番外編 大切な彼女
「父上、今日の催しには、みんなと同じような普通の格好で出掛けたいんですが、だめでしょうか?」
マヌエット家の事情で、僕は父から許可がでない限り、用意された派手な衣装を身につけなければいけない。
今回のそれは上着の襟が巨大で、そこによくわからないヒラヒラがついていて、裾には葉っぱの刺繍が並んでいる。中に着るシャツも、大きなフリルの主張がすごい。
極めつけはタイツの細さ。まったく余裕がなく足にぴったりしている。
十歳である僕の目からみても、かなり子どもっぽいデザインだと思う。
しかし、これが現在大陸一の大国で人気があるのだというのだ。今後マヌエット商会で独占販売するためにも、僕が着て貴族中に次の流行るデザインがこれだと印象付ける必要があった。
家のためだと思っても、今回はさすがにちょっと気が滅入る。流行の最先端が自分の好みと合っているとは限らず、次こそはシックで洗練されたものになってほしい。
そういつも思っている。
「さすがに私では似合わないからな。今回はオーランドが着るしかないだろう」
父は大柄で筋肉質。がっちりしている上に強面だ。
商談のために世界中の商人と渡り合っているため笑っていても眼光はするどい。
「たしかに似合うとは思えない……今回は諦めるしかないか」
王国の行事や祝賀会、王家の主催の舞踏会とかには、国中の貴族が一堂に会する。だから大きな集まりには必ず彼女もやってくる。
彼女とは、僕の初恋の相手であるモンヴール伯爵家のライラ様のことだ。
僕は家のことで虐められて、自分の出自を気にしていたから、家柄や人との交流にとても悩んでいた。その時に、僕の心の淀みを払拭して目の前にあったもやもやを消してくれたのがライラ様だ。
あの頃の彼女には影響力があったし、彼女の一言で僕は救われた。
少しでも彼女に近づくには人込みに潜むしかないのだけど、今日の衣装では無理だろう。
会える機会は限られていて、せっかくのチャンスなのに、これでは目立ってしかたない。
「ライラ様のそばには絶対に行けないな。はぁ」
ため息が出てしまった。
今回は遠くから見つめるか。偶然を装って一度だけすれ違うのがせいぜいだ。
幼いころのライラ様は清楚で透明感のあるその容姿から、天使のような美少女として有名だった。
彼女に憧れている令息が周りに集まっていて、新興貴族で成金と呼ばれている僕が近づける余地なんて微塵もなかった。
でもそのせいでライラ様に嫉妬した令嬢たちに陰でいじめられて、嫌味を言われていたらしい。
ある頃からライラ様を見かけてもマイルズ様の陰に隠れていることが多くなった。そして、自分の殻にこもってしまって、他人とは口をきかなくなってしまったそうだ。
もともと僕には話をする資格がなかったから、交流のあった令息から噂話でそれを知ることになる。
それは本当だったようで、やっと会えたと思っても、一時期はいつも泣き出しそうな暗い顔をしていて心配でたまらなかった。
僕がそばで守ってあげたい。
そう思っても、僕の存在が、もっと彼女を傷つける。そのことがわかっているので実行できるわけもなく。
でも、一年ほど過ぎた頃にはライラ様に笑顔が戻った。それは兄であるマイルズ様や従姉の公爵令嬢が、感情に任せて貶める連中から、ライラ様を守るようにそばに居続けたこともあったし、何より、彼女は人との交流以上の楽しみを見つけたようだ。
「本当のライラ様に戻った?」
ニコニコしながら用意されていたクッキーを美味しそうに頬張っている姿がとても愛らしい。
お茶会なんかでお菓子を口にしている彼女は本当に幸せそうで、あの笑顔こそ本当のライラ様の姿なんだ。だから、いつでもあんなふうに笑っていてほしいと思った。
そして見る見るうちにぽっちゃりしてきて、福々しく柔らかな笑顔がとても似合うようになっていった。
体型がかわったからか、その頃から、ライラ様のことを熱のこもった瞳で見続けている男子は誰もいなくなったように思う。僕以外は。
それでも彼女はモンヴール家の令嬢。
家柄の価値もあって、婚約者の申し込みは途絶えることがなかったようだ。どんなに恋焦がれても僕の手が届くことは絶対にない。
ずっとそう思っていた。
子どもの中には、自分より劣っていると思っている者を蔑み、優越感を得ようとする卑しい奴がいる。それは僕も家柄のことで、貶められる側を嫌というほど味わってきた。
だから、ライラ様の体型について嫌味を言う者が現れたのを知ってからは、どうにかして彼女を守りたいとずっと方法を考えていた。
加害者を調べつくした結果、他人の欠点を攻撃する者は、たいていが何かに対して劣等感を持っていて、自分が褒めたたえられることを望んでいることがわかった。
だから、ライラ様を傷つけそうな子息令嬢がいる場合、僕がそいつらの相手をすれば、彼女に近づくことを防げるのではないか。そう思って、そんな輩に対して自分がへりくだることもかまわず、興味を引くような話やプレゼントを使ってこちらに目を向かせる努力をした。
そのため、陰でまた成金子息と呼ばれることが増えたようだけど、もともと成金なのは本当のことだし、マヌエット商会はどんどん大きくなっていて、資産家とも言われるようになったから昔みたいに気になったりはしない。
◇
陰からこっそりライラ様を見続けて十二年ほどたっていた。あの日、あってはならない事件が起きてしまった。
暴力でライラ様が傷つくことだけは何としても防ぐ必要がある。
緊急事態に限っては関わることをマイルズ様から許されていた。だからこそ、彼女を守り幸せにできる誰かが現れるまでは、それが自分の使命だと思っていた。
それなのに、あまり近づきすぎないようにと距離を置いていたのが仇になった。王宮の庭園にライラ様が連れ出されたあと、広間へ戻って行ったのはライラ様以外の令嬢たち。
「ライラ様はどこだ?」
急いで探してみると、暗がりで男に抱きしめられていたライラ様。
どうして!?
相手はエスコートしていたカール殿ではないし、他人を怖がっている彼女が行きずりでこんなことをするわけがない。
明らかにおかしい状況と彼女にふれている男への嫉妬や苛立ちもあったのですぐに声をかけた。
ほぼあり得ないことだとは思うけど、ライラ様が恋しいと思っている相手だという可能性がないわけではない。そのため初めから手荒なことはできなかったから、とにかくライラ様の状態を確認したかった。
近づいてみるとやはりライラ様は震えて怯えている。そのことがわかったので、すぐに男を引きはがし救い出した。
どう慰めたらいいかわからなかったけど、ライラ様の心身が傷づく前に助け出すことはできたらしい。本当によかった。
◇
それから、彼女の名誉のために僕が婚約者になることが決まって、絶対に無理だと思っていたライラに手が届く距離にいる。
大好きな彼女の笑顔、自分が守りたかったものがこんなにも近くに存在している。
今でもこれは夢なんじゃないか、毎日そう思う。
◇
今日は、ライラから別れを告げられた劇場のあのボックス席で、悲しい記憶から幸せな記憶へ上書きをするために、恥ずかしいほど甘い恋愛劇をライラと二人で鑑賞していた。
内容は幼馴染の男女がずっとお互いを大事に想い続けて、友情から愛へと変化していくというものだけど、後半は主役たちがとにかくしつこいくらいに『あなたが好き、君が世界のすべてだ』と、愛を歌い叫んだ。
そんな舞台に僕は感情移入できずにいたけど、ライラはうっとりと見入っていた。女性に受けがいいというのは本当のようだ。
幕がおりてすぐに、僕は座っているライラの目の前に行き、手を取って立ち上がらせた。
「えっと……ライラ……」
婚約者になったからといって、こんなふうに二人きりになれることはあまりない。家でも何かと邪魔が入る。
「どうしたのですか?」
「君を抱きしめてもいいかな」
「はい」
返事をする彼女の頬に薄っすらと赤みがさした。照れている姿も可愛い。
僕たちは今まで何度となくお互いの気持ちを口にすることを繰り返してきた。そしてライラをこの手で抱きしめることも、もう数えきれないほどになっている。
でも、本当はいつでも身体が強張っていて、ぎこちないことにライラは気がついているだろうか。
「オーランド様?」
「笑わないでね」
「何をですか?」
「僕はいつだって、ライラにふれる時は緊張しているんだよ。愛が重くてひどいことをしまいそうだなんて口では言っているけど、本当はどう接したらいいかわからない時のほうが多いんだ。ライラが好きすぎて」
いまだにライラとふれあうときは戸惑ってしまう。
「私、オーランド様のそんな姿も愛おしくてしかたがないんです」
ライラは自分の腕を僕の背中に回してぎゅうっと抱きしめ返す。今日はいつもよりも強く。
諦めていた彼女が、今自分の腕の中にあって、僕のことを愛おしいと言う。幸せをかみしめるように僕も同じくらい強くライラを抱きしめた。
「ライラが僕の世界のすべてだよ」
そうつぶやきながら。




