第83話 成長
本作品の最終話になります。
この後、連続更新でオマケをもう一話追加します。
目を覚ますとそこは白い空間でなく、いつもの自分の部屋の天井だった。あれは夢だったのか、それ以外の何かだったのかはわからないが、くちびる同士が触れた感覚は鮮明に覚えている。そして去り際に残していった言葉が気になって、腕の中で眠っているチサに意識を向けてみたが、いつもの小さくて華奢な印象とは全く違う。
恐る恐る布団をめくってみるが、明らかに一晩で成長してしまっている。着ていた服は窮屈だったのだろう、いつの間にか器用に脱ぎ捨てて、布団の横の方で塊になっていた。
寝顔は穏やかで寝息も安定しているので、急に成長したことの悪影響は、今の時点で判断できない。眠っている姿だと判りづらいが、年齢は高校生くらいだろうか。ニーナやホーリより年上で、十代後半の容姿を持つハルより若干下辺りに見える。
布団をめくってしまったので肌寒かったのだろう、チサは少し身震いしてゆっくりと目を開けた。
「おはようチサ、体調は大丈夫か?」
「おはようゼンジ、体調はそうじゃな……
気分はスッキリして熱っぽさも無くなったが、少し違和感があるの」
「いいかチサ、落ち着いて聞いて欲しい」
「朝っぱらから真面目な顔をしてどうしたんじゃ?」
「今朝のチサはすごく可愛くなってる」
「それは惚れた弱みで補正でも入っとるんじゃろ」
「いやそうじゃないんだ、本当に可愛くなってて、こうやって抱きしめたまま押し倒したくなる」
「あのなゼンジよ、いくら夫婦になったからとは言え、ワシのような見た目の女性にその様な行為をするのは、甚だ倫理観に欠けると思うんじゃが」
「その問題は、いま解決した」
「昨日自分で言っておった言葉をもう忘れたのか?」
「それはあくまで十歳位の体格だったからだ、今のチサなら何の問題もない」
「ワシにはゼンジの言っとる事がさっぱり理解できん、一体どうしたというんじゃ?」
「そうだな……自分の手を見てくれるか?」
チサはこちらを見つめたままモゾモゾと動き、手を顔の前に持ってくるが、その大きさは今までと全く違っている。
「いつもと変わらんワシの手じゃと思うが、どこか変か?」
「それならこうして比べてみたらどうだ?」
チサの手に自分の手を重ねて大きさを比べてみるが、昨日までと比率が明らかに変わっていた。
「……何やらゼンジの手の大きさに近づいとるし、握った感覚も全く違うが少し縮んだのではないか?」
「逆だ逆、チサが大きくなってるんだよ。
自分の体をゆっくりと見てくれ」
昨夜やったように指と指を絡ませて、しばらくニギニギと感触を確かめていたチサだが、ゆっくりと自分の体に視線を動かし、そしてそのまま硬直した。
「なっ……………なんじゃこれわぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
朝っぱらからチサの叫び声が部屋の中に響き渡ったが、防音のしっかりした家で良かった。
◇◆◇
パニック状態のチサを何とか落ち着かせ、身長がほぼ同じのハルに服を借り、食堂で家族会議を開催する。
「身長が同じなのに、チサさんの方が大きくなってしまいました……」
「すまぬハルよ、自分でもどうしてこうなったのか、全くわからんのじゃ」
「今の姿でも十分魅力的だし、俺はハルの全てを愛してるからあまり落ち込まないでくれ」
「……うぅ~、ゼンジさぁん」
服のサイズはちょうど良かったが、肌着のサイズが合わなかったハルは、涙目でなでなでを受けている。
「ボクとハルの中間くらいだね」
「何というか、落ち着かんもんじゃなこれは」
合う肌着のサイズが無いので少し大きめのものを身に着けてもらったが、かなり違和感があるみたいだから早急に服を買いに行こう。
「えっとチサちゃんって、昨日ゼンジと何かあったよね」
「もしかしてゼンジと結婚した?」
「さすがイールとロールじゃな、その通りじゃ」
イールとロールはいつもの様に、ひと目で関係の変化を見抜いていた。
「大きくなった原因は、ゼンジさんと愛を育まれたからでしょうか」
「ゼンジさんを受け入れるために、大きくなったという可能性もありますわ」
「具体的なことは何もやっとらんが、口づけを交わしたくらいかの……」
なかなか鋭い指摘をするヘルカとトルカだが、チサが昨夜悔しがっていた心の変化をトリガーにして、成長へ繋がった可能性は十分ある。
「……それは私たちもやってるけど、一晩で大きくなったりしないね」
「……この家の家族になってから、少しづつ成長してるけど」
「急に大きくなっても違和感ばかりで、あまり良い事はないもんじゃぞ」
どこと具体的には言っていないが、何となく想像はできる。毎日スキンシップをしているので、その変化に気づきにくいが、規則正しい生活とバランスの良い食事が、2人に成長をもたらしているのだろう。
「チサが急に成長した原因なんだけど、どうやら俺の気持ちを受け入れてくれたお陰で、血の束縛というものが解けたらしい」
「一体何じゃそれは、そんな話は聞いた事がないぞ」
夢か現実かよくわからない世界で少しだけしか話せなかったが、お酒を飲んだ時に現れたチサの口調や、二十代の容姿をしたチサの面影を残す美女の事を全員に聞かせた。
「ワシの事を自分以上にゼンジに知られたというのは少々悔しいが、見惚れるほどの美人になれるというのは楽しみじゃ」
「これ以上私を置いて行かないでください、チサさん」
善司のなでなでのおかげで復活していたハルだったが、チサが更に成長するという話を聞いて、追加ダメージを受けていた。
◇◆◇
朝食後、善司とチサとリリでいつもの服飾雑貨の店に向かう。服を購入した後にスノフに相談に行く予定にしているので、他の家族はお留守番だ。
「目線が高くなって歩きづらいのぉ」
「すぐ慣れてくると思うけど、俺の腕につかまってていいからゆっくり歩こう」
「ボクも同じようにしていい?」
「あぁ、もちろん構わないぞ」
寝ている状態の時はともかく、起きて行動を始めるとそれまでの感覚との違いに、チサは四苦八苦している。食事も食べづらそうだったし、こうして歩いていても何かの拍子に足を取られそうになっていた。
善司の腕につかまってバランスを取りながら歩くチサの姿を見て、リリも反対の腕を組んで歩き始める。両方から伝わってくる2人のまろやかな感触は、善司に幸せを運んでいた。
「しかし、また人の目が気になるとは、とんだ災難じゃ」
「チサはすごく可愛くなってるから、仕方ないよ」
「今朝は危ない所だった」
「ワシはゼンジがとうとう壊れてしまったと思ったぞ」
「ボクは女の子だけど、ゼンジの気持ちは何となく分かるなぁ……」
「リリまで何を言い出すんじゃ!
明るい往来で話す話題ではなかろう、とっとと服を買いに行くぞ」
チサに急かされて通りを歩く3人だが、双子館の旦那と呼ばれている男が、また目を引く女性と一緒に歩いているので、注目されないはずはなかった。しかもこの世界の成人年齢を超えた十七歳前後の容姿になったチサは、妻や恋人として十分見られる存在だ。噂は一気に街中に広がり、奴隷商セルージオの娘の心配事が増えるのだった……
◇◆◇
大きくなったチサの姿は、服飾雑貨店で店員の挨拶を詰まらせる程だった。チサはそんな店員の態度を気にする事もなく、大人向けの落ち着いた色合いの服を選べるようになって、機嫌よく買い物をしていた。肌着はリリに協力してもらいながら選び、服は善司の好みを全面に取り入れてスカートオンリーで買い揃えている。
渋い色合いのものを中心に選び、フレアスカートにブラウスやカットソー、上から羽織るカーディガンなどを購入し、着替えた後にスノフの工房へ向かって歩き始めた。
「新しい髪留めを買っても良かったんだぞ」
「髪はちと伸びすぎとるから、またゼンジに散髪してもらって後ろで纏めるか、今後の検討課題じゃから構わんよ」
「それだけきれいに伸びてるから、切るのはちょっともったいないね」
大きくなった影響で髪も腰辺りまで伸びているので、バレッタみたいな髪留めを買おうと提案したが、ひとまず保留にしておくと言われた。今は何も身につけずに自然な状態だが、リリの言った通り歩く度にサラサラと風になびく髪は非常に綺麗だ。
「髪を下ろして大人の服を着たチサと腕を組んで歩くなんて、すごく新鮮でいいな」
「急に大きくなって不便な事ばかりじゃが、こうして落ち着いた服を着られるのは利点じゃな」
「チサならもっと可愛い服でも大丈夫だと思うけど、それもすごく良く似合ってるよ」
濃いブラウンのフレアスカートに白のブラウスを合わせて、その上からカーキ色のカーディガンを羽織った姿は、とても落ち着いた印象を与えてくれる。後ろに流れる赤い髪とも調和していて、大人の女性になった姿をより一層印象づけていた。
人の目をなるべく気にしないようにしながら通りを歩き、スノフの工房がある建物の扉を開ける。
「スノフさんこんにちは」「こんにちは」「少し話をしたいが構わんか?」
「おう、お前さんたちまた休みの日に……………って、隣に立っとるのは一体誰だ!?」
「スノフ爺、ワシじゃよ、チサじゃ」
「……今度は一体何をやらかしたんじゃ!」
呆れ顔を通り越して無表情になってしまったスノフに血の束縛のことを聞いてみたが、まったく聞いた事がないと言われてしまった。三百年以上生きてきて、獣人の血の事も知っていたスノフがお手上げとなると、他に頼れる人はもういない。
「結局の所、お前さんたちが結婚を決めたらそうなったんだな?」
「チサは自分が成長してないせいで、俺を受け入れられないと後悔してたから、その辺りの気持ちの変化がきっかけになったんじゃないかと考えてる」
「時々夜中に熱が出ることがあったんじゃが、あれは体を成長させようとしとったのかもしれんな」
「だがチサ坊の濃い血がそれを阻んどったと」
「でもゼンジと心を通わせた事で、その力に打ち勝ったんだね」
「お前さん達は次から次へと信じられん事をやりおるが、チサ坊が結婚とは……
ワシの寿命が来る前に素晴らしいもんが見られたな、皆で幸せになるんんだぞ」
「スノフ爺は大げさじゃな……
まぁワシも誰かとこういう関係になるとも思ってなかったがな……って、泣いとるのか!?」
「あたり前だ!
精霊の血が濃いワシらの気持ちをここまで変化させて、そのうえ結婚するなど奇跡が起こったとしか思えん」
スノフは両目に涙を浮かべて、こちらの方を見ている。ずっとチサのことを気にかけて大事にしていたので、家族が嫁に行くような気持ちなのかもしれない。
「チサとこういう関係になって、スノフさんには真っ先に報告しようと思ってたんだ。
ただ、チサがこんな変化を遂げたから、驚かせてしまって申し訳ない」
「そんな事は気にするな、ワシはお前さんを雇って本当に良かった。
チサ坊の事をこれからもよろしく頼む」
こちらの頭を下げてくれたスノフに、チサを必ず幸せにすると約束して、工房を後にした。チサの両親に挨拶する事はもう無理だし、親戚もいないと聞いている。これまで一番関係の深かったスノフに、祝福の言葉をもらってチサの事を託されたからには、必ず期待に応えられるよう努力を続けていこう。それはきっと家族全員の幸せにも繋がるはずだ。
チサとの結婚で一区切りしましたので、魔操言語マイスターはこれで終了とさせていただきます。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
この後に連続更新をして、エピローグ的な話を一話追加します。
作品の締めと言うにはあまりに蛇足ですが、そちらもお読みいただければ幸いです。