漂着物Ⅶ
「おい、そんなところに座ってないで、さっさと行くぞ。今日も夕飯は旅館で食べて良いって許可出てるんだから」
「えっ!? 良いの!?」
「ああ、家に夕食用のチケットが置いてあったからな。そういうことだと思う」
色気より食い気とは、彼女の為にある言葉なのだろう。
先程までのホストの恋愛事情のことなど忘れ、既に彼女の頭の中は夕食のデザートに何を食べるのかということでいっぱいであった。
『いつものこと、いつものこと』
フウタはそう言って、ケラケラと笑う。昨日もそんな様子だったと思い出していたのだろう。この様子だと、普段の家でもデザートが出た時は、同じように目を輝かせているのが想像できる。
善輝が呆れたように踵を返したのを契機に、全員旅館へと向けて歩き出す。三つのデッキから見える海の景色を見ながら歩けば、十数分かかる道のりなどないに等しい。そう思いながら歩いていく四人。
実際、その通りで明日はどうするかを話している内にすぐに旅館が見えてくる。
「流石に明日はお遊びはなし。少なくとも最終日前日くらいまでは集中したいから」
「えー!? じゃあ、ここに居られる間、全然遊べないじゃないですか!」
「いや、そもそもここに芽衣姉さんが来た理由考えろよ」
流石の善輝も朱理の頭に軽くチョップを落とす。遊びたい盛りなのは理解できるが、それでは迷惑以外の何物でもない。彼自身もそういう気持ちがないわけではないが、迷惑になりそうなら力づくでも朱理を引っ張って帰るくらいの覚悟はしていた。
「そうね。息抜きに部屋の中で遊べるトランプとかだったら構わないけど……、それでいいかしら?」
「うん! オッケーです。」
「いいんかい!? あまり朱理を甘やかさないでくださいよ。一度、甘やかすと更に甘えてきますから」
「いいのよ。外に出て遊ぶのは無理だけど、それくらいなら。それにトランプとかって勉強とは違う頭の使い方するから、決して無駄じゃないと思ってるの」
久陽もそれに同意する。
場合分けや確率といった立式や計算とは違う数学的な考え方が必要な場面があるのは間違いない。もちろん、駆け引きや心理戦という部分でも考えすぎなければ、むしろ楽しんでリラックスできるはずだ。受験勉強をひたすらやるよりは、その方が心に余裕も出る。
そういう意味では久陽は海に出ないまでも、朱理の遊ぶという案に関しては賛成だった。
「そうだな。三時間くらい勉強したら遊んで飯食って、また午後もそれをやるって感じならいいんじゃないか?」
「ちょ、ちょっと待って久陽さん。明日、何時から勉強する予定なんです?」
朱理が顔を引き攣らせながら聞いて来るので、久陽は当たり前のように言い放つ。
「朝八時からだけど? 家ならすぐに飯が食えるから七時開始でもいいんだけどな。そこは色々あるし、その分、午後とか夜も頑張るってことで」
「どうせ朝風呂に入る時間を確保したいからでしょ」
「……バレたか」
まだ握ったままの久陽の手首を芽衣が強く握る。
少し勉強をすることに見栄を張ろうとしたが、己の欲望が原因であることを瞬時で見抜かれてしまっては立つ瀬がない。下手に言い訳せずに久陽は降参とばかりに空いている手を挙げた。
「でも、これだけ綺麗な海を一望できるんだ。温泉に長く浸かりたくなるのはわかるだろ?」
そう言って久陽は西日に照らされる海を眺める。
小さな無数の波が光を乱反射し、自然のイルミネーションと化していた。夜は月明かりだけでなく、街の光もあるため、よりカラフルな色に海岸が染まる。
「ただ、この浜は旅館からは見にくいんだよな。夜とか、ここで散歩するのもいいんじゃないか?」
「えっ!? それ私に言ってるのかしら?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
久陽の言葉に動揺する芽衣。そして、その二人の様子を視界に入れてテンションを上げる朱理に、意外そうな顔をする善輝。
「フェルマーの最終定理を解き明かした人も言ってたぞ。考えに詰まったら、よく散歩するって」
ガクリ、と三人と二匹の膝が崩れ落ちそうになった。




