29 告白
「こんばんは。マイルズ様と――ライラ」
「ああ、呼びつけて悪かったな。ライラが君に聞きたいことがあるそうだ」
私は兄を盾にしつつ、首を横にぶんぶんと振る。
「ごきげんよう、マイルズ様、ライラ様」
この声、あの令嬢もオーランド様についてきたみたいだ。
たしか子爵家だったと思うんだけど、サーシャ様のお気に入りだったから、虎の威を借りる狐のように、態度がとても大きかったことを覚えている。
「あら、このご様子ですと、婚約解消も近いって本当のようですわね。そうなったら、私がオーランド様のお相手に立候補しようかしら」
「なっ」
驚いて思わず声が出てしまった。
その人だけはだめ。オーランド様と婚約するようなことだけは阻止したい。
だけど、今さら私が何かを言えるわけがないので、兄の腕を掴んで引っ張った。
「大丈夫だライラ」
兄が何に対して大丈夫と言ったのかはわからない。でもあの事件の情報はオーランド様も共有しているはずだから、私が心配しなくてもこの人が何をしたのか知っているはず。だから気にするなってことなのかも。
「そこの令嬢は、何か勘違いしているようだが、二人の間にそんな話は出ていない。軽はずみなことを言いふらすと、とんでもない嘘をついたどこぞの令嬢たちの様に、信用がなくなって相手が誰もいなくなると思うぞ」
兄の威圧感がすごい。
「も、申し訳ございません。そんな噂話を耳にしたのでてっきり決まっていることかと」
兄の態度で子爵令嬢は震えだし、怯えた声でこちらに向かって謝罪した。
兄はただでさえ冷徹なイメージがあるのに、相手のことを敵と判断した場合、容赦はしないの。身内ながらも怒らせたら恐ろしいと常々思っている。
「こちらのご令嬢には相手がいるようだから大丈夫でしょう。たしかある伯爵家の嫡男と仲がいいとか」
「ああ、そうらしいな。しかし、その男はもう嫡男ではないらしい。最近、家から縁を切られたようだぞ。そうなると平民に嫁ぐことになるのか。だったら今日が最後の夜会だろうな。せいぜい楽しむといい」
「なっ、そんな話、私は知りません。どういうことですか」
兄たちの話に困惑気味の子爵令嬢は、自身の処遇を何も知らなかったようだ。私も今初めて聞いた。
「モンヴール家とマヌエット家は身内に甘いということだ。まあ、マヌエット家まで敵に回ってしまうとは、あの時は思っていなかったんだろうが。ついでに教えておくが頼みの綱のテーバー家も、己のことで手一杯になっているようだから助けてはもらえないだろう。今日あたり、子爵から結婚の話が出るのではないか」
「だから、こんなところで僕になんか粉をかけている場合ではないと思うよ」
「そんな……」
兄とオーランド様の話を聞いた子爵令嬢はその場にへたり込んだ。
兄はすぐにウェイターを掴まえてその場で動けなくなっている令嬢のことを伝える。
そのあと三人だけになると、兄がオーランド様に声をかけた。
「オーランド殿。ライラのことを任せてもいいか」
「はい」
「は!? ちょっとお兄様?」
私はオーランド様と二人きりにされないように、兄の腕に必死に縋りつく。
そんな私たちをオーランド様は驚きもせずに見ているけど、私たちはもう話をするような仲ではないでしょう。
それともオーランド様にとってはすでに過去のことで、ただの知り合い程度の付き合いが、私とはもうできるっていうの?
「ライラ」
「いやです。この手は放しません」
引きはがそうとする兄と、逃げられないようにしがみつく私の攻防はいつまでも続くかと思われた。
「ライラ。もう一度だけ、僕と話をしてくれないか。僕はやっぱり君のことが忘れられないんだ」
「え? えええ?」
オーランド様の言葉でびっくりして、一瞬力を抜いたすきに、兄は腕をすっと抜いて、すぐに人ごみに消えた。
逃げられた。
いや、それよりもオーランド様の言葉の意味がわからないんだけど。
「君がレオン王子殿下を好きなのはわかっているよ」
「なんでレオン様?」
「僕には隠さなくてもいい。だけどレオン王子殿下と君は結ばれることがないと思う」
「それは」当たり前じゃないですか。私がそう言う前に言葉を遮られた。
「こんなこと言ったらライラを悲しませることになると思うけど、レオン王子殿下は他国の姫との縁組のために適齢期を過ぎるまでは国内の令嬢と結婚することはない。それまでライラが待ったとしても、たぶんその時は、その頃にちょうど年ごろになっている令嬢が相手に決まると思うんだ。君の従姉殿のようにね。これはヴァレリア王女殿下に教えていただいた話だから間違いないよ」
「そんなこと私に言われても困ります」
もともとレオン様の結婚には興味がない。お相手が決まったらどんな方か、顔くらいは見てみたい気もするけど。
「否定したいのはわかるよ。わかるけど、どうか僕を受け入れてほしい。いや、受け入れられるまで何年も待つつもりだ。他の候補者には君を渡したくないし、誰よりもライラのことを大事にするから」
「いったいどうしたんですか。私のことなんて心配しなくてもいいですから、オーランド様は好きな人と幸せになってください」
まずい。鼻の奥がツーンとしてきた。涙が出る前に逃げよう。私が出口の方へ歩き始めるとオーランド様に手を掴まれた。
「待って、行かないで」
「その手を放してください」
「好きな人と幸せになれって言うなら、放せるわけないじゃないか。僕の好きな人はライラなんだから」
「え!?」
最近私は耳もおかしいらしい。そうであってほしいという幻聴が聞こえた。
「ライラが誰を想っていようとそばにいられるだけでいいんだ。ライラのことは幼いころからずっと好きだった。そんな君にやっと手が届いたんだからもう離すことなんてできないよ。だからこそ、そんな君を傷つけることだけは絶対にしない。お願いだから僕から逃げないで」
「それは……本当なの?」
「こんなことで嘘なんかつかないよ」
「本当にオーランド様の好きな人は私なの?」
「そうだよ。僕の初恋はライラで、ライラ以外を好きになったことなんてないから」
初恋が私?
「私だって……私だって初恋はオーランド様です。他の誰でもなく、オーランド様だけが好きなんです」
「ライラ? 僕のことが好きって、それは本当なの? 僕の聞き間違いじゃないよね」
「好きです。好きすぎて、食事が喉を通らなくなるほどでした。オーランド様と出会う前にはそんなことはありませんでしたから」
私が自分の気持ちを告げると、オーランド様はテーブルに飾ってあったバラの花を一輪抜いてその場に突然跪いた。
私の手は掴んだままだ。
「ライラ・モンヴール、僕と結婚してください」
そしてそのバラの花を、掴んでいない方の手で私に差し出した。
そんなの、答えは決まっている。
「私でよければ、喜んでお受けします」
そう言って私はそのバラの花を受け取った。




