侯爵令嬢のお手伝い
――目を開けると知らない空間が広がっていた。
背中はふかふかとした柔らかくて暖かい感覚に包まれており、目の前には何かの刺繍が施された布が広がっている。少し首を動かし横を向くと少し離れた所には白い壁が見え、そのまま視線を斜め下に向けると踏み心地が柔らかそうな床が見える。
どうやら私が横になっているのは床より高い位置にある何かの上だということが分かったが、ここが何処かは分からない。
分からないものを考えても仕方がない。
考えるのを止め、首の位置を元に戻すと目の前に広がる刺繍を眺める。
カチャという音から少しして、視界一面に黒いモヤが映り込んだ。そのモヤを凝視すると、モヤが薄くなっていく。釣り上がった灰色の瞳に少し高さのある鼻、真っ赤な色の唇、白に近い肌色、青みがかった黒の髪……モヤが薄くなる中に見えてきたものから、そのモヤの正体が女性の顔なのだと認識できた。
「起きましたのね。」
私を覗き込むのをやめ、そのときに落ちてきたであろう髪の毛を掻き上げながら発された声に首を少し右に動かしその少女を見つめる。黒いモヤは少女の顔を隠したり、はっきり顔が見えるようにしたりと安定しない。
その不安定さから視界に映るものがころころ変わるのを楽しんでいたものの、しばらくすると目がちかちかと疲労を訴えてきた。目を休ませるように一度閉じ、少しして開くと映り込んだ少女からは黒いモヤが消えていた。
黒いモヤがどこに行ったのかが気になり眠っていた姿勢を起こし周囲をきょろきょろと見渡すも、黒いモヤは既にこの空間には存在していなかった。
「わたくしのベッドの寝心地はいかがでしたか、精霊さん?」
その声がどこに向けられたものなのかが分からないが、何やら説明を始めた声を聞き流しつつ起き上がった視界に新たに映り込んだ初めて見る物たちを眺める――。
――「何もない所から現れたあなたは正しく精霊ですもの、わたくしの願いを叶えてくださいな。」そう締めくくる少女の話によると、どうやら少女はレイナ・ショールジョ・ルアワという16歳の少女で、サーザンド王国の侯爵令嬢と呼ばれる存在らしい。
ここには精霊というものが存在しており、普段は意思の疎通を図ることは疎か、見ることも触れることも出来ないがまれに――怪我や何らかの事情で弱っているときに限り――人が触れられる存在になるらしい。そのときに精霊の手助け――回復のサポート――をすると1つ願いを叶える手助けをしてもらえ――ただし意思の疎通は図れず言葉は通じない――その願いを叶えるまでの間は本人のみに精霊が見え触れられる状態が続くのだそうだ。
――どうやら私はその精霊という存在らしい。
私が精霊ということは、先ほどのベッドの寝心地という言葉は私が寝ていたものを指すのだと気づき、これがベッドなのかと確かめるようにベッドを軽く押しふわふわしながらも反発するかのような抵抗感を楽しむ。
少女は私の返事がないことにも、精霊だからそんなものかと意に介する様子もなく言葉を続ける。
「私のお願いは簡単ですわ。私の意中の相手との恋を成就させるお手伝いをしてほしいの。」
サーザンド王国では13歳から婚約が認められており、家格が釣り合うかという問題さえクリアしていれば相手を決める権利は親ではなく子供自身にあるらしい。
少女の意中の相手はサーザンド学園に通う――この国では貴族は10歳から18歳まで通うことが義務付けられている――イオ・トコスキー・アザトという侯爵子息だという。美男子で人気があるものの婚約者がおらず、同年代で家格が釣り合うのも少女くらい――少女曰く、他に同年代は伯爵令嬢になるため、同じ侯爵に少女がいる以上、わざわざ伯爵令嬢を選ぶことはないとのこと――らしい。
現在彼との仲は良好。後は告白待ちといって良いほどの状態ではある。しかし、そのタイミングで精霊が現れたということは、万全を期すようにという神の啓示に違いないと興奮して声高に言い募る少女はそのまま私の手を引くとソファに座らされ正面の向かい合うように置いてあるソファに少女が腰掛ける。
座った瞬間に軽く反発されるようなベッドと同じ感覚を味わい少し楽しくなる。
ルアワ家お抱えの専属家具職人が最新技術――スプリングというらしい――を使っているらしく、現在ルアワ家のベッドとソファは全てこの技術が使われているものを使用しているらしい。ソファの間にある物――テーブルというらしい――は白を基調としており、この白も貴族の中でも侯爵までしか使用を許されていない貴重な染料なのだそうだ。
この部屋だけでなく、屋敷全体が白を基調として建てられており、特に部屋の扉のドアノブ――少女が入ってきた場所が扉といい、この部屋以外の建物内の様々な部屋に行き来が可能と知り不思議な所だと驚いたが、どうやら当たり前らしい――と後ろに置いてある机と椅子併せて特注した猫脚のデザインがポイントですのよ、とは少女のお家自慢の一部である。
暫く少女の自慢話が続く――。
――「そうでしたわ、今後の作戦の方針だけでも決めてしまいましょう。」
ぱんっと手を鳴らすと扉が開き床に付くぎりぎりの長さの丈のワンピースを着た女性――メイドと呼ばれる人らしい――が二人、ティーカート――というらしい――を押しながら入ってきた。
「これはわたくしのオススメのティーセットと茶葉ですわ。精霊さんは紅茶を飲めまして?」
少女の前にのみ並べられていたティーセットを私の前にも並べるように指示を出し、私の前にも並ぶのを確認するとメイド2人に下がるように指示をする。
「お嬢様ったら、またおかしくなったのかしら…誰もいらっしゃらないのにお話をしてティーセットまで用意するなんて、重傷だと思わなくて?」
「しっ。お嬢様に聞こえたらどうするの。この前お嬢様の思い込みを指摘した子が手を上げられた挙げ句屋敷を出されたのを忘れたの?」
「そうだったわね。」
「普段尊敬できる旦那様も唯一の女の子であるお嬢様のこととなると…ね。ああならないよう、発言には気をつけましょう。」
扉を出て行ったメイド達だろうと思われる声が耳に届く。紅茶に口をつける少女の耳には届いていないようで、ゆっくり紅茶を味わっている。
「精霊さんは紅茶をお飲みにならないのね。では、これからあなたにお願いすることについて話しましょう―――。」
―――今日は話にあった学園に来ている。
少女は今までイオ・トコスキー・アザトの周りにいる女性に彼を諦めてもらう努力をしてきたが、秘密裏に行うのも限度があり徹底的には行えなかった。
そのため、私に女性たちを諦めさせる手伝いをしながら彼の好感度を上げる手伝いをしてほしい、具体的にしてほしいことについては都度指示をするから、指示されたことを忠実に守ってほしいというのがソファでの彼女からのお願いだ。
精霊さんと呼ばれる私は少女のお願いを叶えないといけないらしいので、少女の少し後ろをふわふわ浮きながら――精霊さんとは浮いている存在というのは周知の事実ですから無理に歩こうとしなくていいですわ、という少女の話からその通りにしている――ついて学園にきたのである。
「きゃっ!!」
「だい――」
「まあ!大丈夫ですの?さあわたくしの手を取って。医務室へお連れいたしますわ。あら…イオ様、ごきげんよう。彼女のことはわたくしにお任せくださいな。婚約者でもない男性が女性の手を取るなんて、事情を知らない方々に見られたら噂になりましてよ。」
「やあ、レイナ嬢。確かにそんな噂を立てられると彼女にも迷惑だね。ではレイナ嬢の言う通り、お任せするよ。」
そう言いこの場を離れる黒髪短髪の男性こそ、イオ・トコスキー・アザト。少女の思い人である。
何もない通路で何かに躓いたように転ぶ彼女を手助けする少女は笑顔でイオを見送ると、大丈夫ですの?と再度声をかけ彼女の手を取り医務室へと連れて行く。その姿を見た者全て―イオや助けた女性含む――の好感度を上げた少女こそ、そもそもの元凶である。
ーーー学園に着いた少女は、イオの背中を見つけ声を掛けるために後を追う。
イオ正面から歩いてきた女性を見ると一瞬ニヤッと笑う。
「あの女もイオ様とわたくしの邪魔をするのよ…。精霊さん最初のお願いよ。彼女をイオ様の近くで転ばせてほしいの」
その言葉から、私の頭に少女が想像している彼女の転ぶ姿が伝わってくる。見えた映像通りになるように女性に向けて手をかざすと、何かに躓いたように転ぶ女性の「きゃっ!!」という声が聞こえたーーー。
―――「レイナ様、助けて頂いたこと感謝申し上げます。ですが、替えの服まで戴いてしまって本当によろしいのでしょうか?」
転んだ女性を助けてから時間が流れたものの、あれから少女の医務室通いが続いている。
「気になさらないで。困っている方をお助けするのは持てる者の義務ですもの。それに…貴女みたいな素敵な方を水浸しのままにしておくことなんて、わたくしにはとても出来ませんわ。ですから服も遠慮なく受け取ってくださると嬉しいですわ。」
「レイナ様―――」
感嘆の声を上げる女性の言葉を聞かず、少女は自分の言いたいことを続ける。
「それにしても、近頃被害に遭われる女性が多いのですが一体何が起こっているのかしら…。貴女を含めてわたくしが気付いて助けた方々の状況を見ても人為的とも思えませんし…」
「それが――」
少女が困ったように頬に手添えてため息を吐くと女性は言い難そうに言葉を詰まらせながら、最近女性の間でされている噂について話し始める。
女性曰く、イオ様の近くにいると被害に遭う。イオ様に好意を持つと被害に遭う。イオ様は女性を不幸にする。といったものである。
「あらあら。イオ様が原因で起こったのではありませんよね?どうしてそう言った噂になるのかしら?」
「被害に遭っているのが、イオ様に好意を持つ女性ばかりだからですわ。わたくしも被害に遭うまでは信じておりませんでしたが、お恥ずかしながら今はあまりイオ様に近付きたくないと思ってしまいますの。」
「そうなのですね。無理に近付くことはないと思いますが、この噂を貴女は広めてはなりませんよ。イオ様のお耳に入って傷付けてしまうかもしれませんし、貴女の周りにも噂をしている方がいたらそれとなく注意をして頂きたいの」
慈愛に満ちた表情で話す少女に、もちろんですわ。レイナ様はお優しいのですねと言い女性は再度感謝を述べると部屋を出て行った。
優しいと言われた少女こそ、この出来事を引き起こしているとも知らずに―――
女性を転ばす事件を発端に、少女は精霊を使って少女の邪魔になる女性たちに嫌がらせを続けた。
内容は、お茶をしていた女性の唇を切ったり――ティーカップが欠けていたように細工したり――、本を読んでいた女性の指を少し痛む程度に切ったりといった些細なものから、女性を階段から落としたり、課題をこなしていた一組の男女を密室に閉じ込めたり――その男女はあらぬ噂が立ち学園を去った――女性が差していた傘にいくつかの穴を空けて水浸しにしたりと被害が大きくなることまで多岐に渡る。
そして、その“事故”の原因はイオ様に近付いたからだと本人が認識し、相談として学園の誰かに話すように精霊を使って仕向けた。後は何か問題が起こる度に相談事が持ち上がり、噂として広がっていく。それはいつの間にか立派な尾ひれを身につけ、「イオ様は女性を不幸にする」というものになった。
最初の転んだ女性の件や今回の水浸しになった女性の件のように、少女のすぐ近くで起こる出来事は手助けをし、それ以外には近付かないし関与しない。噂についても最初の被害に遭った女性への洗脳を精霊に依頼はするものの、そこからは全く関与していない。
もちろん、少女の関与できない距離で起こる件も、対象の女性が遠くにいるときを狙っての攻撃である。関与を疑われないようにイオの周囲から女性を引き離し、今後近付きたいと思わせないように噂を流す。噂の広がり方も考慮した上での攻撃に自身の好感度を上げる取り組み。少女への好意的な噂は、少女が手を回さなくても現場を目撃した人間から広まっている。これまでの出来事は、少女の計算通りなのであった。
全てに手を差し伸べると不自然ですし、わたくしの周りでばかり起こるとわたくしが呪われているだのと噂になりかねませんからねと笑いながら指示を出す少女は最初に見た黒いモヤがお似合いである。
主人公が周りの行動にも興味がなさ過ぎて、きちんと周りを見ようとしないし感情表現もない…
主人公視点が書きづらい……。(文才の無さの言い訳)
次は侯爵令嬢視点に入ります。