散策Ⅴ
会計を済ませて外に出る。
旅館を出た時よりも激しさを増した日差しにげんなりしていると、芽衣と朱理が両手を合わせて礼を言ってくる。
「ごちそうさまでした。まさか私まで奢ってもらえるとは思わなかったわ」
「ま、これからやる気を出してもらわなきゃいけないからな。飯の一つでそれが出てくれるなら安いもんだよ。それに朱理だけだったら拗ねてただろうが」
「そ、そんなことないし!」
慌てて顔を逸らす芽衣だが、久陽はそれが内心痛い所突かれた芽衣の癖だということを知っている。小さい頃から何か誤魔化そうとすると、すぐに目を合わせないようにしていた。これを知っているのは芽衣の両親と乾夫妻。そして、久陽くらいのものだろう。
「その、本当にありがとうございます。とてもおいしかったです」
「おう。俺がしっかり働いて稼ぐようになったら、いつかもっと美味いもの食べさせてやるよ。楽しみにしとけ」
「やった!」
喜んでいる朱理を微笑ましく見ていると、視界の端で彼女の影が一瞬ぐにゃりと波打ったのを久陽は見逃さなかった。陽炎や蜃気楼ではないし、久陽が熱中症になって視界が歪んだわけではない。
久陽が芽衣に視線を合わせるとゆっくり頷いた。
「気付かれたわね」
「相手はどう出てくると思う?」
このような状況に今まで何度もあったことがある。それ故に予測することは二人にとって簡単だった。
「位置はもう伝わってるでしょうね。となると問題は本体がどこにいるか。」
芽衣は腕を組んで顎に指を添える。
まさか白昼堂々と仕掛けてくるとは思っていなかった。相手の節操のなさにも腹が立つが、この瞬間まで気を抜いていた自分に対する怒りの方が大きかった。もしこれが攻撃であったら、致命的な一撃になっていた可能性もある。
たっぷり数十秒かけて悩む久陽と芽衣。それを不思議そうに見守る朱理。
明らかに先程までと違う雰囲気を醸し出しているにもかかわらず、ムクとフウタは興味なさげにその場で伏せて欠伸をしている。そのギャップがまた見る人から見ればシュールに映るだろう。
結局、何か考えが浮かぶでもなく時間だけが過ぎてしまう。久陽は仕方ないとばかりに肩を竦めた。
「とりあえず、急いで旅館に戻ろう。そうすれば――――」
「――――そうすれば、何だって?」
久陽は背後から聞こえた声に、思わず振り返りざまに手刀を叩きつけた。すると手には確かな手ごたえが返って来る。掌で受け止められた感覚だ。
「あっぶなー!? 久しぶりに会った挨拶がこれかよ。酷いぜ兄さん」
「相変わらず元気そうだな。善輝」
そこにはこんがりと日に焼けた坊主頭に野球帽を被った少年が立っていた。まだ驚愕の感情が抜けきっておらず、若干顔が強張っている。身長は低く、朱理と同じかそれよりも低いくらいだろう。服は緩いシャツに短パンといった出で立ちで、外でアクティブに活動している印象を強く受ける。
まさか兄がいるとは思っていなかった朱理は、駆け足で善輝の側へと近寄る。
「お兄ちゃん。部活は終わったの? ごはんは?」
「んなもん。とっくに終わって家で飯食ったさ。それでコイツを使ってお前を探してたら、こんなところにいると来た。俺を放っといて、いい飯食うとは羨ましいな、こんちくしょう!」
「あたたた! 痛いよ、お兄ちゃん」
両手を開いて指の腹で朱理の頭を頭皮マッサージの要領で揉みしだく。昔から親戚のおじさん達で鍛え上げられたその手腕は、血行を良くする達人の技である。ただし、気持ちいいかどうかは人による。
グリグリと髪の生え際を強く押しながらも、善輝は笑いながら久陽へと語り掛けた。
「こんな暑いところで立ち話も何だし、旅館に行かない? ついでにできれば何か俺にも奢って欲しいんだけどな」
「好きなジュースの一本や二本買ってやるから、朱理を離してやれ。まったく、全然変わってないな。少しは妹に優しくしてやれよ」
「それはそれ。これはこれって奴です。それに今は兄さんの前で猫被ってるけど、普段は俺に対して酷い扱いしてくるんだ。この前なんか夕食の時に――――」
そこまで言いかけた時、いつの間に善輝の足元まで近寄っていたムクが足の甲の上に足を重ねる。そして、そのまま下から善輝を見上げていた。
――――それ以上言ったら、わかってるな? 小僧。
まるでそんなことを言っていそうな雰囲気を感じ取ったのか。善輝は数秒黙った後、何事もなかったかのように朱理の頭から手を離した。




