侯爵令嬢視点
「ふふ。全て想定通りに進んでいますわ。」
自室のソファで紅茶を飲みながら、思わず笑みが溢れる。
精霊さんが現れるまでも特に支障は感じなかったが、精霊さんが来てからの状況を比較すると、遙かにわたくしの都合の良いように物事が運んでいると分かりますわ。
これまでは嫌がらせと手助けの両立が難しかったため、わたくしが行ったと気付かれないように嫌がらせをするので精一杯でしたけれど、精霊さんの力を使うとその両立が出来るので外堀を埋めるのもとても楽になりました。
周囲の評価というのは本当に分かりやすい指標となります。これまでは裏で侯爵令嬢だからって…とイオ様をお慕いしている方々に不愉快そうに見られたり嘲笑されたりすることの方が多かったですし、どこに行っても注目されてしまう家柄と容姿のせいで大々的に動くことも出来ませんでしたからね。
自身の派閥の子を上手く誘導して事を起こすことも勿論ございましたが、何かの拍子に裏切られることもございます。そうならないための掌握は済んでおりますが、万が一ということもございますので、加減が難しいので出来ることが限られていたのよね。
こういった悩みを持っていたのが既に懐かしく感じますわ―――。
―――精霊さんがわたくしの前に現れたのは本当に突然のことでした。
いつものようにソファで紅茶を飲みながら、イオ様の周りの女をどうするか考えあぐねていたとき、ベッドの上が光りに包まれたのです。あまりの眩しさに思わず目を瞑り光りが消えたのを確認して目を開けました。
すると、ベッドの上に今までいなかった少女が寝ておりました。何もない所から現れた少女を見てわたくしはすぐにこの国に伝わる精霊伝説を思い出しました。
―――それは遙か昔。
1人の青年が精霊を助けたことから始まるお話です。
青年は冒険者をしており、その日も冒険者の仕事として森の見回りをしていたそうです。
人に害を及ぼす獣が人里に近付いていないか確認して回っていたとき、この辺りでは見かけない魔獣に遭遇したのです。
状況把握のために少し距離を空けて隠れ魔獣の様子を窺っていると、魔獣は人里に向かうでもなく地面に向かって頭突きを繰り返しておりました。青年はその行動の意図が分からないものの、このまま繰り返されると何が起こるか予測が出来ないためその魔獣を討伐することにしました。
1人での魔獣討伐に苦戦するものの何とか討伐しその魔獣を解体しようと魔獣を持ち上げたところ、その下敷きになるように人が倒れていました。青年は慌ててその人に声を掛けるものの反応がないため、魔獣の解体は人を呼ぶことにし、背中に背負い森を後にします。
街の門番に魔獣の件を依頼すると同時に家に医術師を連れて来てほしいとお願いし、抱えた人を自身の家へと連れていきました。依頼した医術師にその人を見てもらうと、それは精霊という人とは異なる存在だったのです。
思った治療は出来なかったものの、3日後に精霊は目を覚ましました。それから精霊は言葉を発しないものの、青年の後ろをついて回るようになりますが、その姿は青年以外の誰にも見えなくなっていました。
意思疎通が出来ないものの青年は精霊に国の現状や自分の置かれている立場などを愚痴のように吐き出します。
子どもが幸せに暮らせる国にしたい…。愚痴の中に混ざった心からの願い。それは精霊によって叶うこととなります。
精霊と出会ってから少しして、青年が生まれた故郷が内戦に発展しました。国は反乱軍に負け国王含む悪政を強いた貴族が処刑され、そのとき反乱軍のトップをしていた男が王様になりました。反乱軍のトップにいたのがその青年だったのです。
その後、青年王の統治の元子どもも安心して暮らせる国が誕生しました。それが現在のサーザンド王国の成り立ちです。
精霊は子どもが幸せになるのを見届けるように、その後青年の前から姿を消しました。
その出来事から、この国には精霊が存在し、精霊を救った者には精霊の恩恵が与えられるという話が代々受け継がれております。―――
―――まさか本当に精霊さんが存在するなんて思っていなかったのですが…
精霊さんが眠っているのを確認し、特に異常が無さそうなことを確認してから部屋を出ました。
精霊さんは何か必要な物はあるのかしら…書斎で精霊関連の資料を読んでみるも詳細な資料が存在しないのです。
…資料がないなら試すしかありませんよね。メイドに新しいお茶の準備を依頼し部屋に戻りベッドを確認すると精霊さんと目が合った。
これはもう助けたことになるのではないかしら。では、お願い事を致しましょう。にこやかな笑みを意識しながら精霊さんへのお願い事を口にします。
―――それから本日までの半年を振り返り、また笑みが溢れる。
周囲の反応は上々で、外堀はほとんど埋まっている。
学園でイオ様とわたくしが一緒にいるのを見ても、お似合いだという噂か、あのイオ様にも分け隔てなく優しくしているなんて素晴らしいという評価なのですもの。イオ様を女性から引き離しつつ、わたくしの好感度を上げる作戦は成功と言えますわね。ふふ。
少し冷め始めた紅茶を口に含みながらこれからに思いを馳せ笑みを溢す。
ーーー迎えの馬車を待っているときにイオ様に声を掛けられる。
「今度、僕の家でパーティを開くのだが、レイナ嬢にも是非参加してほしい」
「まあ!パーティですか?」
「そうだ。そこで大事な発表があるから、レイナ嬢には必ず来てほしくてね。招待状は明日にでも届くと思うから良い返事を待っているよ」
それだけ言い残し、イオ様は迎えの馬車に乗り学園を後にされました。
このお誘いは間違いないですわ!パーティで婚約発表ですのね!事前にわたくしに申し込みがないということは、サプライズをご用意なされているのね!ああ漸くですのね!パーティに向けてドレスを新調しなくてわ!
楽しみのあまり淑女にあるまじきスキップをしてしまいましたが、自室ですし許してくださいな。
―――楽しい時間がすぐというのは本当ですのね。お話を聞いてからパーティまで、時間にすると2ヶ月ほどありましたのに。もう当日ですわ!
気合い十分にメイドにセットされたわたくしの姿。濃い青のドレスはスカートの部分がラップスカートになっており動きに合わせてふわっと広がるのがポイントですのよ!髪の毛はハーフアップにし、出ている部分は緩く巻いて動きをつけて首元のネックレスにはブラックダイヤモンドを使用しておりますの。婚約者になる殿方の色を身にまとえるとは何と素晴らしいことなのでしょう。
我が家にイオ様のお迎えが無かったことには少し不満を覚えますが、そこも含めてサプライズなのでしょう。
お父様やお兄様と会場に向かう馬車に乗り込みながら、頬が緩むのを抑えられない。
お母様ったらどうしてこの大事なときに体調を崩されてしまうのかしら…。娘の晴れ舞台と言っても過言では無いのですし、お母様が一番残念ですわよね…。わたくしは幸せになって戻って参りますわ!待っていてくださいませ!ふふ。
「今日のパーティはとても楽しみなんだね。」
お兄様に微笑まれ、私も淑女らしく微笑みを返します。
「ええ、本日をとても心待ちにしておりましたから。」
「今日は何かあるのかい?」
「ふふ。着いてからのお楽しみでしてよ。」
お父様もお兄様も内緒でサプライズの内容をお教えくださればいいのに…。そんな素振りも全く見せないなんて、どれ程完璧主義なのかしら。楽しみは後に取っておくと良いといいますものね。そのお芝居に最後までお付き合いして差し上げますわ。
会場に着くと3人でアザト侯爵に挨拶に向かう。
「本日のパーティではご子息の婚約者を発表するという噂は誠かしら」
「わたくしも聞きましてよ。なんでもご子息たっての希望らしいわよ」
「以前からお互いに密かに想いあっていたとか…。素敵ですわよね」
ときどき耳に届く婦人の会話に口元を隠すように手を当てる。
もうこんなに噂になっていますのね。それにしても事前の打ち合わせなしで大丈夫なのかしら…。イオ様ったら意外と抜けて降りますのね。ふふ。まあ安心してくださいな。わたくしが完璧にイオ様に合わせて見せますわ。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
お父様の言葉に合わせ、両手でスカートの裾をつまんでスカートを持ち上げカーテシーを行う。
「これはこれはルアワ侯爵。本日は息子の大事な日でもあるので、来て頂けたこと感謝する。」
「ほお、大事な日ですか。もしや噂は誠でしたかな?」
「ええ。実はこの度ホシヤ伯爵家のメイコ嬢との婚約が成立しまして――。」
ホシヤ伯爵家の娘ですって?どういうことですの?ここで一度わたくしを落胆させてからの婚約の申し込みということですの?さすがにそれは良い案とは言えませんわ。
サプライズではなく、これが事実なんてこと…ないですわよね。だってお二人が一緒にいらっしゃるのをわたくしは一度たりとも拝見したことがございませんもの。そうよ、これもサプライズの一環に違いないわ。
ドレスのスカートの前で合わせた手を周りが見て不自然にならない程度に握り表情は笑顔を保ちます。
周囲の視線が一方向に集中し感嘆の声が漏れ聞こえる。普段と異なる周囲の様子にイオ様が婚約者と現れたのだと悟りました。
侯爵令嬢たるもの、ここで取り乱すわけには参りませんわ。ここは社交界ですもの、あらぬ噂は命取りになるのですから。
自身に言い聞かせながら、深呼吸をし覚悟を決める。
学園でも下手に婚約者候補を気取ったりしていなくて正解でしたわ。わたくしへのサプライズだと思っていたおかげでお父様たちにも変なことは言っていないはずですし…。……お母様が欠席なさったのは、噂をご存じだったからなのね…。家族の中で唯一わたくしの計画をご存じなのはお母様だけですものね。
醜聞になるようなことがなかったか振り返っていると、頭が冷え冷静になってきましたわ。
さっさと挨拶を済ませて帰りましょう。
「イオ様、本日はお招き頂けたこと感謝申し上げます。」
「レイナ嬢!こちらこそ、来てくれたこと感謝する。こちらはメイコ・ヤンクン・ホシヤ伯爵令嬢、私の婚約者だ」
「ルアワ侯爵のレイナ・ショールジョ・ルアワと申します。メイコ様とお呼びしてもよろしくて?」
「メイコ・ヤンクン・ホシヤと申します。そう呼んで頂けるなんて光栄です。」
「それにしても、噂の婚約者様がメイコ様だとは思いませんでしたわ。学園でもお2人が交流しているところを拝見致しませんでしたから…。」
「それは彼女を守るためだよ。貴族社会だし、何があるか分からないからね。婚約という公の場で彼女を守る名目を得られるまでは交流も秘密裏に行っていたのさ。」
「そうでしたの!メイコ様、素敵な殿方とのご婚約おめでとうございます。ではわたくしは失礼致しますわ。」
「ああ、また学園で」
―――「もう下がって休んでちょうだい」
紅茶の準備をしようとしていたメイド達に声を掛けて下がらせる。
イオ様たちとの挨拶後、どうやって自室まで戻ってきたのか定かではありませんが、メイド達の反応を見るに何事も無く戻ってこれましたのね。
メイドが全員下がったのを確認し、ずっと後ろにいた精霊さんに声を掛ける。
「あなた、まともにお願いも叶えられないなんて、本当に精霊ですの?」
苛立ちを声に乗せながら問いかけるも相変わらずの無反応。
精霊だと分かっていても、怒りは我慢の限界を迎えており、声を荒げずにはいられない。
精霊に何をしても見えているのはわたくしだけですのよね。その考えが頭を過ぎると、自制は効かなくなっていた。
「あなたを助けたのはわたくしですのよ?きちんと恩を返しなさい!今すぐあの2人が婚約を破棄するようになさい!イオ様の想い人の相手がわたくしだった、という流れを作ってくだされば消えて構いませんわ。」
部屋を歩き回りながら、命令と同時に次のお願いを精霊にする。
婚約準備に必要なものを書くため、紙とペン、インク壺を準備する。精霊はその場に止まってお願いを実行する様子もない。
「いいから、さっさと動きなさいよ!!!」
その様子に苛立ちが蘇り、手近にあったインク壺を精霊に投げつける。
ガンッと鈍い音と共に精霊の額にインク壺が当たったかと思うと、辺りが眩い光りに包まれた。
精霊が現れたときと同じ現象に思わず目を瞑る。光りが消え、目を開けたときにはそこにいるはずの精霊の姿はなく、投げたときに割れたインク壺の中からインクが染み出しているだけだった。
このお嬢様、割と嫌いじゃないです。笑