番外編 01 恋
「ほんと、あいつはうまくやったよな。強力な後ろ盾と、美しい婚約者を一度に手に入れてさ」
「あれって、泣いていたところを慰めただけなんだってな」
「俺だってその場にいたら、放っておかなかったぞ」
「それはないだろう。あの頃の彼女は今の二倍あったんだからさ」
「面倒くさくて、きっと無視するのがおちだ。まさか、こんなに変わるとは誰も思ってなかったんだから」
「くっそー、めちゃくちゃ羨ましい。見習って日ごろから分け隔てなく、どの令嬢にも優しくしておいた方がいいんだろうな」
「そうかもな。俺たちはまだ婚約者が決まってないんだし」
僕、オーランド・マヌエットはこっそりとため息をついていた。
今夜は新しい出会いと情報収集を兼ねて『紳士の集い』という夜会に一人で出席している。
たまたま耳に入ってきた会話は、名詞は伏せているけど、間違いなく僕とライラのことだろう。
僕のために、する必要がないダイエットをしたライラは、誰もが振り向くような美少女になっていた。
ぽっちゃりしていた時だって可愛かったのに今さら何を言っているんだか。男たちの言葉に呆れながら、それでもそれを笑っていられない自分に焦りを感じていた。
仕方なく婚約することにしたと思っていたライラが、実は僕のことを初めから好きだと知ってどれだけ嬉しかったことか。
ところが最近、男どもの妬みで交わされる噂話を無視できなくなっている。問題はライラが僕を好きになった理由だ。
ライラの初めからとは、あの夜からだから。
『慰めただけ』でライラを手に入れたと言われているようだけど、実際もあの時僕は『助けただけ』だ。
僕がこっそりライラを付け回していたから、誰にもその役をとられることなく、ライラには感謝された。
でももしあの時、ライラを助けた者が僕ではなかったらどうだったのだろう。
ヴァレリア様から『出会った順番なんて関係ないわ。もたもたしていたら誰かに取られてしまうわよ』と忠告を受けたことがあったけど、ライラの性格からして、順番はすごく重要だった気がする。
ライラの気持ちを知るまで、彼女はレオン様のことを好きだと思っていた。だけど、それは僕の勘違いだった。
でも、あの時ライラを助けたのがレオン様だったとしたら?
彼女はきっと恐怖で震えていたところを助けられたから、恋に堕ちたんだと思う。
ライラは純粋で思い込みが激しいところがあるから、恋に恋をしている可能性がないとはいえない。
だとしたら、いつか目を覚ましてしまうかも。
だから、僕は決めた。本当にライラの心を手に入れるって。
「ライラ何を見ているの?」
ある夜会で、ライラはこちらを見ながらもその視線は僕を通り越して何かに心が奪われていた。
「あ、ごめんなさい。料理に目が釘付けになっていたわけじゃないの」
ライラが恥ずかし気に顔を赤く染める。すごく可愛い。
「料理? 食べたかったら食べればいいのに」
僕の敵が料理ならいい。
「いいんです。体型が変わったら、また新しいドレスが必要になってしまうし、健康の面でも息切れとかしなくなって調子がいいもの」
「でも、我慢するのはどうかと思うよ」
「大丈夫です。今は量ではなくて、美味しいものや私が好きなものを味わって食べることを覚えましたから」
「そう? だったらいいんだけど。じゃあ、踊る?」
「はい!」
ヴァレリア様のところでみっちりと絞られてから、ライラはダンスが得意になって、踊ることが大好きになったらしい。
僕は人並みに踊れる程度だけど、彼女が喜ぶならいくらだって付き合うつもりだ。
それにしても……。
「どうしたんですか? オーランド様?」
僕がつないでいるライラの手を、強く握ってしまったため、踊っている最中にライラが見上げた。
身体を動かしたことで紅潮していて、その状態で上目づかいなんてされたら、あまりの衝撃で僕の心臓は止まってしまいそうだ。
平常心を保つため僕は深く息を吸った。
「なんでもないんだ」
ただ、ライラのすらっとした指先の感触が、初めて手をつないだ時とは、あまりにも握り心地が変わってしまったなと思っていただけだった。
まあ、どっちのライラの手も好きだから、かまわないけど。
「そうですか?」
こてんと首を傾げるライラ。抱きしめたくなる衝動を抑えるために僕は視線を他に向けた。
「んっ?」
よく見たら、ダンスホールの外側からこっちを見ている男どもがたくさんいる。
僕のライラを見るなよ。
またしても手に力が入ってしまう。
「ごめんなさい、オーランド様」
「え? 何が?」
「ダイエットして、少しはましになったと思っていたんですけど、今でも人からチラチラ見られているのは、私のせいです」
「それはライラが可愛いからだ。あいつらは、君と踊っている僕に嫉妬しているだけだから」
「そうなんでしょうか……」
「見せつけてやりたいけど、これ以上ライラに近づいたら、僕も理性が保てそうにないから我慢するよ」
「オーランド様はよくそう言われますけど、保てなくなったらどうなるんですか?」
「うっ、何てことを聞くんだよライラは!」
男のことを何もわかってないライラに理解しろっていうのは可哀そうだけど、その無邪気さは本当に毒だ。
頭が麻痺して行動に移してしまったら、困るだけでは済まされない。
「ごめんなさい」
「ライラが謝ることじゃないよ」
しゅんとしている顔も愛おしい。
あ、でもこういう時のライラは、何かとんでもない勘違いをしている可能性がある。恥ずかしくても、ちゃんと言葉で伝えておかないと、後々とんでもないことになる予感がする。
「僕はライラが好きすぎるんだよ」
「私もです」
「うん。それはとても嬉しいよ。でもね、僕の場合、その好きが止まらなくなってライラを怖がらせてしまうかもしれないんだ」
「私、オーランド様には何をされても怖くなったりしませんわ。あ、嫌われたり、お別れするようなことがあれば別ですけど」
だーかーらー
「その口で、何をしてもって気軽に言うのはやめてくれないか」
ライラはきょとんとして、意味がわかっていないようだ。
「僕はライラを抱きしめたいんだよ。僕の腕の中から離したくなくなるんだよ。ライラの全部がほしいんだよ」
「え?」
「だから、僕の愛が重すぎて怖がらせたくないんだ」
「それって重いんですか? だったら私も同じですよ。オーランド様に抱きしめられたいし、離れたくないし、オーランド様にすべて愛されたいです」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
ライラの言葉でくらくらしていると、ちょうど曲が終わったので、ライラの手を握って僕は人気のないバルコニーの端へと連れてきた。
「さっき言ったことは本当?」
「はい。好きだってことはちゃんと伝えなさいってヴァレリア様たちに言われていますし、オーランド様には隠さない方がいいと思っていますから」
「じゃあ、ライラはどうして、いつから僕のことが好きになったのか、そのタイミングを教えてよ」
「タイミング……初めは助けてくれて親切で優しい人だなって思っていて、そのあと、オーランド様が上着を貸してくれたじゃないですか」
「でも、あの時助けたのが、僕じゃなくても、ライラは恋に堕ちていた可能性があったよね。恋に恋しているだけじゃないのかな」
「違いますよ。だってその時に……」
「その時に?」
「オーランド様の声にどきどきしました。それといい香りがしたんですよね。ずっと胸に顔をうずめていたような? あ、自分でもわかってます、変態じみているって」
また、真っ赤になったライラ。可愛すぎるけど、今は見とれている場合ではない。
「それは、恐怖から脱した安心感からじゃないくて?」
「そんなことないと思います。オーランド様だからですよ。だって手を握られるとオーランド様だけにはなんていうか、心臓が変な反応をするんです。えっと、オーランド様は私の気持ちばかり聞いていますけど、だったら、子どもの頃に私が言ったという、その一言がなかったら、オーランド様こそ、私のことなんて好きになっていませんよね?」
「それは違うよ。それはきっかけにすぎなくて、僕はライラを見ていて、どんどん好きな気持ちが増していったんだから」
「だったら、私も同じですよ。きっかけはどうであれ、私が恋に堕ちたのはオーランド様だけです」
「ライラ……」
そんなふうに言われたら本当に我慢ができない。
その時、ちょうど広間に強く風が吹き込んだ。その風にあおられたカーテンが窓辺にいた僕たちを隠すように包んだ。
「僕も恋に堕ちたのはライラだけだ……」
見上げるライラの小さな唇に、初めて僕はそっと口づけを落とした。




