第78話 ソニック・ロッド
王都へ招聘される日を目前に控え、音響武器の調整もいよいよ最終段階に差し掛かった。焼いてきたばかりの魔操板を杖にセットし、少し離れた場所に置いた瓶に狙いをつけ発動すると、中に入っていた黒い液体が波打ち始める。
「やったな、成功だ!」
「とうとう実用化出来たね、ボク感動しちゃったよ」
「既存の魔操器でここまで鋭く波打つ製品は無いはずじゃ、これはかなり強力な武器じゃぞ」
瓶の中の黒い液体がその姿を激しく変化させながら、針山のように盛り上がっている。パラメトリック・スピーカーで発生させる音は指向性が非常に強くなるので、少し杖の方向をずらすと波は弱くなり、やがて平らな状態に戻ってしまう。
人間に向けて発動しても“サー”というノイズが聞こえるだけで、音が大きく多少耳障りな点を除けば、気分が悪くなったり平衡感覚が狂ったりはしない。リリは人間より可聴音域が広いので、しっぽが逆立って体を震わせるが、体調に悪い影響はないみたいだ。
「指向性が思ったより強いから、狙いをつける照準器を取り付けた方が良いかもしれないな」
「それってどんなものなの?」
「音の発射される方向に凹型と凸型の出っ張りを少し距離をとって設置して、それが重なるように角度を調整すると、狙った場所に飛ばせるようになるんだ」
他にも丸や十字の線を合わせる方法などを説明していくが、指向性が強いといっても弾丸のようにピンポイントで命中させる必要はないので、杖の厚みを利用した簡易的なもので十分だろう。
「この世界に無い知識というのは面白いもんじゃな」
「ゼンジの居た世界にも行ってみたくなるよ」
「便利な世界ではあったけど、住みやすいかと言われると微妙だな。
寒い季節は水が凍るくらいだったし、暑い季節は人が死ぬくらいだったからなぁ……」
「北部生まれだから寒いのはまだ我慢できそうだけど、死にそうなくらい暑いのは嫌だよ」
「ワシは暑いのも寒いのも嫌じゃ」
「その点だけでも、ここは暮らしやすいな。
この世界の火期は俺の住んでいた国だと、七番目の月くらいの気温だったけど、その先の絶望すら感じる暑さは、もう思い出したくないよ」
この世界に飛ばされたのは火期の初めだったが、その季節を過ごしてみた限り、気温が三十度を超えた日は無かったと思う。誰かと腕を組んだり手を繋ぎながら日差しの中を歩いても、汗が流れ落ちるような事はないし、湿度が低めなので風がとても涼しく感じる。
日が沈むと更に気温が下がるので、風呂上がりにスキンシップをしながら過ごしたり、一緒に寝ても暑苦しくならない。そして土期が半分以上過ぎたが、日本だと六月くらいの気温だろう。家の中ならチサのように、風呂上がりに半そで半ズボンでも十分過ごせる気温だ。
「大陸南部でも暑さで死んだ人間はおらんが、そんな過酷な環境で、よく生きられるもんじゃな」
「空気を冷やす機械や、食べ物や飲み物を冷やす機械があったから生きられたようなもんだ」
「食べ物を冷たくする魔操器はこの家にもあるけど、空気を冷やす魔操器は存在しないなぁ」
「そんな物は誰も必要とせんから、無いのは当たり前じゃな」
ヘルカとトルカが居た南部の国でも、一番暑い時期に寝る時でさえ薄手の掛け布団を使っていたらしいので、熱帯夜とは無縁の環境なんだろう。もうじきこの国で一番涼しくなる風期が始まるが、風が吹いて体感温度が若干下がったとしても、日本の五月くらいの陽気になるんじゃないかと予想している。
「双子に対する偏見のない国だから、ハルやイール達は生活しやすくなると思うけど、チサのように寿命の長い人間は居ないし、リリみたいに耳やしっぽのある人も存在しないから、ここより苦労すると思うぞ」
「機械には興味あるけど、やっぱりこの家で暮らす方がいいね」
「聞けば聞くほど生き辛そうじゃし、ワシもそんな世界はお断りじゃ」
「俺ももうみんなと別れたくないし、この世界にいる方がいいよ」
両親や、正月には必ず毎年会いに行っていた親戚の双子の事は気になるが、こうして自分の家庭ができて仕事もプライベートも充実しているこの生活を、いまさら手放すのは絶対にお断りだ。
音響武器がやっと完成した高揚感から話が脱線してしまったが、その後は庭を使って遠距離のテストを行い射程も充分ある事など確認した。明日のうちに照準器をつけた外装を完成させ、イールとロールに協力してもらって、実地試験をする事になった。製作者のリリはそれに付き合い、ヘルカとトルカも一緒についていくそうだ。ニーナとホーリはお菓子作り、ハルは少しづつ花壇を作っていて、作業の続きをするらしい。
チサは王都で魔操核の技術デモをする際に使う4並列の見本の改良をして、よりわかりやすく発動状態を観察できるようにしてくれる。出来上がり次第スノフの工房に来るらしいので、また一緒に帰ることにした。
こうして、みんなのやりたい事、出来る事が形になってきているのは、とても嬉しい。この笑顔を守っていくためなら、もっともっと頑張れそうな気がした。
―――――・―――――・―――――
翌日のお昼を少し回った頃に、チサが工房を訪ねてきた。
「邪魔するぞ」
「よう来たなチサ坊」
「時間は大丈夫か?」
「いま印刷してる魔操紙が終わったら一段落するから、俺の方は大丈夫だ」
「ワシも今日の分の納品は終わっとるから、時間はいくらでも取れるぞ」
「ゼンジの分が終わったら、こいつを焼いてもらっても構わんか」
技術デモ用に使う魔操紙をスノフが受け取りそれを眺めるが、業務用の特殊な記述で書かれた、四つの魔法を同時発動するそれは、全く読み解く事が出来ない。
「ワシの工房のある魔操板を焼く魔操器はどこにでもある一般的なものだが、こんな特殊な記述も焼けるのは何度やっても不思議なもんだ」
「その違いは方言みたいなもんじゃからな、この大陸でも国が違うと異なる単語や意味になる言葉があるが、その程度の差じゃよ」
「一見難解だけど書き方が厳格なだけで、わかってくると面白いよ。
以前作った金庫の見本も、こっちの書き方で作っても良かったかもしれないと思ってる」
「ワシを死ぬほど悩ませたあの見本の方がより効果的じゃから、ゼンジのやり方は間違っとらん」
「チサにそう言ってもらえると嬉しいよ、その見本も後で少し見てもいいか?」
「あぁ、焼く前に説明してやるから構わんぞ」
善司はいま印刷している分を大急ぎで仕上げ、チサを膝の上に乗せてデモ用の魔操紙を読み始める。その間にスノフが印刷の終わった魔操紙をチェックしていくが、相変わらず入力ミスがなくスムーズに焼き込み工程へと進んでいった。
「なぁチサ、ここの記述だとちょっとまずくないか?」
「どこじゃ?」
「ほらこの部分なんだけど、このままだと長時間連続可動させた時に、同期が少しづつズレていくと思うんだ」
「言われてみれば確かにそうじゃな、ようこんな細かい所に気づいたの」
「今のままでも問題なく動くし、粗探ししたみたいで気がひけるんだけど、どうしても気になったんだよ」
「そんな事を気にするでない、些細な事でもはっきり言った方が、より良いものが出来るんじゃ」
「ならどうする? 印刷し直すなら俺が入力するけど」
「魔操板を焼いとる時間で印刷し直すか」
「じゃあ早速始めるか」
チサを膝の上に乗せたまま淀みなく入力を進めていく善司を見て、スノフは少し驚いていた。業務用の記述がある程度出来るようになったのは聞いていたが、既にかなりの水準に達していると感じたからだ。
「業務用の記述は習得が大変だと聞いとるが、お前さんはもうそんな細かな部分に気付けるまで理解したのか?」
「まだわからない部分も多いんだけど、どういった動作に繋がるかは理解できるようになってきた」
「チサ坊と同じ水準の話ができるのは、もう一流と言って構わんと思うんだがな」
「まだまだ負けてやるつもりはないが、ゼンジは飲み込みが早いから教えがいがあるんじゃ」
「チサの教え方が上手いから、こうやってすぐ覚えられてるんだよ」
「褒めても何も出んが、一つくらいならお願いを聞いてやっても良いぞ」
「それなら今夜、膝枕を頼む」
「全くゼンジは甘えん坊じゃな」
魔操組合で魔操言語の担当者が、業務用の記述がある程度できるようになったと聞いて落ち込んでいたが、今のやり取りを聞いているだけで、その気持がわかるような気がした。いくら教師役のチサが優秀といっても、数える程しか居ない業務用の見本を作る技能を持った開発者の、頂点に近い場所に善司は立ってしまっている。いくら異世界の知識があるといっても、これだけ短時間で身につけられるのは、魔操言語との相性が良いからだろう。
そして、相変わらず仲のいい2人を見て、早く結婚しろと思うスノフだった――
◇◆◇
イールとロール、それにヘルカとトルカにリリを加えた5人は、森の中を進んでいく。その目的は、音響武器を実物の魔物に試してみるためだ。この杖にも善司の世界の言葉で、ソニック・ロッドと名前をつけてくれた。
「ゼンジと出会ったのは、この森なの?」
「うん、そうだよ」
「もうちょっと奥に行ったところだけどね」
「この森はどんな魔物が出ますの?」
「あまり危険はないと、ハルさんもおっしゃっておられましたが」
「この辺りは小型の魔物ばっかりだね」
「向こうの山に近い方に行くと中型の魔物も出るけど、行った事はないんだ」
ハルの言いつけをしっかり守っていたので、イールとロールは小型の魔物が出るエリアから奥に進んだ事はない。善司と出会ったのは山と森の境界の中間辺りだったが、もし彼があのとき山の方に向かっていたら、2人と出会う事は無かっただろう。
「南の方にある森ってどんな感じなの?」
「そうですわね、ここより鬱蒼と木や草が生い茂っていて、とても歩きにくいですわ」
「でも美味しい果物とか採れますのよ」
「この辺りにも食べられる果物は採れるけど、お姉ちゃん達の居た国の森にも行ってみたいね」
「前にゼンジが買ってきてくれた南国の果物もすごく美味しかったから、また食べてみたい」
「北の方だと木とかまばらに生えてるだけで、こんな森は無いんだよ」
そんな話をしながら森を歩いていると、少し離れた木の近くに黒いオーラを纏って、赤く光る眼を持った魔物が現れた。
「あっちに魔物が居るよ」
「最初は誰が使ってみる?」
「最初はボクがやってみるよ、もう一度説明しながら使ってみるね」
リリが杖を構え丸い円盤状の超音波発生部分を魔物に向け、上部を少し盛り上げるようにして取り付けた照準器の中心に、十字の線が来るように狙いをつける。そして柄の部分に付いているトリガーボタンを親指で押すと、パラメトリック・スピーカーから発生した超音波が、空気の歪みを発生させて音へ変化する。
魔物はビクリと体を震わせるが、その場から動くことが出来ず、体の輪郭が波打って徐々に黒い靄が解けていき、その存在が空気に溶けるように消えていった。その場には小さな魔操玉が残されるのみで、音しか発生していないため周囲への被害は全く無い。
全長30cmに満たない短い杖だが、魔物に対する効果は絶大だった。
「この距離で効果があるなんて、凄いですわね」
「それに後ろだと、音が全く聞こえませんわ」
「もう少し離れてても大丈夫だと思うけど、うまくいって良かったよ」
「凄いよリリお姉ちゃん!」
「次は私たちがやってみてもいい?」
「うん、みんなで順番に使ってみてね」
次に見つけた魔物にイールが杖を向け魔法を発動するが、双子でも魔操作出来る対策を施しているため、リリが使った時と同じ様に魔物が消えていく。指向性のある音波といっても狙いはそこまでシビアでなく、誰ひとり失敗すること無く魔物を倒せている。あまり遠距離だと効果は落ちるが、魔物の動きを阻害する程度の力があり、そのまま近付いて行って倒す事も可能だ。
この性能があれば4人でパーティーを組んだ場合、よほどの数に囲まれでもしない限り、安全に狩りができるだろう。音の効果範囲に入った魔物を、複数まとめて倒す事も可能という、ちょっとしたチート武器に仕上がっていた。
狩りを終えて多数の魔操玉を手に入れた5人は、ホクホク顔で家へと戻っていく。今日は別の仕事で参加していない善司やチサ達に報告するのを、全員が楽しみにしていた。
◇◆◇
善司とチサが家に帰ると、待ち構えていたイールとロールが今日の出来事を一生懸命話してくれる。リリも嬉しそうな顔をしているし、ヘルカとトルカも笑っているので、実験は大成功だった様だ。
「音が命中すると魔物は動けなくなって、ブワーって消えちゃうんだ」
「なんか周りがユラユラってして、どんどん形がなくなっていくんだよ」
擬音が多いので少し解りづらいが、動きを阻害して確実に仕留められる武器なのは、間違いないみたいだ。
「何かが飛んでいく訳ではないので、当たったかどうか判りづらいのが欠点ですが、照準の穴から見えていれば大丈夫なので扱いやすいですわ」
「二匹まとめて倒してしまった時は驚きましたわね」
音の届く場所すべてに効果のある範囲攻撃みたいなものだから、複数の魔物が密集していたらもっと効果があるだろう。
「少し音を浴びせ続けないと倒せないから、熟練者の剣技なんかには負けちゃうけど、安全性はかなり高くなると思うよ」
「私たちが剣で倒すのより断然速いよ」
「森の中で走るのは慣れないと難しいから、それが無いだけでも十分すごい」
「わたくし達、森の中で魔物を狩るのは初めてでしたが、この武器があれば十分戦えそうですわ」
「魔物狩りを生業にされている方にも、きっと喜んでいただけますわよ」
食堂に移動してご飯の準備を待っている善司とチサに、5人はちょっと興奮気味に色々な出来事を話してくれるが、小型の魔物が出現するエリアだと危険な場面は一度もなく、予備に持っていた短剣は使わずじまいだったようだ。
たった一本の魔法の杖でここまで戦況が変わるのなら、これを1人づつ持てば安全性は大きく向上するだろう。出来上がった食事を並べながら聞いているハルや、ニーナとホーリも嬉しそうにしているので、このさき安心して4人を送り出してやれるはずだ。
「いい武器に仕上がってよかったな、リリ」
「ありがとう、ゼンジやチサのおかげだよ」
「なら明日は魔操組合に行って申請じゃな」
「これも2つの魔法を使ってるから、また驚かれるね」
この魔操器も赤の魔操核限定にして、トリガーボタンを押した時に2つの魔法を同時発動している。一つはもちろん音を出す部分だが、もう一つは魔操玉の残量を表示するインジケーターの部分だ。魔操玉は魔物の種類によって容量が違っているが、その絶対値を取得して発動回数に余裕のある場合は二個点灯、そこからある程度の残量までは一個点灯、それ以下は二個が交互に点滅するようにしている。
魔操玉自体も残量によって中心の光り方が変わるので、目視でもある程度の判断はできるが、折角二つの魔法が使えるので、それを利用しない手はない。それに、安全のために余裕を持った状態で交換を促す仕様にしたから、突然魔法が使えなくなって慌てる事故も避けられるはずだ。
「実際の狩りで、残量の不安とかは無かったか?」
「これ、とってもわかりやすいと思うよ」
「完全に無くなる前に教えてくれるから、すごく安心できる」
「魔操玉のマナを無くなるまで使っちゃう人は居ると思うけど、その時は光らなくなるから絶対に気がつくはずだよ」
「目に見えない魔法ですから、そういった配慮は素晴らしいですわ」
「ここまで親切な設計で、無くなるまで使って慌てるのは自己責任ですわね」
「今までに無い工夫じゃが、これも魔法の同時発動が出来るおかげじゃな」
「チサに監修してもらえたから、俺でも組むことが出来たよ」
「初めてであそこまで組めれば上出来じゃよ、教えた甲斐があるというものじゃ」
ドライヤーの見本はチサがほとんど組み上げたので、ゼロからの開発は今回が初めてだったが、頼りになる先輩のおかげで自信を持って書くことが出来た。こうしたアイデアを形にできるのは、優秀な魔操器職人のリリと業務器用の見本を数多く手がけているチサが居るからだ。
3人でチームを組んで本当に良かったと、新しい魔操器の話に花を咲かせる家族を見ながら、改めてここに居る全員を手放したくないという想いを強くした。