20 宝物にします
「あの二人はここに来る前に、迷路で迷ったんでしょうか?」
「なんでそう思うの?」
「恋人同士なのにカール様の言い方はとてもきつかったですし、デート中なのに、サーシャ様はまったく幸せそうに見えませんでしたから」
たぶん、偶然私と会ってしまったことも、サーシャ様の機嫌を損ねてしまった原因のひとつだとは思うけど。
「ああ、あの二人はいろいろとあるんだよ」
「いろいろですか? やっぱり私のせいでしょうか……」
「うーん、今後もライラはテーバー家の令嬢に絡まれることがあるかもしれないから、教えておいた方がいいんだろうな」
「何をですか?」
私はサーシャ様に、どれだけ嫌われているんだろう。
「あの二人が婚約したのはライラも知っている通り、あの夜の密会のせいなんだけど、デニラ家はカール殿がはめられたと憤慨しているみたいなんだよ」
「サーシャ様ではなく、カール様の家の方がですか?」
「そうなんだ。ライラとの縁組がだめになったし、相手があのテーバー家だからね」
あのテーバー家?
「サーシャ様の家は何代か前に王女様が降嫁されていて、家柄で言えばうちよりいいくらいですのに?」
「名門と言えばそうだけど、テーバー家は見栄っ張りらしくて、収入に見合わない派手な暮らしを続けてきたせいで借金がすごいらしい。手を貸してくれた家に対しても、借金を平気で踏み倒すし、口を開けば自慢話か金の無心ばかりだと社交界では有名なんだよ」
「そうなんですか」
言われてみればサーシャ様は、いつも、高そうな宝石のアクセサリーをいくつも身に着けていた。
「それなのにデニラ家に対して『本当だったらテーバー家から嫁ぐような家格ではない』そうやって見下し文句を言うだけでは飽き足らず『娘を傷物にした上に、テーバー家に泥を塗ったのだから、賠償金を払え』と迫ったらしい」
「そんなことがあったんですね。私、そういった話には疎いので」
「ライラは知らなくてもいいことだからね。それで、そんな家の娘をデニラ家が歓迎するはずもなく、カール殿も、あの時は誘惑に乗ってしまったけど、それほど彼女のことを特別に想っていたわけでもなかったみたいなんだ。ライラには逃げられるし、モンヴール家には睨まれて、こんなはずではなかったと思っているようだよ」
「私から逃げたわけではありませんけど?」
どっちかって言うと、私がカール様に捨て置かれたんだけど。
カール様から大事に扱われていなかった自覚があるから、残念に思われる理由がわからない。
「ライラは特別だからだよ」
「それはモンヴール家の娘だからですね」
それしか考えられない。
「他の者はそうだとしても、特別の意味が僕だけは違うよ」
オーランド様はそう言うと荷物の中から何かを取り出した。
「気に入ってくれるといいんだけど」
私に差し出した、その手に乗っていたのはバラを模したブローチだった。
「つけてもいい?」
「私に?」
「もちろん」
「はい」
オーランド様は私が首に巻いていたストールにそのブローチを留め始めた。
それが思いのほか至近距離だったので、息が止まってしまいそうだ。
「これでどうかな」
そのバラの色は私が好きだと言ったオレンジ色だ。オーランド様が私の色だと言っていたからそれは偶然の一致だけど、それでも、オーランド様が私のために用意してくれたんだと思うと、とても嬉しい。
「ありがとうございます。大事にします」
なくしたらどうしよう。そう思うと私はブローチから手が放せなくなった。気になって目をやるたびに、今度は顔がにやけてしまう。
「喜んでもらえてよかった」
今日はなんて素晴らしい日なの。
このブローチは一生の宝物にしよう。
胸もお腹もいっぱいになったので、この先にある庭園を見学するため、私はオーランド様と階段を下りて遊歩道を歩き始めた。
どんくさいと言われる私でも、今は夢見心地で足取りがとても軽い。
「なんだか楽しそうだね」
「はい。すごく楽しいです。オーランド様にここへ連れてきてもらって本当によかったです。ほら、あそこを見てください、あのバラ、このブローチにそっくりですよ」
オレンジ色のバラを見つけた私は、その場所へ駆け寄った。今は走ることだって全然苦にならない。
「ライラ、気をつけて」
「はい。オーランド様。香りもすごくいいですよ」
私がうしろを振りかえると、オーランド様も楽しそうに笑っていた。
あの笑顔を目に焼きつけておこう。
そう思っていた時だった。
「俺はライラの方がよかったんだよ!」
ん? 私の名前を呼んだのはオーランド様ではない。この声は…
ふと声が聞こえた方を見ると、バラの陰になっていた場所にカール様とサーシャ様の姿が。
まだ喧嘩をしてるの?
「そんなことを言うなんて、最低だわカール様。わたくしにあんなことをしたくせに」
パシンッ
「え!?」
私の耳に届いた鈍い音。それは思い切り頬を打った音だった。




