散策Ⅶ
「まぁまぁ、朱理もその辺にしておいたら? 善輝の言う通り、そういうことしたらフウタが黙っていないでしょう」
「うーん。そう言われると、そうかも?」
釈然としない表情を浮かべながらも、芽衣が言うならと引き下がる。その様子を見て、善輝はほっと胸を撫で下ろしていた。
「それで? 本当のところはどうなの? まさか、本当に飯を奢って欲しいから来たわけじゃないわよね?」
「う……まぁ、兄さんが来るから、ちょっと俺が成長した所見せてやりたかった、的な?」
その言葉に久陽は、すんなり納得することができた。善輝の影犬の扱いは一年前に比べて、かなり上達している。朝から朱理の影に潜ませていた遠隔操作と継続能力に加え、先程の一瞬で影に飛び込む瞬発力。どれも一朝一夕で身につくものではない。
野球を頑張る傍ら、犬神の特訓にも手を抜いていないことが伺えた。これは誰かに自慢したくなるのも無理はない。特に久しぶりに会う親戚であればなおさらだ。
「確かに、腕は上げたみたいね。そこは私も褒めてあげていいわ。もしムクと戦ったらどうなるかって考えると、少し面白いかも」
忖度なく芽衣は褒めたつもりなのだろうが、善輝はそれよりも後半の言葉の方が耳に残ったらしい。慌てて芽衣から距離を取ると、首が千切れるかと思うくらい横に振る。
「じょ、冗談じゃない! ムクなんかと戦ったら俺じゃあ十秒もつかどうかもわからない!」
「あら、そこまで謙遜しなくてもいいじゃない。少なくとも――――」
ちらり、と久陽の方を見かけて、芽衣は口を噤んだ。
「(危ない危ない。もうちょっとで、また口走る所だった。煽ればこいつが本気を見せてくれると思っちゃダメなのに……)」
芽衣は久陽に犬神を操る力が無いとは微塵も思っていない。少なくとも、ここにいる誰よりも久陽がその力を持っているとさえ思っていた。
だからこそだろう。自分に犬神を扱う才能がないと思っている久陽と犬神を操る力を隠していると思っている芽衣。二人の意見が食い違い、すれ違うってしまうのは。
「少なくとも?」
「あ、えっと……」
怪訝な顔をする善輝に、何と答えていいか芽衣は視線を泳がせる。
その隣を法定速度を超える車が走り抜け、強い風が吹き抜けた。服がはためき、髪が浮き上がる。それらが落ち着くと苦笑いを浮かべて、芽衣は答えた。
「少なくとも二十秒は生き延びられると思うわよ?」
「あんまり変わんないじゃーん!!」
悲壮な声を挙げる善輝。それを朱理がくすくすと笑う。行列の人間の何人かも笑っていた気がするのは気のせいではないだろう。
自分が公衆の面前で勝手に叫んでいるという状況に気付いた善輝は、小麦色の肌にも関わらず顔が真っ赤に染まっていた。おそらく本人もそれには気が付いているだろう。踵を返して、片腕を振り上げる。
「と、とりあえず、旅館に戻ろう! 可能な限り、早く!」
「おい、もしかして、旅館の部屋に来るつもりか? 一応、何をするかわかってるんだよな?」
あくまで久陽がここに来たのは、芽衣の受験勉強を家庭教師として補佐するためだ。少なくとも親戚の集まりのついでに遊ぶ為ではない。
善輝もさすがにそれはわかっているのか、背負ったバックを親指で示してドヤ顔を浮かべる。
「もちろん。俺も勉強する。さっさと宿題終わらせておかないと母さん煩いからな」
「あ、自分だけ勉強道具持ってきてるのズルい!」
「はっはっはっ! 用意がいいというがよい! 或いは計画性があるも可だぞ!」
どうやら、芽衣のついでに自分も教えてもらおうという算段なのだろう。やろうとしていることが間違っていることではないので、久陽も怒り辛いし、断り辛い。今回の主役である芽衣に視線を送ると、あまり気にしていないようであった。
「別に騒がしくしなければ、一人や二人増えたところで構いやしないわ。それに、その程度で集中力が削がれるようじゃ受験なんて勝ち残れやしないもの」
風で乱れた髪を片手で撫で上げて整える。仄かに久陽の鼻腔を爽やかな香りがくすぐった。




