散策Ⅵ
当然、このやり取りは乾家では意外と見かける光景だ。少しでも善輝が妹の朱理を弄ると、ムクが朱理を守る。逆にムクが善輝を揶揄うと朱理がムクを止める。
「本当に二人は仲が良いわね」
「そうだな。でもイジるのはほどほどにしないとガチの喧嘩になるからな」
そう久陽が呟く。すると善輝は聞こえていたのか、少し口を尖らせて久陽と芽衣を交互に見る。
「そっちの二人だって喧嘩みたいなことしてるし、俺たちと似たようなもんってことですよ。あれだ、喧嘩するほど仲が良いってやつ」
「…………」
芽衣は一瞬、善輝の言ったことが理解できず表情が抜け落ちる。しばらくすると、思考能力の再起動に成功したのか怪しい笑みを浮かべた。
「おい、何故黙る」
「いや、ちょっとそれはどうかなって」
「それにしてはいい笑顔だな、おい」
いつまでも構っていると相手の思う壺だと考えた久陽は、話す相手を善輝に戻す。少なくとも善輝は、芽衣に比べると男ということもあって話しやすい。
「それにしても、さっきの奴。前に見た時よりも上手くなってるんじゃないか? タイミングが良ければ見逃すところだった」
「あちゃー、やっぱり兄さんには見えてたか。そうなると、姉さんも気付いて、た?」
「ギリギリだけどね。こいつの言う通り、歩きながら話してる最中だったら恐らく気付けていなかったと思うわ」
親指で久陽を指示した芽衣は笑顔で頷いた。それを称賛と受け取った善輝は思わずガッツポーズをする。
ただし、すぐ近くに大勢の人が店の前で行列を作っていて、奇異の視線を向けられていることに気付いて、すぐに元に戻ってしまう。
善輝の能力は己の影を具現化して犬神の代わりとして操る。自分とは違う犬という意思が介在しない為、一度慣れてしまえば、意思疎通が必要な普通の犬神に比べて、動き出す速さが段違いだ。
もちろん、自分の意識が逸れていると完全に無防備になってしまう点はデメリットでもある。
朱理の影が一瞬歪んだように見えたのは、善輝の作り出した疑似犬神が朱理の影に飛び込んだからだ。恐らく、出来るだけ目立たないように車やフェンスなどの影を使って接近し、最後の瞬間だけは日の当たっている部分を移動せざるを得なかったのだろう。
「でも、そうだったとしても見つけてから来るのが早すぎるわ。あなた、何か他にも使ってたでしょ?」
「そ、それは――――」
急に善輝の表情が曇る。大抵こういう時は、何かやってはいけないラインを越えていることを久陽も芽衣も察していた。そして、久陽は何となくそれに予想がついていた。
「大方、俺が来ることはわかっていたから部活に行く前に、予め朱理に仕込んどいたんだろう。」
「え、そうなの!?」
しーっと人差し指を口の前に立てる善輝だったが、時すでに遅し。朱理の表情が見ている間に鬼の形相へと変化していく。
善輝の疑似犬神――――通称・影犬――――は己自身の影を媒介にして召喚して操っている。それは言い換えると、通常の犬神では行うことが難しいことも、比較的楽に行えることがある。
例えば、ある程度の視覚などの情報は共有することが可能だ。このある程度とは善輝がどれだけ、その影犬に力を割いたかで決まる。
それは即ち、今日の午前中の間に限り、朱理の行動を善輝が全て知り得ていた可能性が高いということだ。
「ま、待て、待て! 俺はどこら辺にいるかが分かればいいから、三十分前まで何も見てないし知らないって。」
「……本当?」
「本当だって、もしそんな濃度の奴送り込んだら、フウタも黙ってないだろ!?」
そう言いながら、善輝は欠伸をしているフウタへと助けを求める視線を送る。ここに犬神の関係者しかいなかったら、フウタも話してくれたのだろうが、残念ながら人の込み具合はなかなかだ。故に彼からの援軍は望めるべくもない。
フウタ自身も善輝のことを揶揄っているのか、ジェスチャーで首を縦か横に振ることもできるのに、あえて動いていない節がある。




