一日の終わりⅡ
「ねえ、そろそろお腹空かない?」
「そりゃ、こんな時間になれば空いてないとは言えないな」
久陽は腹を擦りながら窓の外を見る。空はまだ夕日が空を焼いていて、まだ海の近くに人が残っているようだった。きっと、あと数十分もすれば各宿泊場所や飲食店に人で埋め尽くされるだろう。その前に何とかしておきたいところだ。
「そういえば、夕食ってどうするんだっけか?」
「確か朝と夕は用意してくれるんじゃなかった? あまり豪華な物は出せないけど用意はする、って美香さんから聞いてたわ。足りなかったら、そこはお願いって」
「じゃあ、ここにいれば仲居さんが用意してくれるってことか。それなら、準備が始まるまでもうひと踏ん張りできるな。」
久陽の呟きに一休みできると思っていた善輝と朱理がうんざりした顔をする。三時間という長丁場は高校生以上になれば、それなりにできることだが、まだまだ中学生には集中力を維持できるだけの精神力はないようだ。
久陽は苦笑いしつつ、手を軽く横に振った。
「冗談だよ。ずっと根詰めてやっても効率が悪いだけだ。まだ初日だし、芽衣もこれくらいにしたらどうだ? もしやるとするならご飯を食べた後か、風呂に入った後にした方がいいだろ」
「そうね。ぼーっとする時間が無かったわけじゃないし、休憩がてらご飯に……あれ? 何か連絡が来てる」
芽衣は気が散らないようにと鞄にしまっていたスマホを取り出すと、着信を知らせる点滅に気付いた。すぐに指紋認証で素早く起動させると、そこに書かれていることを要約して読み上げる。
「部屋に善輝と朱理も行ってるだろうから、二人の分のご飯も手配してあるって。でも、お泊りは許さないから、早めに家に戻っているようにだって。」
どうやら、美香からの連絡だったようだ。彼女は犬神を使役しているわけではないが、こういう未来予知染みた先読み行動は、得意な部類と言っていいだろう。
尤も、今回に限っては、従業員に確認をしていた可能性が高いが。
「あと料理は部屋に運ばれてくるんじゃなくて、二階の広間でバイキングだって」
「そうだよなあ。部屋に運ばれてくるタイプのコースは、結構、高かったもんな。心のどこかで、もしかしてって思ったんだけど無理だったか」
善輝は当てが外れて頬を膨らませる。
ただ、彼が残念がるのも仕方のないことだ。部屋で食べられるコースの場合、地元でとれた高級食材が並ぶことが多い。昼におにぎりと自作のおかずだけを食して、久陽たちとご飯を食べられなかったからこそ、晩御飯を期待していたのだろう。
「おいおい、ここのバイキングだって十分美味しいだろう?」
「そうだよ。お兄ちゃん。ケーキだって食べ放題なんだよ!」
朱理が嬉しそうに両手を上げる。
彼女は甘党も甘党。デザートは別腹どころか、牛のように胃をいくつも作りかねないほどだ。そして、不思議なことにそのカロリーはいつの間にかどこかへと消えてしまっている。これには久陽たちはおろか、犬神のムクとフウタですら疑問を呈するほどだ。
今では朱理のデザートに対する情熱はムクにネタにされている。
『相変わらず色気より食い気だな。くくくっ』
『成長期なんですよ。今食べないで、いつ食べるのですか』
ムクを嗜めるようにフウタが前脚をムクの頭の上に乗せるが、当の本人はどこ吹く風。まったく気にしていないようだ。
「せ、成長、ね」
そんな会話を聞きながら何故か落ち込む芽衣。心なしか、彼女の視線は自身の胸元に向いているような気がする。それに気付いたムクは、焦ってフウタの前脚を気にせず立ち上がり、久陽に吼えた。
『お、おい。何ボーっとしてるんだ。さっさと飯食いに行くぞ』
「な、何だよ突然。別にいいだろう。お前が飯食うわけじゃないんだから」
「こういうのは思い立ったが吉日っていうんだよ。ちゃっちゃっと食って、また勉強するんだろ? 時間は有限だぜ?」
「ま、正論ではあるな。でも、何か誤魔化してないか?」
久陽は目を細めてムクを見る。伊達に長い付き合いをしていない。犬神と言えどもわかることはある。
疑ってかかる久陽にムクは珍しく言葉に詰まった。




