漂着物Ⅴ
後ろを一度振り返って男たちの様子を確認すると、どうやら、まだ立ち上がれずにいる。久陽たちの方を気にする余裕がないようだ。一先ず安心して、久陽はそのまま歩き続ける。
しばらくすると、芽衣が戸惑った声で問いかけて来た。
「ちょ、ちょっと、いつまで手を繋いでるつもり?」
「あいつらの目が届かなくなるまでは、こうしておいた方が良いだろ。視界に入る内はそういうふりをしておけって」
追ってきて、後で芽衣だけ狙われるというのも面倒だ。それならば、少なくとも浜から旅館に戻る間は演技であっても続けておく必要がある。尤も、そこまで追って来るようならば最悪、ムクとフウタか警察の出番になってしまうわけだが。
「そ、それなら仕方ないわね。じゃあ、こんな感じでいいかしら?」
「ま、待て、それはやりすぎ!?」
芽衣は久陽を引き寄せると大胆にも腕にしがみ付いてきた。流石の久陽もこれには面食らうしかない。どれだけ冷静になろうとも、腕に伝わってくる柔らかい感触に、男の性としては逆らうことができないからだ。
しばらく、互いに赤面したまま沈黙の時間が続く。
「……な、なによ。何か言いなさいよ」
「いや……、この後、何されるかわからないけど、お手柔らかにお願いします」
助ける為とはいえ、ここまで芽衣にさせてしまってのだ。ムクは当然として、芽衣に何されるか分かったものではない。ビンタの一発で済めばいいと、今更ながらに後悔している久陽だが、芽衣自身は感謝こそすれ怒ってなどいなかった。
「――――そういう所、ほんっと昔っから変わらないのね」
「な、何だよ。急に……昔っていつのことだ?」
「教えてあーげない」
恥ずかしさよりも悪戯心が勝ったのか。先程よりも笑顔で強く抱き着く芽衣。慌てる久陽の様を楽しむ余裕すら見せる。
『(――――昔、ね。きっと、あの時のことだろうな)』
ムクは二人の姿を追いながらも、どこか遠い目をして、かつてあった事件を思い出す。
それはまだ二人が中学生と小学生だった頃、今日のように陽がまだなかなか落ちない暑い夏の日のことだ。
家を二人で抜け出して、久陽と芽衣、犬神になる前のムクで山の中で遊んでいた時に起こってしまった事件。犬神を使役する力に目覚めたての芽衣が、そこらじゅうの犬の霊を己の使役下においてしまった。
それだけならば問題はなかった。問題だったのは芽衣の能力が目覚めたてで、正しい術式の使い方も、契約の切り方も、犬神の返し方も学んでいなかったことだ。
多くの犬神は制御を失い、暴走。犬神とは元々は呪詛の類の術式だ。それ故に起こることは一つのみ。呪詛返しという名の術者本人への逆流である。
低級霊とはいえ呪詛となった犬神も数が多ければ、子供の一人や二人、呪い殺すことなど容易い。もし、そのまま身に受けていれば即死は間違いなかったはずだ。だが、その時は訪れなかった。
身体強化の法を身に纏った久陽が咄嗟に芽衣を庇い、その全てを受け止めたのが功を奏した。結果として久陽は、腕や背中などに無数の裂傷、咬傷が刻まれ、大量出血。三日三晩を三途の川で過ごす羽目となった。今でも、その傷の一部は生涯残るだろうと言われている。
ムクは芽衣が抱き着きながらも、その傷跡にそっと指を這わせているのを見て、顔を顰めた。
『(元は、そいつが家から出ることを許可しなきゃ起こらなかったはずなんだがな)』
たらればの話だが、ムクは今でもそう思っている。だからこそ、久陽に対して今でも強く当たってしまうのだ。そして、同時にそれが芽衣を守れなかった己の不甲斐なさから、八つ当たりしていることにも気付いていた。
それは芽衣も似たようなもので、そんなことがあったからこそ犬神が使えない久陽を信頼している。そして同時に、そのことを卑下する彼にイラついてもいる。
どこか素直になれない所はそっくりだ、とムクは自嘲気味に笑っていると、いつの間にか乾兄妹のいるところに近づいたようで、二人の呼ぶ声が遠くから聞こえて来た。




