シュガーは車で十五分
皐月、五日のこどもの日は立夏。
この時期の深山の中は、朝はひんやりしたミストに覆われている。それは山笑う、という季語に相応しい、萌黄、若竹色、黄緑、もこもこ膨れあがる木々達から、蒸散により吐き出されている気がする。
ピピピ、リリリ、ひーよひーよ、テッペンカケタカ、テッペンカケタカ
早朝。フリースの上着を羽織り、ウッドデッキに面した窓をカラカラと開ける。しとどに降りてる朝露。チェアもテーブルも染み込み色濃くなっている。
越してくる時にどれよりも大事に運んだ、ひと抱え程ある、大きな鉢を置いている。海外サイトからお取り寄せしたアンティークな雰囲気の植木鉢に、苗を植えて育てた、マンションベランダ育ちの、マールレモン。
山間のここに来てからは、ウッドデッキに置き大事に大事に育てていた、マールレモン。寒さに強いと聞いていたし、現に以前住んでいた街では、年中ベランダでも元気にすくすく育ってた。
真ん丸い黄色を収穫して、紅茶に浮かべたり絞ってレモネードを作った。白い花が可愛いマールレモン。
ところが今は。ポキポキの枝に水滴が宿り、涙粒の様に光っている。新芽の気配も無ければ、乾ききった色に変わった樹皮にも生きてる気配が全く無い。
「枯れちゃったかなぁ。せっかくここまで大きくしたのに。引っ越しの時、運ぶの大変だったのに。お隣さんに言われた通りに冬場は用心して、リビングに入れておけば良かったな……」
ぽつん。と寂しくなる。五月になってもここは寒い。越してくる前に住んでた、街中だとそろそろ半袖の準備をする季節なのに。新しいの見つけに行かなくちゃ。と思いながらも、前とは違い億劫に思う。
右を見ても、左を見ても木々。目の前は作りかけの庭。花壇には、越してきた時に植えた薔薇が数本。お隣さんにもらったのもある。キッチンガーデンのスペースには、ジューンベリーの木。どれもまだ小さく、ヒョロヒョロ伸びている。緑の葉がモコモコと膨らみ広がり、繁り始めた木々に囲まれた敷地。
聴こえるのは。小鳥の声。近くにある渓流から水流れる音。蛙の声。以前住んでいた街だと。
ベランダの下から上がってくる、車の走行音、声は聴こえないけど、人のざわめきの気配、混ざる雀のさえずり。
静けさを買った暮らしの現在。
賑やかさを捨てた今の暮らし。
両隣に家はあるのだが、それぞれに小鳥が住まう木立の向こう側。山の中を切り開いた別荘地は敷地の区画が広く取られており、そのままの自然を出来る限り残し、造成されている。
ガサガサ……。茂みの中から聴こえた。鹿が近くに来ているのかな。なんにも食べる物ないのに……、眉間にシワが寄る。
寒くなる前に、キッチンガーデンに植えた、ホームセンターで仕入れた玉ねぎの苗。スナップエンドウの種も落とした。じゃが芋は4月の半ばに埋め込んだ。ベビーリーフの種も撒いた。
芽吹いていたり、雪の下で冬を越し大きく育っていたり、埋め込んだ種芋も、荒らされ掘られ食われて、無惨な事になってるキッチンガーデン。
お隣さんに来た早々、畑をすると話したら言われた。
獣避けにせめてネット位、張っておかないと食べられちゃうわよ。猪だって庭先に来るんだから……。その時は大袈裟だなと思ったし、夏の終りに越してきて早速、パラパラ撒いてみた大根や、苗を買って植えた白菜、キャベツ、ブロッコリーは歪だけど食べれる大きさには育った。
「採れたては美味しい!虫食いは仕方ないか。農薬、殆ど使ってないもんな、買ったら高いぞぉ!前は農家さんから届けて貰ってたな……、春になったら自給自足を目指そう!」
同じ趣味志向を持つ夫と、美味しい、美味しいと食べた虫食いだらけの野菜。
そして、ネットで調べたりお隣さんに聞きながら、季節の物を少しずつ。と、減農薬栽培にこだわって、作り始めた野菜畑。
夫と共に在宅ワークをしながら作り始めた、田舎暮らし。アウトドアが好きで、オーガニックな暮らしに憧れていた、コウノトリにそっぽを向かれた夫婦。
「獣避けかぁ。なんだか、可哀想だよな」
「そうね、食べ物が無いから里に下りてくるんでしょ、少しぐらいなら、おすそわけしてもいいんじゃない?」
気楽な私達は、有り難い忠告を聞かなかったふりをした。
雪が積もり始めていた。そして直ぐに私達は、雪掻きに追われた。最初は楽しんでいた不便な暮らし。水道管が凍結してしまい、泣きたくなるよな朝を迎えた。
季節の良いとき、たまに山の中でするキャンプと違い、始終暮らすということは、甘くないよと叱られる様な洗礼を受けた。ため息をつきながら過ごす内に春になり、すっかり忘れていた話。
襲われた畑。残渣は、片付けたけれど……、これから夏野菜を植えたらいい。レタスやほうれん草もね。野菜づくりの季節よと、お隣さんに言われても。
やる気が出ない私達夫婦。始めるなら……、早く獣避けを設置しないといけない。野菜の苗は時期が過ぎれば、種類多く揃わないわよ。と、芍薬の苗を持って訪ねてくれた、お隣さん。
「うちはね、今年の春に遂に!電熱柵で囲ったわ。庭の百合を掘られて……。猪だけど。困ったわね」
笑う彼女の家の庭は、私が憧れているナチュラルガーデンそのもの。薔薇とハーブがあちこちに植えられ、キッチンガーデンには色々な野菜。ジャムにするという、ブルーベリー。花がきれいな李、梅干し用の唐梅、シンボルツリーだというジューンベリー。周りの雑木達と馴染む様に、植えられ手入れをされた空間。
「綺麗。私もこんなお庭にしたいと思ってるんです、ジューンベリーは私もシンボルツリーに選んだんです」
お茶を飲みにいらっしゃいな。そう言われて訪ねた、雪が解け、山桜がほわほわ、かすみの様に満開の色を見せた頃。夏にね、毎年育てて乾かすのよと、自家製のカモミールティーを出しながら、私の母と同じ位のお隣さんは笑って教えてくれた。
「そうねぇ……。形になったのは……、5年程かしら、ああ。夏場は大変よね。山の中でしょう?ブユとかに刺されたらパンパンに腫れるのよ。それ用の蚊取り線香みたいなのをぶら下げて毎日毎日、草むしり。それと草刈りね。これは知っての通り、夫の仕事。ボウボウにしてるとマムシが出るから。刈っても刈ってもすぐ伸びるってボヤいてるわ。冬場は良いわね。夏程、忙しくないから」
……、ご、5年?そんなにかかるの?ブユは知ってた。キャンプ好きだから、去年も乗り越えた。それはともかく、マムシ!今から草刈り?夏場だけじゃないの?冬場は、忙しくない?ええ!?
蜂蜜をたっぷりめに入れたのに、ほろ苦く感じたカモミールティー。
……、カラリ。窓を閉めた。コーヒーを入れる為にケトルに水を入れて、火にかけた。
喧嘩をした。夫とね。
「ありがと。シュガーは?」
数日前、5月の嵐に襲われた日、カタカタ、ガタガタ、ガラン!ゴウゴウ。叩きつける雨、木々を枝葉を折り散らす風。
「あ、切れてる。料理用の砂糖でもいい?」
仕事をしている夫。仕事を終わらした私。コーヒーを入れようか。夫に言われて気がついた、スティックのグラニュー糖。私は入れないグラニュー糖。
だから……、街に住んでいた頃からストックが切れてるのを気づかず、買うのもよく忘れていた。
「買ってきて」
「ええ?この暴風雨の中?」
「うん、車だろ?すぐそこじゃん。それに、昨日買い出しに行ったよな、仕事が忙しいのに運転手させられてさ……、ちゃんとメモしてないのが悪い」
「それはそうだけど。グラニュー糖、使うの貴方だけじゃん!ストック位自分で管理しなよ!前みたく、下にコンビニ無いんだよ?すぐそこって車飛ばして15分だよ?信じられない!」
と言ったら……、喧嘩になった。
細かい事をグズグズ。便利な暮らしを恋しくなっていた私達。どうでもいい事を言い合った。
――、冬にさ、水道凍結したのも、君がちゃんとしておかないから!雪掻きだってお前、時間ばっかかかってさ、下手くそだし!買い物に行ったら長いしさ!
――、私が?そっちこそ、在宅ワークでしょう?ここに来るとき、家の事は半々って言ったわよね。去年の夏だって、越してきたばかりだったから、お隣さんが草刈り手伝ってくれてたんだよ?知ってる?なおくん、クリーナー使うの下手っぴだからさぁ!直ぐに伸びるし!
バカみたいな鬱憤をぶつけた。それから……、
部屋に籠もった彼。リビングで寝た私。
それから私達は口をきかない冷戦状態。
食事はそれぞれ、チンしたりインスタントで済ませてる。洗濯も空いた時に交代交代。
マンションで暮らしていたときから喧嘩の作法は変わらない。ただ、便利だった街暮らしの時は、友人や同僚と外で食べたりテイクアウトしたり、コンビニで手軽に済ますことが出来たのだけど……。
シュンシュン……、お湯が沸いた。カチリと止めて、街に帰りたくなっちゃった。カップ麺もレトルトも済んじゃったし、買い出しに行くのも面倒くさいな。ボヤキながらインスタントコーヒーを淹れていると。
「おはよ……」
夫がボサボサの頭で起きてきた。無言だったのに今朝は、ボソリとそう呟いた。
「おはよ」
黙ってよかなと思ったけど……、返した。
「あの……、さ。これから朝飯、買いにコンビニ行かない?」
ボリボリと頭を掻きながら、話してくる。
「パンもレトルトもチン!も済んでるもんね」
「うん。言いすぎた」
「こっちも。ごめん」
彼のコーヒーカップを取り出すと、数日ぶりに淹れようとして気がつく。
「あー、シュガーがない」
「車で十五分、買いに行こう、ついでにさ、隣り町にある大きなホームセンターに行こう、マールレモンの苗木買って、防護柵買って、苗物を買おう。春だし、やり直そう」
今日売出しなんだよ。スマホの広告アプリを見せてくる彼。
「朝ごはんどうするのよ」
「コンビニで買って食べながら行こうよ」
すっかり元に戻った私達。
……、数分後、着替えた私達は車に乗り込み、どんな庭にするか、野菜の苗は何を買う?ワクワクしながら話をしている。
これからも、この先も、しょうもない事で喧嘩して、口きかずに過ごして、仲直りして。ボヤキながら、ここで暮らして行くのかな。仲良し夫婦のお隣さんも、一度や二度、こんな風に、喧嘩してそうな気がする。だって。
「旦那さん、草刈りだけなんですか?」
とお茶を頂きながら聞いてみたら。
「後は防護柵の設置とかね。あの人、花の芽と雑草と野菜の芽の区別がつかない、植物音痴なのよ。こんな山の中で、定年退職後の暮らしをしようなんて、言い出しっぺなのにね。おかしいでしょう?」
そう笑って、奥様自ら育てて摘んで乾かした、自家製カモミールティーを優雅に飲んでいたのだから。
終。




