一日の終わりⅦ
隙間から見えた赤い色に関しては不安は拭えないが、久陽は一先ず警戒をムクに任せ、本来の仕事へと集中することにした。
幸いにも、芽衣はその後は危なげなく各問題をクリアしていった。久陽の出番はほとんど別解や書き方についてで、わからないことに対する質問はせいぜい二、三問あるかどうかくらいだった。
「……ふう、こんなところかしら」
「いや、十分だ。少なくとも計算に関しては危険なところはそんなにないな。三角比でちょいミスが見つかったというか、勘違いがあっただけでほぼ問題なしだ。」
「それが納得できないのよね」
ムスッと明らかに不機嫌な表情を浮かべる芽衣。別にこれは指摘されたことを怒っているのではなく、勘違いしていた自分に対する怒りである。頬を膨らませて表現する辺りは、少し朱理に似ていなくもない。
時計の針は午後十時を回り、長針が十分を指示した頃だった。
元々、規則正しい生活を送っているため、芽衣としてはそろそろ眠気がやって来る時間だ。背伸びをして思いきり背を反らす。久陽としては、いくら慎ましくても胸が強調されてしまうと視線が行ってしまうのは男の性として仕方ない。ましてや、それが普段見ないような浴衣ならなおさらである。
「あ、そうだ。さっきの――――何やってんの?」
芽衣がいきなり声を出したので、首の音が鳴りそうな勢いで久陽は反対側へと視線を逸らす。ここで視線の行方がバレていたら、明日以降どうやって接すればいいのかわからない。この一週間は立場が優位になれると思っていた久陽だが、最悪、ずっと劣勢に立たされることだけは避けねばならない。
「(いや、この時点ですでに劣勢に立たされているのでは?)」
そこまで先を読んでいなかった己の浅はかさを呪いながら、久陽はゆっくりと肩を回す。
「いやあ、久しぶりに長時間机に向かうと腰や肩が痛くなるなと思ってさ」
「大学の授業って一つの授業が高校の二時間分くらいあるんでしょう? 辛くないの?」
「そこは教授次第だな。画像や動画とかでわかりやすくやってくれる人もいれば、ひたすら話すばかりで眠くなるのもあるし」
大学での講義について触れる中で、ふと久陽は疑問に思う。あまり深くは考えていなかったが、芽衣の志望する大学について聞いていなかった、と。
大学はどこを志望するかで勉強することも大きく変わる。ここで希望大学が旧帝大とか言われたら久陽としてはお手上げだ。いくら国立大学に通っているとはいえ、そのレベルを目指すならば力不足にもほどがある。
明らかに嫌がられる可能性が高いが、ここは聞いておくに越したことはない。もし、そんな最悪――――そこを目指すだけの力があることは芽衣にとっては喜ばしいことだが――――なことがあるのならば、今晩は少しばかりスマホで勉強方法を隠れて調べるしかない。
震えそうになる声を何とか誤魔化して、久陽は芽衣に問いかけることにした。
「ところで、第一志望はどこなんだ?」
「え、べ、別にどこだっていいでしょ」
「いやいや、どこを目指すかで教えなきゃいけないことも変わって来るだろ?」
そこまで言って久陽は芽衣のバッグの横に積まれた本の中に赤い本が存在するのを見つけた。大学入試過去問題集。受験生での通称は、その全体を染める朱色からと「赤本」と呼ばれる。受験生必須の問題集で、各大学ごとの過去問が揃っているので、その名前を見ればどこの大学が志望校なのかは一目瞭然だ。
「あれ、俺と同じ大学?」
県内で四つある大学の内の一つにして、県名を関する大学だ。でかでかと書かれた四文字を見間違うはずがない。それを見られて慌てる芽衣。
しかし、久陽は表情を引き締めて問いかける。
「お前、あそこを本気で受けるつもりか?」
「え、何かまずいことでもあるわけ?」
その様子に思わず真顔になる芽衣。それに対して久陽は、首を横に振った。




