は意富加牟豆美命。
伊邪那岐が黄泉平坂を伊弉冉たちから逃げる際に助けた桃のことである。木箱本体も桃の木から作られているようで、ほぼ間違いないだろうこと。そして、それを祀る神社の位置からすると徳島辺りから流れ着いたと予測できることが記されていた。
最後に、実害はほぼないどころかご利益すらありそうだということで事務所にある神棚の下に、一度お供えした後、久陽たちに渡すから食べたければ食べて良いという旨だった。
海から流れ着いたものを食べるのもどうかと思うが、美香が言うと大丈夫だと思えるあたり余程、信頼しているのだと久陽は笑みを浮かべてしまう。
『何だ。朝風呂に行くのか?』
「――――いいや。ここに来てから変なことが起こってるからな。入るのは当分、夜だけで我慢する」
起きていたムクに問われ、久陽は即答する。
まだ初日の穢れや不意に現れる犬など原因不明の事件が解決していない。今までの修行の中で、種類こそ違えど、予測できなかった事故・事件は何度かあった。それ故に、今回もこれだけでは終わらないという確信が久陽の中にはある。
だから安易に一人で行動するのは諦めることにした。何事も起こらないのならば、芽衣にしっかりみっちり勉強を叩き込んで、最後の日に朝風呂を楽しんで、気持ちよく出て行けばいい。
『そうか、悪いな』
「何だよ。急に。変な物でも食ったか?」
『前言撤回だ。楽しみが奪われて残念だったな。ビビり小僧』
「ちょっと……朝っぱらから喧嘩しないでよ」
ムクは小さな声で久陽を睨む。
だが、その声で芽衣は起きたらしく、のそりと上半身を起こす。女の子座りしながら目を擦っている芽衣であったが、すぐに久陽が片手で頭を抱えていることに気付く。
「なに? どうしたの?」
「その前に一つ言っておく。お前の隣にいるのは男だ。少しは格好を気にしろ」
「はぁ?」
芽衣は視線をすぐ下に向ける。浴衣がはだけており、辛うじてではあるがその隙間から下着が覗いていた。
「ちょっ!? そういうのは早く言いなさいよね!?」
『いや、流石に今のは俺でも久陽が悪くないってのはわかるぞ。もう少し、警戒ってものをした方がいいんじゃないか?』
「わ、悪かったわね。寝相が悪くて」
『そういう意味ではないのだが……まあ、仕方ないか』
二日続けて、そういう流れになるのは久陽だからか。それとも芽衣だからか。少なくとも、久陽に厳しいムクでも、主である芽衣を庇えない程度には彼女の寝ぼけ具合は酷かった。




