一日の終わりⅧ
「俺が受かっている以上、何としてでも受からせてやらないと、って思っただけだ。東大や京大なんて言われた日には、何をしていいかわからないが、少なくともあそこのレベルなら俺の頭でもなんとかできる」
勉強漬けの毎日を過ごしたというわけではないが、それでも相応の努力はしてきた自信がある。それを今度は芽衣に受け継がせるだけだ。一度、やってみてできたことは自信に繋がる。それは勉強も運動も同じことが言えた。
「だけど、まずは共通テストだ。共通の方で高得点を取れれば基礎は大体問題ない。個別試験の赤本は秋からでも十分間に合うからな。焦らず基礎を固めるだけだ」
「そ、そうね。まあ、念のため持って来ただけだから、息抜きにやれたらいいかしら」
「――――で、希望学部は?」
明らかに視線が泳いだ。
大学と言えども、どの学部に所属するかで取る授業は大きく変化するし、活動する範囲も変わる。久陽の所属するのは教育学部。それ以外に人文・理学・農学の三分野が存在している。別の場所にあるキャンパスに行けば他の学部もあるが、少なくとも女子の比率は圧倒的に低い。そう考えると、芽衣が志望するのは四つの学部のいずれかである可能性が高い。
「きょ、教育……なんだけど……」
「――――で、専修は?」
当然ながら今日が行く学部は学校の教員を養成する。即ち、国・数(算)・理・社・英・技・家・音・美(図)・体の教科はもちろんあるし、それ以外にもいくつかの専修が存在する。
久陽が数学を得意とする様に芽衣にも得意な科目があるとするならば、と推測していると渋々といった感じで口を開いた。
「……国語、がいいなぁって。」
「――――そうか。頑張れよ」
国語の教員の大変なところは、教育実習に行った先輩から話を聞いたことがある。授業もそうだが、一番ヤバいのはテストの採点だという。作文を一人ひとりすべて確認し、採点しなければならないからだ。傍から見ていて、採点していた先生の顔が無表情だったことに恐怖を覚えたと同時に、数学で良かったと語っていた。
「な、何よ。何か怖いんだけど、その優しい眼差し!?」
どんなに棘のある言葉を放ってくる奴でも、これから進む道が茨の道かもしれないことを考えると、今の内に優しくしておいてやった方が良いかもしれない。そう考えるのは久陽だけではないだろう。
「さ、今日はもう寝るか。明日は朝から乾兄妹が襲ってきそうだからな」
「それよりも、さっきの目は何なのよ!?」
「ほーら、静かにしないとお隣に迷惑がかかるぞ。さっさと布団敷いて、電気消すぞー」
「ほんと、何なのよ……」
いそいそと教科書などをしまいながら、芽衣は戸惑いを隠せずにいる。仕舞い終えた後、部屋に備え付けの丸い手鏡で髪を整えていると、背中から久陽が何気なく声をかけてきた。
「何だ髪梳かしてたのか。ついでにお前の分も敷いといたぞ」
「あ、ありが――――」
雷に打たれたかのように振り返った芽衣の動きが固まった。
そこには敷かれた布団が二組。今いる部屋が机や荷物などがあって敷きにくいので、同じ部屋になることは芽衣も覚悟していた。
しかし、ぴったりと間を空けずに敷かれた様子には流石に思考がフリーズした。流石にそれは男女の仲ではかなり深い関係でないとハードルが高い。
「(なに、こいつ、もしかして、それが目的で――――!?)」
「あれ? 何か間違ってたっけ? 前にテレビでこういう風に敷いてたのを見たから、見よう見まねでやったんだけど」
まさかの天然である。拍子抜けして両手を置いた芽衣の肩へ、ムクの手が器用に置かれた。その行動は紛うことなく、慰めの意が込められていた。
『知ってるだろ。こいつがそういう奴だって』
「そ、そうね。こいつったら、変なところで知識とか常識が抜けてるのを忘れてたわ」
声を潜めて交わされる会話に久陽は首を傾げる。その姿に呆れながら芽衣は勢いよく立ち上がると、布団の端を持って、数十センチ間を空けた。
「ムク。この間で寝て! こっから入ってきたら、怒るからね!!」
「そんなことしねーよ!? 信用ねえな、俺」
二人が眠るまでの間、呆れた顔でムクは生産性のない言い合いを聞き流す。結局、二人が静かになったのは長針が三十分を過ぎた頃だった。
次話投稿日時 8月11日 6:00




