初恋を忘れられず不惑の年になりました。再会しましたが、身分差の恋に諦めモードです。でも、まさか溺愛されて求婚されるなんて!
初恋を忘れられず不惑の年になりました。忘れようと思いながらも、あんなに衝撃的なことを忘れられるはずがなかったのです。
あれは、二十歳のころでした。乗った船が航路に迷い、遭難したのです。救助を要請したと船内の放送が入り三日目。明らかに食事の量が減り、このまま生きて帰れるのかと不安になったころ、彼と初めて話をしました。
偶然、彼の部屋はとなりで、不安を紛らわすように一緒にいる時間は長くなり、気づけばどちらかの部屋で過ごすようになりました。
私たちは互いに励まし合いながら、恋に落ちていたのでしょう。
触れ合えば不安は消え、互いの存在を求め、愛を囁くようになりました。
今、思い返せば、死と背中合わせの恋だったから燃え果てようと互いにしていたのかもしれません。幸せに落ちて、不幸な最期だったと思わずにいたくなかったのかもしれません。
二週間が経ち、救援隊がやってきました。
希望に満ちた一瞬と、切なさに満ちた一瞬が同時で、どんな顔を彼がしていたのか覚えていません。
私と彼は真逆の方向に向かう予定でした。
私たちは救助され、その恋を割かれたのです。
救助されて流した涙は、安堵と悲しさでした。
私は彼の居心地のよさも、ぬくもりも知っているのに、連絡先を知らなかったと気づいたのです。
「ディーン……」
彼の手がかりは、名前。
それと、ごまんといるようなブロンズのきれいな髪と、碧眼。
あんなに衝撃的なこと、忘れられるはずがないのです。
ぼうっとしながら、フラフラと街へと買い物へ出向くと、港の方が何やら騒がしいです。あれから船は怖くて、近寄りもしませんでしたが、賑やかなのが妙に気になり足が向かいました。
「デュラン様~!」
老若男女問わず、歓声が上がっています。
デュラン様といえば……隣国の王子様。王子様と言っても、確か同い年くらいだったはずで、彼もいい年齢。確か、まだ独身で『訳アリ』なんて揶揄された噂が度々飛び交う、住む世界の違う人。
人だかりの理由がわかり、私には無縁だと踵を返そうとしたのに、人だかりに流された私は躓いて盛大にこけてしまいました。
「きゃっ!」
ゴロゴロと転がった先が思いの外開けていて、私には嫌な予感しかしません。いたたたた……と囁きながら顔を上げた瞬間、見下ろされていたのは意外な人物で……。
「ディーン?」
そんなわけないのに、私は打ちどころが悪くて夢でも見るのでしょうか。
「マリー?」
時が止まるとは、こういうことを言うのでしょう。ごまんといるようなブロンズのきれいな髪と、碧眼。但し、その声は紛れもなく、ディーンのものでした。
息を吸った瞬間に時が戻り、カッと顔が熱くなりました。
おかしいのです。
あり得ないのです。
だって、人だかりの中心にいるのは、隣国の王子様で『訳アリ』と度々揶揄されるデュラン様だったはずなのですから!
私は無我夢中で走りました。
買い物に来たのに、目的も忘れて逃げるように帰りました。
空腹も忘れ、見上げたディーンを何度も何度も思い浮かべてしまいます。何度も何度も『マリー』と呼ばれた声を思い返します。
再会できた喜びが込み上げる一方で、ディーンがディラン様だったと今まで気づかなかった愚かさに涙します。デュラン様は私みたいな平民と別世界の人なので、噂話し程度の記事をいくつ目にしてもディーンと結びつくようなことがまったくなかったのです。
二十年前のディーンは、ひとりで船に乗っていました。しかも、私のような平民のとなりの部屋。事情があり、たまたま身分を隠して船へ乗っていたのでしょう。
そして、あんな危機に遭遇し、私と出会い……恋をしたのは、あんな危機だったからです。そうでなければ、私のような美人でもスタイルがいいわけでもない女と恋に落ちるはずがなかったのです。
お忍びの間の恋は、あれでお終いです。ディーンにとって……いえ、デュラン様にとっては、単に思い出のひとつなのでしょう。
忘れられなかった恋ともお別れです。
二十年……こんなに長くどこかで期待していた再会ができたのです。神様に感謝して、恋にさようならを告げなくてはいけませんね。
それから、数日。
私の心はどこかに行ってしまったかのように、生きる希望が見えなくなってしまいました。
あんなに派手に転げてしまい、人だかりも怖くなってしまって、逆方向にあるすこし遠い街へと買い物に行くようになりました。
テクテクと歩き、呼吸をし、何かを食べて眠る。そんな毎日を繰り返し、春休みが終わり久し振りに仕事に行った日のこと。信じられないことが起きました。
「やあ、マリー。探したよ」
私の働く学園の総合案内に、デュラン様がいらしたのです!
「デ……」
「あの街で再会できてうれしかったよ。今度こそと願って近辺の集落を探し潰した。マリアンヌ……そう、初めから私も本名を聞いておくべきだったね」
私がどちらの名で呼ぶべきかと悩み、息を吸った直後、ディーンことデュラン様は純愛のような執着を囁きました。
息が止まるほどの神々しさ。それはこの総合案内を包み込み、周囲からは恍惚としたため息しか聞こえません。
私はハッとします。
再会したときの光景を思い出し、すこしゾッとしたのです。
「あ、あの……こ、ここでは何ですので、出てすぐの裏口でお話し致しませんか?」
今なら騒ぎが起こるまえに、幻影で逃げられるかもしれない。そう私は思い提案したのですが……デュラン様はなぜかとてもうれしそうに微笑み、了承なさいました。
そそくさとカウンターを出て、同僚に一礼をし、急いで裏口へと回ります。
「そんなに急いで、またこけてしまったら大変だよ?」
クスクスと微笑むデュラン様に、先日の失態を覚えられていたことが恥ずかしく、つい、カッとしてしまいました。
「こんな場所で大勢に見られてしまったら、デュラン様が大変なことになりますわ!」
「大変なこと……『訳アリ』とすでにいくつもの噂が出て回っている。何も心配はないさ」
そんな笑い声交じりの声が聞こえたと思ったら、ふと足元が浮き……え、私、どうなってしまったの?
「ほら、愛しのマリー。そんなに暴れないで」
足をバタバタと動かしていたら、デュラン様がそう私を見下ろしていて……キラキラと降り注ぐブロンズ色の髪は、神の光のよう。甘い声に、ついとろけそうになってしまい……いけない! と意識を保つ。
──と、デュラン様は私の言った通り、裏口へと連れて来て下さっていた。スッと降ろして下さる身のこなしは、紳士そのもの。
ああ、彼との恋の時間が鮮明に浮かんできて、期待してしまう。けれど、平民と王子様の恋だなんて、普通に考えてあり得ない。さっきの甘い囁きも、都合のいい関係の私で暇をもて遊ぼうとしているだけなのかもしれないと、気を引き締めて立ち向かいます。
「デュラン様」
「『ディーン』でいいよ? マリー」
あの蜜月な思い出を促すのは狡いと、ギュッと両手に力が入ります。
「いえ、デュラン様! 私のことを探して下さったのは、感謝致します。けれど、おわかりでしょう? 私はどこにでもいる、平民なのです」
「だから、私とは結ばれないと?」
「そうです」
笑顔で返してきたデュラン様に、泣きそうになります。情けないです。わかりきっていることを言われ、言っているだけなのに、どうしてでしょう?
ふと、日差しが遮られました。見上げると距離の縮まったデュラン様が顔を近づけてきて……私は思わず顔を背けます。けれど、すぐに頬にあたたかい手が触れ、顔を戻されました。
じっと見つめる碧眼に捕らわれ、動けなくなります。涙で呼吸が苦しくなり、口呼吸になりかけたとき、デュラン様の指が、やさしく目元をなでました。
「ずっと探していた。ずっと会いたかった。どんな噂が流れようが、何と言われようが……マリー、君と必ず結ばれるんだと信じて過ごしてきたから平気だった。それなのに君は、私の身分を知った途端に私を忘れるのかい?」
狡い。
本当に狡い。
そうとしか、私にはできないのに。
涙がボロボロとこぼれて、嗚咽がもれていきます。顔を背けたくても背けられずにいると、頬の手は離れ、代わりにぎゅうっと強く抱き締められました。
「もし、マリーが私を忘れられるとしても、私が忘れられない。二十年間、ずっと忘れられなかった。再会できたのは運命だ」
そう言うと、デュラン様はまた私をじぃっと見つめる。
真っ直ぐな眼差し。
私だけを見てくれている眼差しに、溺れそう。
「私と結婚してくれるね? マリー」
再会のキスも、互いの熱も今すぐ感じ合いたいけれど、それは君が首肯して婚儀が済むまでお預けにしておくよ……なんてサラリと言う。
ああ、私は今、どれほど醜い顔をしているのでしょう。
破顔しているのだけは、間違いありません。