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再会 追憶

作者: 宮森

 もう二度と来たくはない場所だった。街の役場から離れ、北に見える山に登りかけた途中の斎場。前回来たときと同じように、不気味とは程遠い綺麗な外装と無責任な虫の声に苛立ちを覚えた。同時に、思い出したくない記憶も鮮明に蘇ってくる。

 リエが死んでしまってから二日後も、やっぱり無責任に太陽がまぶしかったのを覚えている。

 全部が同じ一定のリズムだった。ポーンポーンと間延びした木魚と、日本語だろうけど何と言ってるのかわからないお経と、名前は知らないけど一番ゆっくりな感覚で叩かれる甲高い金属同士のぶつかる音。それらの背景にかぶさるように外からのセミの声。そんな雑音につぶされないように、僕は人だかりから離れた明るい廊下に寄りかかっていた。

 初めての葬式でもないし、やり方も知っている。なのに、焼香の最中から目眩がし、手を合わせて目を瞑ると吐き気がした。僕はリエの遺影から逃げるように、誰よりも早く背を向けた。現実を受け入れたくはないけど遠くに離れることもできず、耳に自然と入ってくる音たちを、ただただ遠くの世界の出来事ならいいのにと願いながら聞いていた。

「ここでわたしのお葬式やったのか。全く自覚なけど」

 明るい浴衣が非常に場違いなリエが呟く。僕だってちゃんとした恰好をしてるわけじゃないけど、浴衣よりはマシな茶色っぽいTシャツにチノパンだ。

「ねぇ、この後はどこ行ったの?」

 どこかの教室で、旅行の思い出を訊くような態度に、僕はため息を隠す気にすらならない。

「やっぱこんなことやめない?」

 自分の死んだ後の出来事を訊くには明るすぎるリエの態度。なにがそんなに楽しいんだろう。

 ***

 僕がこんな町はずれの斎場に来たのは、二回ともリエのせいだった。一回目は彼女の葬儀で。二回目は、戻ってきた彼女がそれを望んだからだ。

 自分の命日に僕の前に現れた彼女は、生きているときと同じように僕に笑いかけてきた。

「わたしって死んじゃったんだよね? なんか実感ないなぁ」

 わざと思案するような顔をするリエ。

「生きてないんだろうなってのは感じるんだけど死んでるとは思わないっていうか。うーん、ちょっと難しいかも。うまく言えない」

 もうすっかり更地になってしまった元自宅と、そこに供えられた品々を眺める姿は、僕からも生きているようにしか見えない。

「あのさ、わたしいいこと思いついちゃった」

 死んでしまう前と同じように語りかけてくる姿に、僕は単語にならない言葉しか返せなかった。

「死んじゃった後のわたしと、同じ道を歩いてみたい」

 ひどく、悪趣味な提案だ。そう思ったのに、再び会えた嬉しさと不可思議さに混乱した僕は、やっぱり言葉を返せなかった。代わりに何回か小さく頷いて、大きく息を吸い込みながら立ち上がる。でもそれは気のせいだ。どこに向かえばいいんだろうと考えて、真っ先に焼香の匂いと、歩いて行くのには少し遠い葬儀場を思い出した。もう一度深呼吸をしたとき、急に物が焼ける嫌なにおいがした気がした。

 僕がまともな言葉を思い出したのは、十五分くらい歩いて自動販売機を見つけてからだった。

 ***

「中には入れないみたい」

 ガランとした駐車場を抜けて自動ドアの前に立った僕は振り返る。少し離れたところで、場違いなくらい明るいひまわり模様の浴衣のリエが葬儀場を眺めている。ここがどこかを知らない人がみたら、斎場じゃなくて何かのイベント会場と勘違いするかもしれない。

「残念。中も見てみたかったのに」

 一通り外見を眺めたリエがガラスの向こうの内装を覗こうと首を動かす。

「そのかっこうじゃ入れないと思うけど」

 僕がたしなめると、「そうかも」とリエが自分の足元を見下ろした。

「このあとはどうなったの?」

 そう訊かれて僕は口をつぐんでしまう。あの日の僕は、ここで止まっていた。この建物の、目立たたない廊下の奥でヘドロみたいにしゃがみ込んでいた。誰か知らない人に声をかけられ、ようやく動けるようになったくらいだから。

「たぶん火葬場、だと思う。すぐ横に併設されてる」

 僕は奥の方にある灰色の建物を示す。

「あっちも行く?」

「うーん、あっちはいいかな。ここからでも十分見えるし」

 少し寂しさすら感じる火葬場。さっきまでは好奇心のままに動いてたリエでもさすがに不気味さに勝てないらしい。

「いよいよ最後だね」

 そう言って、リエは山頂の木々の頭からわずかに見える黒い建物を見上げる。

「けっこう先だねぇ。ま、関係ないか。さあ、いくよっ」

 言い残して、舗装されてるとはいえ少し急な山道をリエが歩き始める。

 僕も頬の汗を拭いながら追いかけて、そのときようやくあることに気が付く。

「リエさ、暑くないの?」

 今さらだけど、暑い中歩き回っている僕は汗でびっしょりだ。手なんかべとべとしてるし。ズボンにこすりつけても、手のひらが濡れている感覚は消えない。

「あれ? ホントだ全然気が付かなかった」

 おかしそうに笑うリエの額には汗1つ流れてない。僕なんかよりももっと暑そうな恰好なのに。

「不思議だね。暑いなって思ってはいるのに。変なの。」

 暑いなんてほんとに思ってるかも疑わしい気楽さが羨ましい。空っぽになったペットボトルが虚しい。

「ほらほらどんどん行こう」

 二歩分くらい先を歩いていたリエが不意に僕の右手首を掴む。

「うわっ」

 予想外の行動に、僕の体が一瞬こわばる。

「っえ? ごめん」

 彼女が掴んでいた手を引っ込める。

「死んでるってこと、忘れてたよ」

 少し申し訳なさそうにリエが距離を取る。

「いや、そんなつもりじゃないんだけど……」

 自分でも、何に反応したのか分からなかった。好きな人に触られたから? 汗だくな手を触られたくなかった? いやそもそも。

「さわ……れるの?」

 無意識に手首をさする。そこには、自分の手よりもずっとやらかくて温度を感じない手の感覚が残っている。

「うん。さっきも建物の壁とか触ってたよ。それに地面にも立ってるし」

 言われて、今さらながら彼女が歩くたびに足音がすることに気が付いた。

 暑い夏の幻でも、寂しさからくる妄想でもない。信じられない現象と、二度と会えないと思っていた彼女との再会によって麻痺していた感覚が突然戻ってきた。

「リエ……」

 呼びかければ、当たり前のようにリエがこちらを見る。生きていたときと、同じように。

「なあに?」

 からかうような、大人びた表情。紺色の着物に咲く黄色とあいまって、いっそう眩しく感じる。

「帰りたいって言ったら怒る?」

 僕とリエとの距離は歩幅三歩分くらいに開いている。

「怒らないよ。急になんで? とは思うけど」

 穏やかな声が、セミの鳴き声をものともせず僕の耳に届く。

 手が震える。浅い呼吸しかできない。ここから先のことを考えると胃の中のものを戻したくなる。

 僕は、リエの葬儀が行われた斎場から先に行ったことがない。去年だって、行けなかった。

 リエが死んだことを認めたくなくて、リエの身体が人の姿でなくなるのを見たくなくて、僕は動けなかった。

「熱中症?」

 黙ってしまった僕にリエの声が乗っかる。

「ごめん。なんでもない。ちょっと疲れただけ」

 重くなった足を一歩進める。

「無理そうだったらいいのに」

 そう言いながらも、リエが僕の手を掴む。今度は驚くこともなく、僕もそれを受け入れる。

 体温を感じない手だけど、たしかにそこに存在する。

 ***

 山頂まではいかなかったけど、その一歩手前くらい。舗装された道から脇にずれ、湿っぽい参道を抜けた先。管理者が仕事をしているのか分からないくらいぼろぼろの建物にたどり着く。

「もっと大きいかと思ったけど近くまで来るとそうでもないね」

 古いお寺を一回りしたリエが僕の元へ戻ってくる。僕はと言えば、石段に寄りかかるようにしてこみ上げる吐き気に耐えていた。

「無かったら諦めてよ」

 僕は古い建物よりさらに先、、石段五段分くらい上の場所を見て言う。

「まぁ街の人に聞いて回るわけにもいかないからねぇ」

 ゆっくり石段を昇るリエに僕も黙って続く。

「さあ、大変な仕事だ」

 登りきった先は大学の体育館くらいの大きさで、百を軽く超えるんじゃないかってくらいたくさんの墓石。

「じゃあわたしは左側から探すからリョウくんは右からね」

「わかった」

 線香花火みたいに儚い声で答える。

 ここになければいいのに、と思った。

 現世に残ったリエの肉体が最後にたどり着いた場所。どこの墓地に埋葬されたは知らないけど、僕はこの街の他の墓地を知らない。

 場所がらなのか、それともただの気のせいか。さっきまではまとわりつくように感じていた夏の熱気が弱くなっている。でもやっぱり僕は墓石を注視したくなくて、息を吐きながら目線を上げる。

 ちょうど高台になっていたから、周囲の木のさらに先に、山に囲まれた街が見える。

 狭い街だ、と思った。

 子どもガ砂場に突き刺したおもちゃの剣みたいに見えるのが僕らの大学だ。ならそこから少し手前にある踏切の先のどれかが僕の住むアパートで。そこからずーっと東に行ったところに毎年お祭りが開かれる神社の境内。大学から少し離れた、角砂糖がたくさん置いてあるみたいな新築の家の集まるどこかに、リエの家があった。

 二人で歩いた商店街も、汗だくになりながら自転車で走った大学前の橋も、みんな片手に収まってしまいそう。そんな景色。

「さぼり?」

 吹く風に流されてしまいそうな僕の意識を引き寄せる声。

「ちょっとした休憩」

「ならヨシ」

 振り返ると、少し寂しそうな顔をしたリエが立っている。

「叱られるかと思った」

「そんなに怒りっぽいと思われてたの? わたし」

 傷つくなー、と言いながら、彼女は僕の横に並ぶ。

「いい景色だね。ここ。落ち着く」

 街並みを眺めて目を細める彼女の髪が僅かに揺れる。いつの間にか吐き気もなくなっていて、まるでリエ一緒に過ごした時みたいに穏やかな時間。

「わたし、こんな場所に眠ってるんだ」

 氷水が体中を駆け巡ったみたいにギュッと苦しくなる。目の前の風景とか、聞こえる夏の声が、テレビを通したみたいに感じる。

 どんなに否定しても、起きた事は変わらない。どんなに認めたくなくても、時間はどんどん進む。

「……見つけ、たんだ」

 太陽が、陶器みたいな彼女の肌を照らす。リエはやや俯き気味に虚空を見つめる。

 僕の言葉への返事の代わりに、彼女は振り返って歩き出す。

 リエが一歩踏み出すごとに手が届かなくなるほど遠くに行ってしまいそうで、僕も大股で追いかける。やがて、リエが一つの墓石の前で立ち止まる。

「ここにね、名前が書いてある」

 花も何も添えられてない墓石。だけどちゃんとそこにはリエの名字が彫られてて、横の墓誌にはリエの両親とリエの名前。

「なんかさ、実感、わかなかったんだよね」

 リエの後ろに立ち尽くす僕に、リエが鼻をすすりながら続ける。

「死んじゃったんだってなんとなく感じてけど、普通にリョウくんとも話せるし、同じように横にいられて。でも生きてはいないんだなってわかってて。なんだろ。自分でもよくわかんない」

「リエ……」

「でもね、もし、みんな死んじゃってるなら、それと、わたしが自由に動けるなら、やっておきたいことがあったの」

 ずっと墓石を見つめていた瞳が閉じられる。流れる涙をぬぐっていた両手を胸の前で合わせる。リエのそんな姿を、僕は見つめ続けることしかできなかった。

「お父さん、お母さん、遅くなってごめんね」

 不意に、どこかへ逃げ出したい衝動が湧き上がる。

 暑さなんかどうでもいい。彼女の死を認めたくないとか、馬鹿馬鹿しい。僕がどう思おうと、事実は変わらない。

 リエはもう死んでる。

 彼女はそれを受け入れてここに来た。僕は、僕の中で認められなくて来られなかった。

 死んだ証の場所に来て彼女の死を受け入れるのも、彼女がいない生活に慣れていく自分も、どっちも嫌だった。

 そんな自分が恥ずかしくて、逃げ出したい。

 だから、僕がここでするべきことは、リエの横で手を合わせること。そう、思った瞬間。

「えっ? びっくりした。どうしたの?」

 僕はリエを後ろから抱きしめていた。

「ごめん」

 触れることに、安堵してしまう。

「手を合わせてるリエを見てたら、その……消えちゃうんじゃないかと思って」

 ただの思い過ごしかもしれない。だけど、なんとなく、目的を果たして未練がなくなった幽霊が成仏してしまう。そんな光景が、見えた気がした。

 葬式の場所なんかどうでもよかったはずだ。今日の行動の目的が、さっきリエが言った通りなら。両親のお墓参りが、目的なら。

「消えないよ」

 優しい声だった。泣いてる子どもをあやす様な。その声を聞いて、僕は自分が思っていたよりずっと強く抱きしめていたことを悟る。

「ごめん」

 僕が離れると、リエは笑いながら僕を見た。もう涙の線は無い。

「ほら見て。手も透けてないし足もある」

「そうだね」

 無邪気な声に、僕もつられて笑ってしまう。

「リョウくん」

 さっきまでのごちゃごちゃした感情を流すように、リエがわざとらしく咳払いをする。

「ありがとね」

「そんなこと」

 言わなくていいのに。それに。

「僕の方こそ、ありがとう」

 不思議そうな顔をするリエの手を握る。もう会えないと思っていた人と一緒に僕は、来ることは出来ないと思っていた場所から歩き出す。

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