25 オーランド様の幸せのために
私とオーランド様の意見が一致したお芝居は冒険ものだ。そのチケットが取れた日は、くしくもオーランド様の誕生日だった。
それまではお互いの家を行き来したり、カフェでお茶をしたり、王都の大通りを散歩したりして過ごし、私の思い出づくりは順調に進んだ。
できれば、こんな日々がずっと続いてほしいと思っていたのに、あっという間に、オーランド様の誕生日の当日がやってきてしまう。
公演は午後からだから、オーランド様とランチをしてから劇場に向かうことになっている。今日だけはオーランド様をお祝いするために、すべて私が予定を組んだ。
ちゃんと兄に相談しているからぬかりはないと思う。
「うー、緊張する」
オーランド様を迎えに行く馬車の中で私は珍しく胃が痛くなっていた。いろいろ考えすぎて頭もパンクしそうだ。
「こんなんじゃだめだわ。今日はオーランド様に楽しんでもらわないといけないんだから」
オーランド様と挨拶を交わすころには、頑張って気持ちを入れ替えた。そう思ってはいるけど、私はちゃんと笑えているだろうか。
「ダイエットを続けているからなの? ライラはそのくらいでいいと思うんだけど」
予約したレストランで、私の目の前の食事がちっとも減らないからだろう。オーランド様がそんなことを言うのは。
「まだまだですよ。どうせだから既製品のドレスが入るサイズまで頑張ろうと思っています」
ひとりでは挫折しそうだけど、ヴァレリア様が手を貸してくれるからきっと大丈夫。
「そうなんだ」
なぜか、オーランド様は沈んでいる。私のダイエットの話なんて面白くもないだろうから話を変えなくちゃ。
「えっと、今日のお芝居、ちょっと子供向けですけど楽しみですね」
「少年が宝を探して旅に出る話だよね。途中でウマが仲間になるんだけど、そのやり取りが面白いんだ」
「オーランド様も原作を知っているんですね。私はネズミの親子が好きですよ」
「ネズミかあ。僕はアナグマの方が好きだな」
「そうなんですか」
私がこの演目を選んだのは、ちゃんとわけがある。それは勇気をもらうためだ。
「あ、そろそろ劇場の入場時間になりますね。行きましょうか」
「ライラはそれだけで大丈夫?」
「はい。これからのことを考えると胸がいっぱいで、もう食べられません」
「そんなに楽しみにしているんだ。じゃあここを出ようか」
「はい」
劇場はレストランから歩いて行ける距離だったので、私はオーランド様と散歩をしながら向かった。
「こちらになります」
到着すると予約していたボックス席に案内される。開演までにもう少し時間があるので、まだ客席の明かりは落ちていない。
上からのぞき込むと、思った通り親子連れの率が高かった。それでも、恋愛ものはラブシーンが恥ずかしいし、喜劇すぎると、オーランド様のとなりで私が大笑いしてしまう可能性も否めない。冒険ものがちょうどいいと思う。
設置されている座席に座ると、またしても緊張が襲ってきた。
大丈夫、これからお芝居が始まるから、とりあえずそっちに集中しよう。
しばらくすると客席の明かりが落ちた。暗くなったのでオーランド様を盗み見ると、彼もこちらを向いていて、目がばっちり合ってしまった。
自分の行動と、オーランド様に見られていたことが恥ずかしい。明るくなくてよかった。顔に熱が集まって顔が赤くなっているだろうけど、この暗さではわからないよね?
『ねえ、みんな。これがなんだと思う? ボクは宝の地図を手に入れたんだ』
主役の少年の声で、私たちは正面に視線を向けた。
うん。今はお芝居を楽しもう。
舞台の中で少年が冒険を始めると、子どもたちもその世界に入っているのか、たまに『がんばれー』とか『ネコさん、おいてっちゃダメー』とか下から聞こえてくるのが微笑ましい。
こういうわくわくする話は私も大好きだ。本当に大好きなんだけど、話が終わりに近づいてきてから、このお芝居に決めたことを後悔し始めた。
この話の最後は、少年と冒険をした動物たちがそれぞれの家に帰るため、別れるシーンがある。
それを見て、私が頑張るための勇気をもらおうと思ったことがそもそもの間違いだった。
感情移入し過ぎて、涙が止まらない。
そう言っても泣いているのなんてたぶん私だけだ。動物たちとは『楽しかったよ。じゃあね』というセリフでそんなに重い別れ方をするわけではないのだから。
まったくもう、何をやっているんだ私は。
少年も家に帰り、家族と『ただいま』『おかえりなさい』のセリフを交わして冒険は終わった。
たくさんの拍手の中、幕が下りる。
「ライラは感激屋なんだね」
「違うんです」
「そういうの僕は悪いことではないと思うよ」
「そうじゃないんです」
「さっきからどうしたの」
横からオーランド様が私の顔を覗き込んだ。その時ちょうど客席が明るくなる。
顔を見てはとても伝えられない。今までのように足元を見つめながら、私は必死に言葉を並べる。
「私も……私もオーランド様に……お別れを言わなきゃ」
「え!? 今なんて言った?」
「だから、オーランド様は今日から自由なんです」
「ライラ? 僕には言っている意味がわからないんだけど」
つらすぎて言葉が出ない。それでも一度唾を飲み込んでから胸に手を当てて、震える唇をなんとか動かした。
「きょ、今日で私との婚約を、解消してください」
「急に何を言い出すんだよ。僕が何かライラの気に障ることをしたの? ごめん、謝るからそんなこと言わないでくれないか」
喜んで受け入れてもらえると思っていたのに、なぜオーランド様が謝るんだろう。
私が顔をあげると、オーランド様は私の席の横で膝をついて、私の肩に手を伸ばしたけど、掴む直前に握りこぶしをつくってその手を引っ込めた。
私が首を横に振って封筒を差し出す。
「これだけでは慰謝料には到底足りないと思います。それでも受け取ってください。足りない分はあとできちんと用意しますから」
私のお小遣いでためてあったお金をすべて持ってきた。それにどのくらい価値があるかはわからないけど、宝石類も入っている。
「どうして? やっぱりライラには好きな人がいるからなの?」
好きな人はいる。それはオーランド様だけど。
「はい」
「やっぱりそうなんだ……僕がここで拒むことは、ライラを悲しませることになるんだね」
違う。そんなわけない。
本当はずっと一緒にいたい。だけど、オーランド様こそ好きな人と幸せになってほしいから。
「わかったよ。でもそれは受け取れない」
オーランド様は立ち上がってボックス席の出口に向かった。
「これで最後になるなら、ライラには迷惑だろうけど、言っておくよ。こんな風に追い込まれなきゃ自分の気持ちを伝えられないほど、僕は意気地がなかったからね。でも、すでにライラから拒否されている状態だから、もう怖がることはない」
ドアに手をかけながらオーランド様が振り返った。
「ずっとライラのことが好きだった。短い間だったけど僕は本当に幸せだったよ」
「オーランド様!?」
今のは私の空耳? それとも社交辞令?
私がオーランド様の言葉で混乱している間に彼はドアからその姿を消していた。




