第77話 試供品
最終製品候補として完成した温風の魔操器を家族全員に使ってもらったが、スライド切り替えの使い勝手も問題なく、新しく実装した弱温風や送風も、強温風である程度乾かした後に使うと、髪を整えやすくなると喜ばれた。
特にリリのしっぽをブラッシングする時に活躍し、更に空気を含んでフワフワな仕上がりになった毛並に我慢できず、家族の前でしっぽ枕をお願いしてしまった。チサには変態呼ばわりされたが、至福の時間だったので後悔はしていない。そんなチサもしっぽ枕をさせてもらい、甘いお菓子を口いっぱい頬張った時と同じ表情をしていたのは見逃さなかった。
その日は前日の反省を元に、うつ伏せに寝てもらってベッドの上で乾燥から始めたが、この魔操器の素晴らしい点はコードレスで何処でも使える事だ。元の世界でもコードレスのドライヤーは存在したが、温風の連続稼働時間が数分と短く実用性に乏しかった。それを魔法という技術を使って再現すると、今のように全員が使いまわしても、小型魔物の魔操玉で十日以上保つだろうとチサが試算していた。
◇◆◇
そんな自信作の魔操器を持って、4人で魔操組合に向かっている。
今日の魔操器は軽いのでリリが手提げカバンに入れて片手に持ち、反対の手は善司と恋人つなぎをしている。妻として正式に付き合いだしてから、2人で歩く時はいつもこの繋ぎ方だ。今はしっぽを空間操作で隠しているが、見えていたら大きく左右に揺れているだろう。
そして善司の反対側の手は、チサが握って歩いている。初めて出会った時から、成り行きでこうして歩いていたが、今ではこれが自然な姿になってしまった。目を引く二人が並んでいると注目されるが、リリはフード付きの服を目深に着ずに歩く事に慣れてきていて、チサも他人の目が集中する事を軽く流せるようになっている。
「しかしチサ坊の髪は、見るたびにサラサラになっていっとるな」
「毎日風呂に入っとるし、ドライヤーで乾かすとこうなるんじゃよ」
「無造作に切った髪を適当に結んでおった人物と、同一とは思えんくらいだ」
歩くたびにポニーテールがフワフワと揺れる後ろ姿を見たスノフがそう漏らしたが、手入れを怠っていてもそれなりに綺麗だった髪が、毎日の洗髪とドライヤーのお陰で見違えるくらい美しくなった。
「ボクの髪の毛もすごくサラサラになったし、ここでは見せられないけどしっぽもフワフワだよ」
「家族全員の髪がきれいになって俺も嬉しいよ」
「ゼンジもドライヤーを使っとるが、あまり変わらんな」
「俺は髪の毛を短く切ってるし、髪質もみんなと違って硬いしな」
「ワシも髪を短くしとるから恩恵は受けられんだろうが、その“どらいやー”と名前をつけた魔操器は凄いもんだな」
この世界に存在しなかった新しい魔操器なので、元の世界と同じドライヤーという名前にした。家族の間ではすっかりその呼び方が定着してしまっているので、今さら別の名前にする必要はないと意見が一致したからだ。もっとも、一般的には“〇〇の魔操器”と呼ばれる場合がほとんどなので、これも“温風の魔操器”で定着しそうだが、それは一般名称の“ステープラー”を、みんなが“ホッチキス”と呼ぶのと同じ様なものだろう。
「この魔操器は実際に使ってもらわないとその良さが分かり辛いから、それをどう伝えるかが問題だな」
「それはチサがちゃんと考えてくれてて、試作器を作って組合の女の人に試用してもらおうと思ってるんだ」
「支部長に許可をもらわんといかんが、既に何台か用意する準備は進めておるんじゃよ」
「俺の思い付きと違って、そういった所をちゃんと考えてくれてるのは、流石チサだよ。
未認可の魔操器や魔操板を使うと問題が起こるから、支部長がその辺りをうまく処理してくれるといいな」
善司たちのように魔操器の開発に関わっている人物が、未認可のものを試験運用する場合は、短時間であれば黙認される。しかし、無関係な者が同じ事をやって悪質と判断されれば、最悪のケースだと犯罪奴隷になってしまう。
この仕事を長く続けているだけあって、その方面では本当に頼りになる。感謝の気持ちを込めて軽く力を込めた手を、ワシに任せておけとばかりに握り返してくれた。そんなチサと軽く視線を交わし、魔操組合の入り口を4人でくぐり受け付けへと進んでいく。
◇◆◇
今回も以前と同じ会議室に通され、組合側のメンバーも前回居た本部の専務を除いた、支部長とハード・ソフトそれぞれの担当職員に、権利処理を担当している4人だ。リリも2回目ということもあり、背筋をピンと伸ばしてはいるが緊張で固くなっている感じではない。
全員が席について魔操器のプレゼンが始まる。
「こちらは筒の先から温かい風が吹き出し、それを利用して髪の毛を乾かす魔操器です」
「熱風で物を加工したり攻撃に使ったりではなく、髪の毛を乾かす……ですか?」
「髪が傷んだり縮んでしまったりしないのですか?」
「ワシの髪はその魔操器で乾かしとるが、ほれこの通りじゃ」
この世界には無かった使い方のため、ハードとソフト担当の2人が不思議そうにリリの方を見るが、チサが椅子を降りて立ち上がり、後ろを向いてポニーテールを軽く揺らすと、その柔らかな動きに少し驚いているようだ。
「濡れた髪を乾かす時間が大幅に短縮できますし、乾いた後の量感や手触りも、自然乾燥とは比べ物にならないくらい向上するので、家族にも好評です」
「確かに女性職人ならではの発想だと思いますが、二つの魔法を同時発動するというのは、生産費と製作難易度が高すぎて大きな障害になりませんか?」
「いえ、これは一つの魔操核しか使っていませんし、それぞれの魔法を発動させるための分配も、業務機ほどの精密さが必要ないので、どんな職人でも作れるくらいの難易度です」
支部長はやはりコストや製作の難しさを心配しているが、いよいよここからが本番だ。リリが外装を外し、組合職員の前に差し出すと、それを見た全員に衝撃が走る。
魔操器が生み出されて数百年の歴史があり、初期の簡単な構造から今の姿に進化してきているが、一つの魔操核で同時に処理できるのは一つだけという鉄則が変わる事はなかった。それがまさに今、崩されようとしている。
「これがその魔操器で使う魔操板の見本じゃが、ゼンジの開発した信号処理に業務器用の同時処理を付け加えただけじゃ。
それぞれが独立して動いても何ら支障はないから、簡単に組み上げることが出来るぞ」
チサも印刷した魔操紙をソフト担当の職員に手渡すが、二つの魔操核を同期させて処理するような業務機と違い、単に同じタイミングで二つの処理を発動するだけなので、文字数もあまり多くはなっていない。むしろ、双子に使えるようにする信号処理の部分が目立つほどだ。
ただし簡単と言っても、それはチサの実力があるからで、業務用の見本を組んだ事のない人間が見ても、書いている内容はさっぱりわからない。善司もチサから直接学んだので、言語解析スキルが効いて短時間で理解できたが、そうでなければ多くの時間と苦労が必要だっただろう。
「魔法の規模を抑えて安全な温度で使用できるように調整してるので、小型魔物の魔操玉でも長時間の連続使用が可能です。加えて、風量と温度を下げて更に優しく乾かす事や、送風だけに切り替える機能も実装しています」
リリが中身が見える状態の魔操器を操作して、実際に温風を出したり機能を切り替えて実演したが、集まった4人はそれを唖然と眺めるだけだった。
「ワシは妙な魔操板を焼いとるのを知っとったから覚悟はできておったが、いきなりこれを突きつけられたら驚くのも無理はないな」
「こんな使い方を思いつくのは、ゼンジの変態性があればこそじゃからな」
「……皆様は平然としてらっしゃいますが、一体どうしてこの様な使い方が出来るとおわかりになったのでしょうか」
「我々トライスターは新規の魔操器を複数同時に研究開発してるのですが、そこで魔操板と魔操核の取り違えが発生した時に、予期しない動作が現れた事で気づきました」
放心状態から復帰した支部長の質問に、流石に見てわかったとは言えないので、あらかじめ用意していた答えを善司は披露した。実験用に作った魔操器の説明や、それぞれの魔操核の持つ同時処理数や、単一処理時の能力を書き記した紙も渡す。
複数の魔法を同時に発動する実験器具は、チサの持つ業務用の技術を教えてもらう目的だったと言っておいたので、疑われる事はまずないだろう。そして、既にある程度の規模なら自分にも組めるようになったと告げた時、ソフト担当の職員がショックを受けていたが、優秀な教師に直接指導してもらっているのだから、短時間で身につくのも当然だと、小声でつぶやきながら納得していた。
「こっ、これは私共の支部では処理できませんので、王都の研究所に連絡いたします。
この件は一旦保留にいたしまして、新しい魔操器のお話をさせて頂いても宜しいでしょうか」
「王都の連中がここまで出向いてくるならありがたいのじゃが、恐らくそうもいかんじゃろうな」
「申し訳ございませんチサ様。
組合職員だけでしたらそれも出来るのですが、研究所となりますと所員の人数が多いもので、恐らく王都までご足労いただく必要があると思います」
「まぁ予想通りじゃが仕方あるまい、王都はワシの庭みたいなもんじゃから直接行くのは構わんが、本部には迎えや接待で余計な気を使うなと伝えておくんじゃぞ」
「承知いたしました、日程等が決まりましたらご連絡いたしますので、何卒よろしくお願いいたします」
やはり王都に行く事になりそうなので、善司は少しため息が出そうになる。家族全員で行けるなら観光気分で楽しめそうだが、転送の魔操器を使うとかなり高額な費用がかかるし、王都に双子を三組も連れて行くと、どんな事態になるかわからない。
チサに有名なお菓子屋を聞いて、お土産をたくさん買って帰ろう、再開されたリリのプレゼンを聞きながら、心の中で計画を立てていた。
◇◆◇
ドライヤーという魔操器につける名前や、商品化された場合の付属板をスノフの工房で作る話などもまとめ、試供品2台を今日の夕方までに届ける話で、その日は一旦解散となった。チサのアドバイスで入念に準備を進めていたので、このまま工房に4人で戻ってから魔操板を焼き、チサとリリは一旦帰宅して試供品の仕上げに入る。
試供品は魔操組合が管理している職員用の寮で、女性たちに使ってもらえる事になった。住んでいるのは組合の関係者だけなので、未承認の魔操器を使っても問題ないそうだ。
「やっぱり王都に行く事になりそうだな」
「王都みたいに大きな街だと、迷子になったら大変だね」
「ワシがおるから心配はいらんし、ゼンジの手を離さんようにしっかり握っとれば迷子にはならんから安心せい」
「家族にお土産を買って帰りたいから、時間があったら何処かおすすめの店を教えてくれ」
「お菓子の美味しい所に連れて行ってやるから、ワシに任せておけ」
行きと同じ様に3人で手を繋いで歩いているが、チサの機嫌はとても良い。せっかく離れた王都に出向くのは面倒だが、今日の報告を受けた研究所の連中が大騒ぎしている姿を想像して、楽しくなっているからだ。彼らが長年研究を続けてきて辿り着けなかった場所に、自分たちが到達したのは実に爽快な気分だった。
「ワシも王都には行った事はないが、研究所ってのはどこにあるんだ?」
「研究所は大きな敷地を持っておってな、魔操組合本部はその敷地の端にあるんじゃ」
「魔操組合は、研究所の一部門みたいなものなのか?」
「研究所の方が昔からあるせいで、奴らはそう思っとるようじゃが、実際は別の組織じゃよ」
「もしかして魔操組合と研究所って仲が悪かったりするの?」
「別にそんな事はないんじゃが、人数が多いぶん発言力は多少強いかの」
「俺たちが出向かないといけない理由もその辺か……」
「まぁ渡航費用は奴らが出すんじゃ、観光ついでに王都へ乗り込んでやる程度の心構えで良いじゃろう」
チサの軽いノリのお陰で、善司もリリも王都へ行く不安や、面倒な気持ちが和らいでくる。いつ呼び出されても慌てないよう、プレゼン用の資料作りや業務器用の記述をもう少し勉強しておこう。
そして細かい調整を繰り返している音響武器の方も、なんとか完成の目処がついてきている。こちらも手を抜かずに、やらないといけない事を一つ一つ確実にこなしていけばいいだろう。テスト用の魔操器づくりに忙しいリリや、それに使う見本の作成を担当するチサの負担を減らせるよう、善司は気合を入れ直した。
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翌日の始業前、支部長の執務室に女性職員が集まっている。役員用の重厚な机の上にはリリの試作したドライヤーが2台並べられており、椅子に座った支部長の前に寮住まいの職員が並んでいる。その顔は全員真剣なもので、新しい魔操器の試用に本気で取り組んでいた事がわかる。一体どんな評価を得られたのか、支部長は緊張しながら職員たちに問いかけた。
「温風で濡れた髪を乾かすという、これまでに無い魔操器だが、実際に使ってみた感想はどうだったかね?」
「まずは私からお伝えします」
代表して一番年長の職員が、最初に口を開いた。彼女の髪は背中の真ん中ほどまであり、いつもは髪をアップにして後ろでまとめているが、今日はサイドで軽く結び手前の方に流している。
「いつもと髪型を変えているようだが、その理由を聞かせてもらっても構わないかな」
「もちろんです支部長、私の髪は丁寧に乾かしてもいつも変な癖がつくので後ろで編み上げていましたが、今日はその必要が無いので変えてみました」
「それは魔操器で乾かしたお陰だと言うんだね」
「これは素晴らしい魔操器です、ここに居る全員が身をもってそれを体験しました」
その言葉で部屋に居た全員が一斉に力強く頷き、その迫力に支部長は圧倒される。
「あの魔操器はいつ承認が降りるのでしょうか?」
「発売はいつ頃からになりますか?」
「予約はできないのでしょうか?」
「女性の職人が開発したと言われてましたが、私たちの立場に立った素晴らしい魔操器です!」
「これは男性が使っても効果があると思いますよ」
「きっ、君達、少し落ち着きたまえ」
全員が机を取り囲むように詰め寄って来るので、支部長が慌ててその勢いを制止する。まさか一度使っただけで、全員が高評価を下すとは思わなかったが、間違いなく人々の生活に良い影響をもたらす魔操器だと確信できる。
裁縫の魔操器は、所帯の多い富裕層や施設を中心に普及しだしており、使用人や運営者に好評だと聞いている。一部の工房では業務用の大型機を何台か停止させ、手軽で扱いやすい新しい魔操器に入れ替えてしまっているという話も聞いた。一般家庭で使われるようになるには、もう少し時間がかかるかもしれないが、今度の魔操器は一気に広まるだろう。
構造も簡単で、使っている魔操核も一番安価な、赤に限定された設計になっている。それが魔法を二つ同時に発動できるのは驚くべき事実だが、仕様書を見た限り製作難易度も高くないので、量産できる工房も多いだろう。口々に魔操器のすばらしさを語る職員の声を聞きながら、以前感じた予感が現実のものになろうとしていると実感した。