夢か現かⅣ
ふと思い出したようにムクが久陽へと問いかける。
『そういや、久陽。お前、あいつのことで何か最近、親から何か聞いてないか?』
「え? 芽衣のことでか?」
頷くムクを見て、久陽は腕を組んで思い出そうとする。
少なくとも、ここ一年で聞いた話だと今回の家庭教師の提案くらいだ。後は今年で受験生であるとか、ムクと一緒に地縛霊になりかけていた犬の霊をまとめて手懐けたとか、より可愛いい娘になって欲しいとか。他愛のない話くらいしか思い出せない。
『あいつが自分から言うまで黙ってようと思ったんだがな。犬伏家は知っているな?』
「あぁ、確か俺より二歳年上の凄い使い手がいる家だろ?」
犬伏家もまた久陽たちと源流を同じくする犬神を扱う家系の一族だ。久陽たちが住んでいる所からは遠く離れた場所に数世代前に移り住んだと聞いている。何でも、犬神の力をさらに強くするために、その力を受け継いでいる血や犬神を求めての行動ということだ。
久陽もその家系の者とは顔をほとんど合わせたことがなく、何かの集まりか、年賀状などの写真で見たことがある程度だ。尤も、耳に入って来る情報はあまり気持ちのいいものではない。
『そうだ。確か名前は……司と言ったか。なかなかいけ好かない野郎だ。長い付き合いになるなら、お前の方が千倍マシなんてレベルじゃない。まさに天と地ほどの差があるってやつだ』
「おいおい、まるで会ったことがあるみたいな言い方じゃないか」
『来たんだよ。そいつが、わざわざこっちの県までな』
吐き捨てるようにムクは言い放つ。
久陽にはそれが心の底から出た偽りない本心であることを即座に理解する。今まで自分に対する嫌悪感を露にしたような行動を何度も見てきたが、それがただの冗談であると感じる位に、ムクの言葉には怒りや憎しみと言った負の感情が含まれていた。
『あの野郎の目的は――――』
「きゃあああああああああああ!!」
耳をつんざく甲高い悲鳴が風呂場から響く。
ムクが何事かと振り返って一歩踏み出す。その横を久陽が一瞬で駆け抜けていく。いや、正確には僅か一、二歩で加速して、低空を飛んでいるに近い状態だった。床に足がついた瞬間、裸足と木の床で引き起こしたとは思えないほどの摩擦音が短く鳴る。
「おい! 何があった!?」
不用心にも扉にカギはかかっておらず、すぐに抵抗なく横にスライドさせることができた。脱衣所に足を踏み入れると、風呂場に通じるドアが勢いよく開いて芽衣が飛び出て来る。そのままの勢いで久陽へとしがみ付くと、声を震わせながら捲し立てた。
「で、ででで、出た! 出た出た出た!! もう、何とかして!」
「お、落ち着け! 一体、何が出たんだ!」
久陽も感染したかのように焦り出す。
理由は単純明快だ。一つは、体を拭かずに密着したことで着替えたばかりの服が濡れてしまったこと。そして、もう一つは密着している芽衣が一糸纏わぬ生まれた姿のままでしがみ付いていることだ。
久陽も本人も――――指摘すると酷い目に合うが――――慎ましい胸だと認めているそれであったが、実際に触れるとそのようなことは、もはや関係ない。久陽の中にある理性に亀裂を入れるのはあまりにも容易かった。
残った理性を総動員して、状況の把握と一刻も早く芽衣を引き剝がそうという急ぐ久陽。ただ、その途中で気付いてしまう。引き剥がしたら、それはそれで目の行き場に困るのではないか、と。
一瞬、フリーズしかける脳をフル回転させ、第一目標を状況の把握に指定する。
「とりあえず、何があった!?」
「だから、出たって言ってるでしょ! 察しなさいよ!」
しかし、芽衣は風呂場の方を指差して喚くだけで、一向にヒントは得られない。わかることは風呂場に何かがいるということ。そこまで考えて、久陽の中で身体強化の法の出力が跳ね上がる。
「(――――まさか、さっきの怪しい犬の影の本体か!?)」
芽衣と体を入れ替えるようにして、自らの体を盾にする。多少の攻撃ならば、これで耐えることが可能だ。




