五分後のふたり
ふたりはシーツータウン(C2 Town)から九キロ離れた場所にあるシースリータウン(C3 Town)を目指して、およそ七キロほど歩いてきた。時刻は十九時手前で、あたりはすっかり暗く、満天の星がよく輝いて見える。
「楽しいんだけどさ、流石に一日中歩きっぱなしだと疲れちゃうね」疲れ切っているはずのふたりだが、ミズハは明るく振る舞っている。
「ちょっと休憩しようよ。門が閉まる前には次の街に着くだろうし」その桃色の髪の毛はぼさっとして、肌がベタついている。アカノは腕で顔を拭ってミズハに提案した。
「そうだね、いったん休もう」
「ねぇ、ミズハちゃんは本当に泳いで大丈夫なの?」
「はは、心配しすぎだよ。飲まなかったら平気へいき」
彼女たちは、近くにあった湖で休憩することにした。
「うわあ、綺麗な色!すごい光ってる」ミズハとアカノは手錠を外し、服のまま水浴びをしている。
湖底には大きな岩がごろごろと、エメラルドグリーンの光を放ちながら、その存在感を誇示するよう鎮座していた。蓄光成分を含んだ岩石が、日中の陽光に反応して夜まで光り続けているらしい。
「こんなの見たことない!」アカノの顔もパーッと明るくなる。
ふたりの真っ白な上下の服は、今日だけですっかり汚れてしまって、特に、口の広いズボンの裾は黒くなっていたが、水浴びをしたことで少し綺麗になっていた。
岩石の鮮やか光で彩られた湖を楽しんだ後、ミズハはアカノを置いて周りを散歩することにした。
「ちょっとだけ散歩してくる」
「大丈夫?ほんとにちょっとだからね、あんまり遠くに行っちゃダメだからね」アカノは奔放なミズハを心配して念押しする。
ふたりが手錠に繋がれた生活を始めてから、ずいぶんと長い時間が経つが、それでも離ればなれになるとアカノは心配せずにはいられないようだった。
はいはーい、とから返事をしながら、彼女はアカノに背を向け歩いていた。
「お、あれは」
少し行ったところに、幌馬車が止まっていたので近づいてみると、どうやらシーツータウンからきた商人のものであると分かった。
幌を被った荷台の中をそーっと見てみると、新鮮そうな野菜や果物、それとパン類が顔を見せた。
「失礼しまーす……おお、おいしそう!」そういえば、出てきてからなにも食べてなかったなぁ。
ぎゅるるる、と鳴き声が聞こえたお腹に手を当てる。
「貰っ……いや、そんなことしたら絶対アカノちゃんに怒られる」ミズハは一考してから、アカノの持つリュックへと戻ることにした。
「アカノちゃーん!ちょっとがまちゃん貸してー!」ミズハがアカノの元へと駆け寄る。
「あれ、アカノちゃん?」アカノの顔を覗くように屈むと、うとうとして今にも寝てしまいそうだった。
「……うーん?」
「眠くなっちゃった?ここまで頑張って来たもんね」ふふ、と微笑んで頭を撫でると、近くのリュックから財布を取り出し、銅貨を二枚手に持って今度はあちらの幌馬車へと草原を走る。
星空では先ほどから流れ星がきらめき、流れていた。
「じゃあ、ちゃんと払ったんで……リンゴ……貰っていきますね〜……」荷台に銅貨を二枚置いて誰に言うでもなくこそこそと挨拶をしたのち、リンゴを二つ頂くことに。
そのとき、ガサッと音がした。
「ひっ!」リンゴを持つ水色髪の少女は、体をびくっとさせて音のした方を見やる。馬車の前側で商人が仮眠をとっていたようで、寝相を変えたらしかった。
「びっくりするじゃん……!」リンゴを抱く腕に力を入れて、そそくさとアカノのいるところへと帰る。
「ぐっすり寝てる。ここ、リンゴ置いとくね」
ひとつはミズハが食べる分、もうひとつはアカノに買ったリンゴだ。
シャクっと口いっぱいに頬張ってから、星空を見上げた。
数時間が経った頃、アカノが目を覚ますと、ドキッとした。隣にはミズハがおらず、綺麗な赤色をしたリンゴだけが置いてある。
手錠……そうだ、手錠を外してから何時間が経ったのだろう。
ふたりを繋いでいた手錠は、無論、いつまでも外していられる訳ではない。ミズハには約三時間のタイムリミットがある。
ここで、アカノの右手首に残る『双色手錠』について話す前に、色々と説明しておかなければならない。
実はこの世界の水には、有毒物質が含まれているのだが、通常、それは肝臓の解毒作用により毒性の低い物質に変えることができるため問題はない。
しかし、ミズハは遺伝子異常により肝臓の一部機能が働かず、その物質を自身で代謝できないため、体内に溜め続けてしまう。そして、体内中の有毒物質は肝細胞を大量に破壊し、急性肝不全を引き起こして死に至らしめてしまうのだが、これを回避するためにアカノと手錠で繋がっている。
つまり、この手錠とアカノは、ミズハにとっての生命維持装置なのだ。もちろん、三時間が経った瞬間に死んでしまう訳ではないが、ミズハはこれまでに二度、手錠を長時間外していたことがあり、肝臓の修復機能を以ってしても多大なダメージが残ったままで、次に長時間外してしまった場合はあまり良くない結末が待っているだろう、と手錠を監修してくれたドクターが言っていた。
次に、『双色手錠』そのものについてだが、正式名称は電波変換式物質送受装置という。
機能としてはまず、ミズハの体内に埋め込まれた送信装置で何種類かの有毒物質を収集、電波に変換しミズハ側の手錠の輪へと送信する。
それを受信した手錠は、電気信号の量を調節して、アカノ側の輪で再び電波にしたのち、それをアカノの手首近くに埋まる受信装置に飛ばして、もう一度物質に戻す。そうして有毒物質は、アカノの体内に移されて代謝される仕組みになっている。
ちなみに、電波変換式物質送受装置が手錠の形を模しているのは、幼少期の頃の二人が、その意思に関係なく常に近くにいられるようにするためだ、とドクターが教えてくれた。手錠を外すイヤリングのキーは十二歳の誕生日に施設の人から貰ったものだ。
かなり長くなってしまったが、アカノが目を覚ました瞬間焦りだしたのは、このようなミズハの事情があったためだ。
「どうしよう」やっぱりあの時ついて行けばよかった。もしミズハちゃんの身に何かあったら——
混乱する頭を押さえつつ、立ち上がって周りを見渡すが、辺りには草原ひとつしか広がっていない。
「ミズハちゃーん!」手に口の開いたリュックを持って、ふらふらと歩きはじめる。心臓をぎゅっ、ぎゅっと握られるような動悸が体の中で響いていた。
少し行ったところで、背の低い草に隠れるようにして、銅貨が一枚落ちていることに気づく。
「なんで......こんなところに」アカノは銅貨を拾い上げ、青白い月明かりを反射させてみる。
そのとき、開きっぱなしのリュックの中に、リンゴの芯が入っていたことを思い出す。もしかして、リンゴの芯と銅貨はミズハが関係しているのだろうか。
「やっぱり、二枚減ってる」アカノが財布の中を確認すると、一昨日の夜に入れた分より、銅貨が二枚減っていることに気づいた。
「まさか、あっちまで行って買い物しに行ったのかな」先刻に散歩へ行くと言った後、ここから二キロ先のシースリータウンへ、買い物をしに行ったまま帰って来ていないということか。しかし、リンゴの芯も、手がつけられていないリンゴも手元にある。
銅貨二枚分の買い物は終えて、一度ここへ戻って来ているはず。それなのに、ここに居ないということはもう一度タウンへ行ったか、もしくは——
「誘拐……⁉でもそれは……」タウンの外側はリーン現象(三話で詳述)や地震が頻発しておりかなり危険なため、基本的に出歩く者はあまりいない。誘拐の線は薄いか、とアカノは考えを巡らせる。
「じゃあ……」シースリータウンに早く行かなきゃ!
ミズハの居場所はおそらく、シースリータウンだろうという推測を元に、すぐに捜しに出ることにした。
アカノは、まだ疲れの残る足のまま十分走り続け、無事、目的地へ到着した。
「どこにいるの……ミズハちゃん」
ここが施設を飛び出す前日にひとまずのゴールとした街だが、着いた実感や喜びなどは全くなかった。
シースリータウンは、この世界では珍しく水運の発達した街だ。ここでも斜面に街が栄えているが、それとは別に、街の下部に洞窟水運街と呼ばれるエリアがある。その名のとおり、洞窟の中に店が軒を連ねて市場を形成している。主な交通手段は舟だ。
「あ、あの……水色の髪の女の子を、見ませんでしたか……」アカノが勇気を振り絞り、洞窟水運街の入り口に立つ人物に声を掛けた。
「なにを見たかだってー?なんて言ってるか聞こえないよ!」ここら一帯は通行する商人や市場に出入りする客たちで多くの賑わいをみせ、夜になっても騒々しい場所であった。
「水色の髪の!……女の子……見てませんか」
「水色の髪の女の子ー?見てないね、はぐれちゃったのかい?」大柄で熊のような男は、面倒見の良さそうな顔で聞き返す。
「あ……」小さく頷いたあと、頷きなおすようにぺこり、と一礼してアカノは逃げるように男の前から去った。アカノは人見知りだ。
街の入り口付近にいる人が見ていないと言うのなら、この街には来ていないのだろうか。そうだとしたら、もう手遅れかもしれない。最悪の事態が脳裏によぎった。
「はぁ、はぁ」次に斜面の街を探索することにしたアカノは、石畳みの坂を一生懸命登っていく。
「どうしよう、どこにもいないよ……」
あれからずっと路地や店の中を探しているが、ミズハの姿は一向に見つからない。結局、街の入り口まで戻ってきてしまった。アカノの顔はどんどん曇っていき、いっぱいの涙で目が潤んでいる。
時刻は十時七分。手錠を外してから約二時間五十分が経過していた。
「あとはこっちしか……」二十分ほど前に来たものの、中を調べてはいなかったため、今度は洞窟内を捜してみることにした。
「お嬢ちゃーん!ここを泳ぐつもりなのかー?中はすごい長いし、複雑だぞー!舟はどうしたんだー?」洞窟に続く川から出てきた商人が、慌てたように泳いでいたアカノを心配して、遠くから話しかけたようだ。
「大変なの……!早く行かなきゃ」アカノは今にも泣きそうな声でそれだけ言うと、洞窟内へと泳いで入っていった。
「……大丈夫かあの子」商人は櫂を握りしめ、不思議そうな面持ちで見送った。
三時間経過まで残り五分。ミズハの命が危ない。
ミズハちゃん!ミズハちゃん!
アカノは心の中で何度もミズハの名前を読んで、泣きながら水中を泳いでいた。
周りを行く舟の上からは、ただ事ではない様子のアカノに、なんだあの子は、と驚く声や好奇の目が注ぐ。
『洞窟野菜市』
綺麗に透き通って、底まではっきりと見える川を少し進んだところで、水上市場が見えてきた。
「ぷはぁ、はぁ、ここには……居ない」アカノは水面に顔を出し、市場を全体的に確認するが、これと言って変わった様子や、それらしき人影は見つからない。さらに先の、ぐねぐねと折り曲がった洞窟内を泳ごうとする。
「ちょっときみー!そこの女の子ー!」すると、誰かが市場の奥からドカドカと床材を踏み鳴らして、川の方へと走って来た。アカノはその騒ぎに引っ張られるように、泳ぐのをやめてそちらに目を向けた。
「やっぱり、君がアカノちゃんか!さぁ、こっちへ上がって!ほら!」男は川岸で大きく振りかぶり手招きした。それから、膝をついて手をアカノの方へと差し伸べる。
行き交う舟に当たらないようタイミングを見計らって、市場の方へ近づいた。
「あ、ありがとう……あの、あなたは」引き揚げてもらったアカノが、自身の名前を呼びかけた男に問うた。
「それは後だ!ミズハちゃんって子が君を捜してる!君も彼女を捜してたんだろう?早く行こう!」男はびしょ濡れのアカノを引っ張って、市場を駆け抜ける。
「おーい!見つかったよ!こっちだー!」
男が声をかけた方を確認すると、そこには、あのミズハが周りをきょろきょろと見回す姿があった。
近くの出店の店員や、買い物に来ていた客たちがざわついている。
「アカノちゃん!」騒がしい市場の中、ミズハの呼ぶ声が聞こえる。アカノは連れて来てくれた男を追い抜かして、全速力でミズハの胸へと飛び込む。
「ミズハちゃーん!うわーん‼捜したんだから‼……良かった、生きてた……」ここまで酷使してきた体をミズハに預けると、堰を切ったように大泣きした。
「ごめんね、アカノちゃん。心配かけて……あの時ちゃんとしてたら、こんなことになってなかったのに。本当ごめんなさい」ミズハも目に涙を浮かべて、アカノと、アカノの想いを真正面から受け止める。
アカノの小柄な体躯が、芯から冷えているのが分かり、暖めてやりたいという気持ちでいっぱいになった。アカノの、心臓の激しい鼓動を感じる。
アカノとミズハを再開させた男は、ほっとした様子で二人を見つめていた。「良かったねぇ」
手錠をつけ直したのは十時十六分。外してから、二時間と五十九分が経過してのことだった。
その後、三人は近くの酒場でシースリータウン名物の飲み物を飲みながら談笑していた。
「荷台の商品を降ろそうと中を確認したら、女の子が寝てたんだからそれはびっくりしたよ。はっはっは」
「パウロさん……その、ほんとすみませんでした」ミズハが恥ずかしそうに、パウロという商人に謝る。
「いやぁいいんだよ。私も、昨日今日と働きづめで疲れていてね。そうそう、ここに来る途中、湖があったろう?クリスタリウム湖って湖なんだけれど、あの近くで寝てしまってね。ミズハちゃんとおんなじさ」パウロは立派な髭をいじってて、はっはっは、と笑った。
話をしていくと、なぜミズハがここにいたのかが分かった。
どうやら、ミズハとアカノが休憩をとった湖近くでパウロも休んでおり、ミズハはそのパウロの幌馬車に二回入ったという。一度目は銅貨二枚とリンゴ二つを交換してアカノの元へと戻ったが、ミズハはお腹を空かせたままで寝られなかったため、再び荷台の中へと忍び込んだ。
そして二回目は、荷台の中でパンを食べ、そこで少しだけぼーっとしていた。そうしたらいつの間にか寝ていて『気づけばシースリータウンに』着いていたらしい。
「馬車の中で寝たまま、パウロさんと一緒にここまで来たってこと?」
「あはは、そうみたい。自分でもびっくりしたよ、起きたら身体中痛くてさ、目の前にパウロさんがいて、全然知らないところにいたんだもん」
「お互いに目をまん丸くしてたよ」びっくり!とジェスチャーを交えながら、パウロも話す。
「はは、そうだ……リンゴとパンの代金を」
「あ、いやいいんだよ。こうやって知り合ったのも何かの縁だ、ミズハちゃんへのおごりだよ。この銅貨も、返しておこう」幌馬車の荷台にあった二枚目の銅貨を、アカノの手に置いて握らせた。「そんな……すみません、ありがとうございます」
パウロとアカノがそんなやりとりをする中、ミズハが異変に気づく。
「ちょっとごめんねパウロさん。アカノちゃん、がまちゃんはどうしたの?」
「……あ。ほんとだ!ないよ……!ミズハちゃんどうしよう!」
「お、おいおい、がまちゃんってなんだ?」パウロは樽のテーブルに肘をついて、左右にいる二人を交互に見た。
「このぐらいの大きさのリュックなんです。がま口だから、がまちゃん。あの中に大切なものがいっぱい入ってるんだけど」ミズハが丁寧に説明をすると、パウロが納得したような顔で相づちをうつ。
「あぁ。でも、そんなリュックは荷台の中にも来る途中にも見なかったな。ここに来る前に、どっかに置いて来ちゃったんじゃないか?」
「そうかも知れません。私探しに行って……」
「待て待て!もう今日は休みなさい。夜も遅いし、動きっぱなしだったんだろう?ここから川を少し行ったところに、私の友人がやってる宿屋があるから、そこで一泊するといい」疲れているはずのアカノが、今からリュックを探しに行くと言うのでパウロは慌てて止めに入った。
二つの舟。後ろ側はパウロの幌馬車が、それと繋がって先導する前側の舟には三人が乗っていた。
「そうか、ふたりはシースリータウンは初めてか。ここは良いとこだぞー。なんでもあるし、食べ物がうまいんだ。景色も綺麗で、治安だっていい。リュックも、きっと誰かが保管してくれてるよ」
そうだと良いんだけど、と心配そうにするアカノを、パウロはちらと見て優しく微笑んだ。