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郷の社  作者: 朱鷺房
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序章

長野、愛知、静岡が県境を隣接している中井侍町に鄙びた温泉街がある。

周囲を急峻な山々に囲まれた天竜川沿いの両岸にある平地にできた温泉街で、効能効果は素晴らしく古来より湯治に来るお客様で街は人通りが多い。

その一角に旅館がある。大きな庄屋作りの建物を改装してできた建物の軒先には「小狐旅館」と看板が掛かっており、その下には小さな狐の石像が置かれていた。

「いってきます」

元気の良い声とともに女子高生が入り口にかかっていた小狐旅館の暖簾を押して出てきた。長女の梨花の姿だ。白色のワンピースに黄色のベルトが特徴的な天龍高等学校の夏服を着た彼女は登校のため駅へと向かおうとして、毎朝の恒例である看板下の小狐を撫でようと手を伸ばす。

「あれ?」

狐の頭の上に黒色の房の影があった。

上に目を向けていくと、小狐旅館の看板の上に白い矢が刺さっていた。

白木でできた篦に紺色の羽、そして紫色の襷が縛り付けられた矢は打ち込まれたように看板にしっかりと突き刺さっている。

「お父さん、おとうさん!看板に矢が刺さってる!」

「あん?」

上り口の横にある受付カウンターで会計処理をしていた父親の源一は怪訝そうな顔をして丸刈りの頭を向けた。

「矢だと?」

めんどくさそうに出てきた彼はその矢を掴むと思いっきり引き抜いた。

「まったく、どこのいたずらだよ。」

「綺麗な矢だね、ちょっと見せて」

源一の手から矢を取るとじっくりと矢を見た。紫のタスキはとても滑らかな生地で指で触ると柔らかくてとてもよい心地がする。

「すごく良い生地だ」

「そんなことより、結構深いな…この傷…」

看板を撫でながら源一は傷の見定めをする。修理しなければならないほど矢の傷は深かった。

「へ…」

生地を触っていた梨花の指にしゅるりとタスキが絡みいた。

「え、なんなの…」

ぽやっとしている梨花も訝しむ顔をしてタスキを見た。

するとタスキは指と指の間から梨花の体内へとするすると入って行き、あっという間に消えて溶け込んでしま

った。

「ええ!!」

「なんだ、どうした?」

「タスキが、タスキが消えちゃった!」

「どこに」

「私の体の中に!」

「うんなバカなことあるか、その辺に落ちたんだろうよ」

話半分に聞いた源一は周りを探し始めた。

「ん、落ちてねぇな」

足元をひとしきり見ていた源一は梨花の足で視線を止めると短い靴下を履いてる梨花の足首に紫色の線ができていた、それは両足にすっと線を引いたように両足首の同じ位置にあった。

「梨花、足首どうした?」

「どうしたって?」

「紫のラインが入ってるぞ」

「え!?」

慌てて足元を見た梨花も驚きの声を上げて自分の足元を見る。

「こんなの朝はなかったよ・・・・。さっきのタスキが・・・・」

「何かにぶつけたんじゃないのか?タスキが体に入るなんてことがあるかよ」

「でも、本当に」

「痛みはないのか?」

「うん、痛みはないよ・・」

軽く足首を触ったり、二、三回と足を動かして見ても何ら痛みが生ずることはなかった。

「痛みがないならよし!」

安堵した表情を見せた源一は近くの農協の街路時計をみた。もうしばらくすると梨花の乗る電車の時間が迫っていた。

「梨花、また帰ってきてから話をしよう。電車の時間もあるし、もし痛みが出るようなら病院に連れてっから」

肩を軽く叩かれる。

「うん、忙しいのにごめんなさい、行ってきます」

「いってらっしゃい、気をつけてな」

暗い顔を明るくして梨花は源一に笑みを見せてゆっくりと駅に向かって歩き始める。

朝の商店街はこんな早い時間から活気に満ちている、といっても、住人が活気に満ちているのでお客さんがというわけではない、県道を挟んで両脇に長く延びている商店街は7時から営業を開始する店が多いのだ。こんな田舎で7時から商店街を開けても誰もきやしないと考えがちだが、温泉街からのお客さんが浴衣姿でふらふらと寄って行ってくれる。無論、そんな早朝から起きて来るのは、じい様、ばあ様が多いので活気ではなく、ゆったりとした早朝の時間を味わうことができる。

もう一つ、商店街が朝早くから開く理由がある、それは飯田線の貨物輸送が朝の6時頃には中井侍駅につくからだ。

主要道である151号線から中井侍まで2時間以上の道のりをかけて来なければならない、それだと輸送時間がかかりすぎてしまうので電車貨物が店の頼りとなっている。新聞から生鮮食品などを一括で運んでもらい、中井侍駅で貨物列車ごと切り離していくのだ。そうやってもう何十年も村は生活している。県道の改良も中央構造線の軟弱地盤などの諸問題で一向に進展していない。

「おはよう、小狐」

「おはよう、祐一」

八百屋の4代目になる予定の八百祐一が丸刈りの頭にスポーツバックを手に持って店から出てきた。ちなみに小狐というのは梨花のあだ名だ。

「いつもより遅いな?」

「うん、ちょっとあってね」

祐一は駆け込みの常習犯である、彼とこの場であってしまったということは、駆け込みになるのだろうと梨花は考えて辟易する。

「ダッシュだな」

さわやかな笑顔で言ってくる祐一に辟易する。

「言わないでくれる?」

不機嫌な返しで梨花は足早に歩き始めた。慌てて祐一が追いかけてくる。 祐一は身長が高く、体はしっかりと引き締まっており、顔も悪くない。青いネクタイに白いシャツと白いスラックスの制服がよく似合っている。温泉街で働いている人たちからも人気が高いのだが本人は全く気にしておらず、愛用のスマホに付いている2次元キャラクターの桃華に夢中である。

「どうした?不機嫌だな」

「ちょっとね、色々あったんだよ」

「溺愛親父さんと揉めたか?」

「揉めてはないよ。喧嘩はしないし、できないし」

溺愛親父、村で源一はそう呼ばれている。幼稚園の運動会から始まり、小学校、中学校と「愛ラブ梨花」と書かれたTシャツで応援に来た猛者だ。カメラや応援にも力の入れようは凄まじく一人娘を溺愛する親父と札をつけて歩かせてもなんら間違いない気はする。

小学校高学年の時に恥ずかしくなって辞めるように説得したところ、大泣きした。いや、号泣した。それはもう梨花がいたたまれなくなるくらいに哀れに泣いた。結果、止めることは不可能であると悟って今に至っている。

「たしかに揉めて泣いたらかわいそうだからな」

頭をポンポンと優しく叩いた彼に少しばかり表情が緩んだ。

「ん・・・・・ちなみにどっちが?」

「親父さんが」

持っていたカバンを勢いよく彼の溝うちに叩き込む。ネクタイピンをしている彼にそれが当たれば激痛であることはよくわかったいる。

「だと思った!」

少しでも表情を緩めた自分が馬鹿だったと梨花はさらに腹を立てた。と同時に朝の矢の件が思い出された。あの父親のことだ、あの矢から相当な妄想を抱き始めるのだろう。帰ってから、梨花がああなったらどうしよう、梨花がこうなったらどうしよう、と私に話しかけて来るにきまっている。

なんとめんどくさいことだろうと、ため息が出た。

「なんか、親の愛がでかいと大変だな」

「それは慰めてくれてるね。ありがとう」

素直に礼を言って八百屋から数件離れた味噌屋の前を通ると、赤味噌色をした女が入り口から出てきた。

「なんで起こしてくれなかったの!、と、おはよう、お二人さん」

店の中に怒鳴った彼女は途中で2人に気がついた。

「おはよう、朝から元気だね」

「うん、慌てて起きてこのざまよ」

長い髪の毛を手ぐしで解きながら日焼けした健康を主張するような肌を見せて味噌屋の娘、間宮薫は頰を膨らませながら駅へと一緒に歩いていく。陸上部で優秀な成績を誇る彼女だが朝にはめっぽう弱い。その為、朝練のときは起こしてもらうのが常なのだが、今日は忘れられたようであった。

「朝練、大丈夫なのか?もうすぐ大会だろ」

「うん、実際はやばいかな・・・勝てる気しかしない」

自信満々の表情で彼女はいう。

「それはすごいな」

「うん、すごい」

祐一の納得に梨花もまた相槌をうった。

「それくらいの意気込みで行かないと、勝てるものも勝てないよ」

笑みを見せて彼女はスカートから伸びる長く立派な足をパシンと叩く。彼女のメンタルの強さには昔っから感心させられる。

「梨花はどうしたの?いつもこんなに遅くないじゃない?溺愛親父に朝から絡まれたの?」

「またその話題・・・」

祐一がクスクスと笑っている。

「同じ話題を俺も振ったの、やっぱり考えることは一緒か」

「仕方ないんじゃないの、それ以外にこんな遅くなる理由は思いつかないんだもの」

「いや、私だって遅くなることはあるよ」

「そん時はあんた、髪がメデューサヘアでしょ」

過去に一度だけ、遅刻したことがあった。完全な寝坊で慌ててメイクと髪型をセットして自宅を出たがその日は風がひどく髪は乱れに乱れて、教室に入った時にはクラス中の視線を集めてしまった。とにかく、すごくひどかったためクラスメイトが凍り付いていたが、その中で祐一と薫が吹き出したのち大爆笑したのをしっかりと覚えている。

「もうそんなことはないから!」

「だといいけどね」

「どういう意味?」

睨むわけでもなく、凍り付いた笑みを薫に向けた。

「あ、いや、なんでもない」

「ならいいのよ、なら」

遅刻の出来事以来、氷上の笑みを浮かべるすべを取得した梨花に2人は恐れおののく。

「メデューサ梨花」

ぼそりと呟いた祐一の腹部に本日に2発目のカバンがめり込む。

「なにか?」

「何でもございません」

再び痛みをこらえている祐一の方をポンポンと叩く。

「小狐怒らせると後が怖いからね」

「そんなに怖くないよ!、それに今朝の方が怖かったんだからね」

ふと朝一番のことを思い出して梨花は身震いした。ついついタスキが入った手をみてしまう。

「なにがあったの?」

「どうしたんだよ?」

いつもの梨花でない姿にふざけていた2人も心配そうに声をかけた。

「うん、実を言うとね、朝出て来る時にうち小狐の看板に矢が刺さってたの」

「矢って弓道とかで使う矢のことか?」

「うん」

「どんなんだ?」

「え?」

「どんな色か言ってみろよ、もしかして白木に紺色の羽じゃなかったか?」

突然、人が変わったように祐一が問い詰めてくる。まるで現場を見たかのように矢の形を当ててきて梨花は足を早めて祐一と間をとる。

「どうして知ってるの!?祐一が打ち込んだの?」

「そんなわけあるか。俺が深夜にランニングしているのは知ってるだろ?」

「うん」

「昨日、ランニングの帰りに遠山神社の前あたりで紺色の着物姿のじじいとすれ違ったんだ、最初はどっかの旅館かホテルの酔っ払い客がふらついてるかと思ったんだけど、すれ違った時に矢を持ってたんだよ、普段見ないようなもの持ってたから気になって覚えてたんだ、で今の話だろ、もしかしてと思ったんだよ」

「遠山様の近くで?」

遠山神社とは温泉街の中間地点にある小山の森の真ん中に御鎮座されている神社のことだ。

「おう、その石段の前だよ、何でだろう、顔までは思い出せない・・・、でも、気持ちの悪い雰囲気を持っていたのは覚えてる。」

「そんなに変な人だった?」

「変な人なんだけど、すごく気持ちが悪かった。なんだろう、嫌いとかそんなのではなくて、生理的に受け付けないみたいな感じだったよ」

祐一の表情がひどく歪むのをみて2人は恐ろしくなった。人の良い祐一がここまで毛嫌いするのも珍しい。それがなおさら、怖さを産む。

「でも、そんな不審者歩いてたら石達磨に連絡行かない?」

石達磨、人の名前ではなく中井侍村全体に根付いている施設のあだ名である。正式には長野県警察・阿南警察署・中井侍村警部交番のことだ。交番とつくが規模は大きく、小山の森の隣にある中井侍中央集会所と併設する形で立派な建物に入って日夜温泉街を守っている。

その警部交番のある場所の住所が石達磨というのでみんな石達磨と呼ぶのだ。

また、そこに赴任してくる警察官が皆、達磨顔ばかりで怖いのもあだ名の出所かもしれない。

「いや、帰りに気になったから石達磨の立番してた不二子ちゃんとこに寄ったけど、誰も通らなかったって言ってた」

「おばけ?」

「おばけなら・・・話は通るかも・・・」

「どういうこと?」

「笑わないで聞いてくれる?」

朝の出来事を梨花は真剣に2人へと話すことにした。


一応、こちらにも掲載します。

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