番外編 見つめてほしい
いまだにオーランド様は、私と目が合うと無意識にそらしてしまうことがある。
いろいろな事情でそうなってしまったのだけど、一番の原因は幼い頃に兄から私に関わるなと言われたことなんだと思う。今までオーランド様は、私に気づかれないようにこっそり盗み見ることが多かったそうで、長年続けてきたそれが、クセになっているという。
それとオーランド様曰く、私への愛が重いので、人目がない場所で見つめ合ってしまうと自制心に歯止めがきかなくなるそうだ。
今まで、優しく抱きしめられたり、唇が軽くふれあうくらいの口づけをかわしたり、恋人同士っぽい甘い雰囲気は何度かあったけど、夢見心地なのは私だけなのか、オーランド様はいつも気持ちを抑え込んでいるらしい。
オーランド様の気持ちに応えたいから、我慢しないで大丈夫だと伝えても、それはまだ早い、無理だと言われてしまう。
そんな状態なのもオーランド様が私を気づかってくれているからこそで、なかなか治らない理由もわかっている。
でも、頭ではそうだと理解してはいても、さっと目をそらされるのは、やっぱりちょっと切ない。
「ごめんね。よくないクセだと、わかってはいるんだけど……」
そんな気持ちが私の態度にでていたのかオーランド様に謝られてしまった。
「私こそごめんなさい」
そんなやり取りが何度かあったある日、趣味のひとつとして絵を描くことがあるオーランド様から、私の肖像画を描いてみたいと言われた。
「私にモデルが務まるかわかりませんが、こちらこそお願いします。オーランド様に描いていただけるなんて光栄です」
「それならよかった。絵を描くためにライラをじっくり観察する必要があるから、直視することに少しは慣れるかなと思って」
「え?」
観察という言葉を聞いて少し戸惑ってしまった。目をそらさないでほしいと思ってはいるけど、いざ『じっくり見る』と宣言されたら、私のほうが恥ずかしくてどうしたらいいのかわからなくなる。
「そんな理由でモデルになるのは嫌かな?」
「そんなことありません」
最近はほかの令嬢たちが好んでいるリボンやフリルといった装飾がたくさんついた可愛いドレスを身に着けるようになった。昔みたいに『同じデザインのドレスとは思えない』とか笑われるようなことはないけど、自分の姿におかしいところがないか気になってしかたがない。
それでも、オーランド様の目に私がどんなふうに移っているのか確かめるチャンスでもある。だから、羞恥心を押し殺し、私の絵を描いてもらうことにした。
「ぜひ、よろしくお願いします」
最近開店したばかりのカフェで、噂にのぼっていたハーブ入りのシフォンケーキを堪能したあと、そのまま私はマヌエット家に招待されて、応接室へ案内された。
そこに数種類のイスとソファーが用意されて、オーランド様から座り心地を確かめてほしいと言われる。
「ずっと同じ姿勢だと疲れちゃうと思うんだ。ライラが座りやすいものがいいと思って」
「ありがとうございます」
ソファーはもちろんのこと、木製のイスにも座面部分にはクッションがあって、長時間座っていたとしても問題はなさそう。どれも着座した印象は悪くない。
「どちらかといえばイスのほうがいいと思います」
「でも、ソファーのほうが楽じゃないかな?」
肖像画の人物画はほとんどがかしこまった感じで描かれている。ソファーに深く座って背をあずけてしまったらだらけてしまいそう。 絵画のなかにはソファーに横たわっている女性の姿もあったりするけど、オーランド様の前でそんな行儀の悪いことはできない。
「これがいいです」
私は背もたれが高く、ひじ掛けがついているタイプの実用的なイスを選んだ。それをオーランド様が窓辺へ運んでくれたので腰をかけて姿勢を正した。
そして置いてあったイーゼルの向こう側に、別のイスを持ってきたオーランド様が座った。
「じゃあ、自然な感じでポーズをとってもらえるかな」
「こんな感じでいいですか?」
ドレスのしわを伸ばしてきれいに整えてから、太腿の上に両手を重ねた状態で、オーランド様に確認をする。
「うん、ありがとう。悪いけど、そのまましばらくじっとしていてね」
そう言われて、身動きしないようにと思ったら、息のしかたがわからなくなった。とにかく胸やお腹が動かないようにできるだけ静かに呼吸をしてみる。
絵を描くという目的があるからなのか、それとも全体像を見ているのか、オーランド様は私と向き合っていても顔をそらすことがない。
その視線は私とキャンバスを往復しながらデッサンを進めている。
「ごめん、そんなに硬くならなくても大丈夫だよ」
今日初めてしっかりと目があったと思ったら、微笑むオーランド様からそう言われてしまった。私は身体だけではなく表情もガチガチだったらしい。
「でもどうすればいいのか……」
「だったら話をしながらにしようか。ライラも座っているだけじゃ飽きてしまうだろうから」
私は「はい」と応えながら首を縦に振る。
あ、動いてしまった。
急いで背筋を伸ばし、正面を向くと、見ていたオーランド様の口元が楽しそうに緩んだ。
「今まで誰かに描いてもらったことはあるの?」
「幼いころに兄と一緒に描いてもらったことはあるみたいです。絵は残っていますが記憶にはありません」
「そうだとしたら、女性としてのライラをモデルにするのは、僕が初めてだってことだね。なんか嬉しいな」
「そんなことが嬉しいのですか?」
「だって、ほかの誰かがこんなふうにライラを見つめ続けるなんて嫌だし」
「肖像画を描いてもらうとしたら、相手は私のことなんてなんとも思っていない画家ですよ?」
「それでもだよ。でも、嫉妬をしてばかりだとライラに嫌われちゃうよね」
やきもちを焼いてもらえるほど好かれているって自惚れてもいいの?
「私はオーランド様のことが大好きなのですから、嫌うことなんて絶対にないです」
「ありがとう。でもね、時々マイルズ様にも負けたくないって、ライラが気を許している人の中で僕が一番になりたいって思ってしまうんだ」
「だったら大丈夫です。もう一番になっていますから」
「本当に?」
「本当です。私だっていつもオーランド様の一番になりたいと思っているんですからね」
「なりたいと思っているって、僕がどれだけライラのことが好きなのかまだ伝わってないのかな?」
今度は首を横に振った。
もうオーランド様の気持ちを疑うことなんてしない。
私がオーランド様を想うように、オーランド様も私のことを想ってくれている。最近は両思いだって、それを実感するたびに嬉しくて、とても幸せな気持ちになる。
「ライラはいつでも可愛いけど、今日の髪型もすごく可愛いね。近くに行って細かい部分を見せてもらってもいい?」
立ち上がってそばまでやってきたオーランド様。
「まとめている髪が、まるでバラの花みたいだね」
「侍女たちに、以前ヴァレリア様がなさっていた髪型が素敵だったと話したら、調べてくれたみたいで頑張って結ってくれました」
「とってもきれいだ」
オーランド様がハーフアップにしている髪型をほめながら、座っている私の周りをゆっくり回る。デッサンのために見ているのなら、私は動かないほうがいいはず。じっとしていよう。
「肩にかかっている髪は前に垂らしたほうがいいかな。直してもいい?」
「はい」
髪型を確認するためか顔が近い。
オーランド様は中腰になっているため、少しだけ上から見下ろす感じになっている。この角度で顔を見るのは初めてかもしれない。
近距離で見つめられていることもあってドキドキする。胸の高鳴りがとまらない。そんな状態で首を固定したまま視線だけ向けていると、オーランド様が上目づかいのまま瞳をこちらに向けた。
ど、どうしよう。すごく格好いい。
「ごめん、ちょっと近づきすぎたみたいだね」
高揚のせいで私は挙動不審だったのかもしれない。そのことに気がついてしまったのか、オーランド様が距離をとろうとした。
「あ、待って」
その顔をもっと見ていたくて私は思わず腕を掴んでしまった。
「このままで……」
「このままで?」
「あ、あの。視線を合わす練習を兼ねているのですよね。だから、もう少しこのままで……いて……ください」
恥ずかしくて言葉が小さくなってしまう。
「そうだったね」
そう言いながらオーランド様の顔が真っ赤になった。だけど、目をそらさないで頑張っている。
「大好き」
全身からオーランド様への気持ちがあふれだしてくる。
「僕も」
そう言ったオーランド様の顔が近づいてきた。見つめ合ったまま、鼻先同士がこつんと当たる。
あと数センチで唇がふれそうな距離だけど、ここで目をつぶったらオーランド様の頑張りが無駄になってしまう。でも、このままでは恥ずかしいし、どうしよう。
そう思った瞬間、応接室のドアがノックされた。
静かだった部屋に響いた音で身体がびくっとするほど驚いてしまった。
オーランド様もすぐにもとの場所に戻り、絵の続きを描き始めた――――?
焦っていたのか、修正する箇所を消すために用意してあったパンの欠片を、なぜか両手に握っていた。
オーランド様も慌てることがあるんだ。
ドアの外にいたのはマヌエット家の侍従で、ディナーの用意をしてもらっていて、私が食べられない食材を聞きに来ただけだった。好き嫌いはないので、すぐに用事はすんだ。
またすぐに二人きりになってしまったから、驚いたあの瞬間、ちょっとだけ唇がふれたことを思い出した。
またドキドキしてきた。
「ごめん、続きを描くね」
「お願いします」
もう少しだけあのままでいたかった。そう思っているのは私だけなのかな……。
オーランド様もそうだといいな。
その後はオーランド様が描き終わるまで、たわいもない話をしながら、口元以外は動かさずにじっとしていた。
「一応、下書きは完成したよ」
「見てもいいですか」
「うん。モデルがいいからかな。僕にしてはいい出来だと思う」
オーランド様のところまで行って、イーゼルに立てかけられているキャンバスを見せてもらった。そこに描かれていた少女は嘘偽りのない私。鏡でいつも見ている自分の姿だった。
でもその表情が……。
「私、こんなふうに笑っていますか?」
少しはにかんだような、でもとても幸せそうな優しい顔。
「最近のライラはこんな感じの表情が多くなったかな」
そうだとしたら、きっと幸せをかみしめているからだと思う。
「素敵な絵を描いてくださってありがとうございます。オーランド様には才能がたくさんあるのですね」
「だったらいいんだけど」
模写が上手なだけではなく、絵から愛しさや優しさが伝わってくる。鈍感な私でもオーランド様がどんなに私のことを大切に想ってくれているのか実感できるほどだ。
それに首元にある小さなほくろまでちゃんと描き込んである。私のことをちゃんと見ていなければ気がつかないような淡いものなのに。
「僕の部屋に飾ろうと思っているから早く仕上げたいな。モデルとしてまた来てもらってもいい?」
「それはかまいませんが、その絵が完成したあとで私にもオーランド様の自画像をいただけませんか。会えない日もオーランド様の姿を見ることができれば、寂しさも我慢できると思うので」
「そう言ってもらえると嬉しいな。ライラに喜んでもらえるなら頑張って描くよ」
「ありがとうございます。楽しみにして待っていますね」
私の部屋でいつでもオーランド様の姿が見られるなんて、とっても嬉しい。
それから一カ月後、約束どおりオーランド様から肖像画を贈ってもらった。
オーランド様との素敵な夢が見たいから、毎晩寝る前には目に焼き付けている。
「おやすみなさい、オーランド様。今日も夢で逢えますように」
そう祈りながら。




