第76話 ドライヤー効果
脱衣場の椅子に、リリは緊張した面持ちで腰を下ろしている。揃えた膝の上に手を置き、背筋をピンと伸ばして未知の感覚に身構える。善司が後ろからゆっくり近づくと、ソレにそっと触れた。
「あっ……」
その瞬間、リリの体は電気が走ったように震え、善司が手にしたソレもヒクヒクとうごめく。
「まだ始めてないのに、そんなに緊張しないでくれ」
「だって、こんな事してもらうのボク初めてだから……」
「リリだって今日の帰り道、ずっと楽しみにしてたじゃないか」
「そうなんだけど、ここでやるって思ってなかったんだもん」
「ベッドを濡らす訳にはいかないから仕方ないだろ?」
「それはわかるんだけどぉ……」
「ほれ、諦めてゼンジにその身を委ねるんじゃ」
「普通にやっても気持ちいいのに、そんなものでされたらボク、感じすぎて座ってられなくなりそうだよ」
「最初は軽くやってみるから、心配しなくても大丈夫だ」
善司は魔操器を起動させると、リリのしっぽに近づけていく。出口から吹き出す温風が当たると、生乾きの毛から水分を飛ばしていった。
「どうだ、熱くないか?」
「うん、風が少しくすぐったいけど平気」
「ある程度乾いたらブラシを入れていくからな」
「わかった」
水気を吸って重くなっていたしっぽが徐々に軽くなっていき、そのボリュームも増してきた。いつもは乾いたタオルで、少しずつ範囲をずらしながら丁寧に拭いていくが、今日はドライヤーで全体を一気に乾かしていく。緊張でこわばっていたリリの顔も、刺激に慣れてくるに従って、幸せそうな表情に変化していった。
「わたくし達の髪も簡単に乾いてしまいましたが、このドライヤーという魔操器は素晴らしいですわ」
「髪の毛を乾かすために手ぬぐいを一枚使っていましたけれど、洗濯物が減るのも良いですわね」
「乾いてくると髪の毛がブワーってなって面白かったね」
「イーちゃんが変な方向から風を当てるから、いつもと違う髪型になっちゃったよ」
「ブラシで梳いてあげるからこっちに来なさい、ロール」
「……髪の毛もいつもよりサラサラになって凄い」
「……指通りもなめらかで、自分の髪じゃないみたい」
「ワシもほれ、この通りじゃ」
シャンプーのCMに出てくる女性のように頭を回転させると、洗いたての赤くて細いストレートヘアがフワッと広がり、手で軽く流すと後ろで綺麗にまとまる。その様子を見た善司の頭の中には、有名なブランド名が鳴り響いていた。
ドライヤーは女性陣に大好評で、いつもより髪の毛がサラサラになって艶も増し、部屋の照明をきれいに反射している。リリはそのまま、しっぽの乾燥と軽いブラッシングをする事になり、こうして椅子に座ってもらっているのが今の状況だ。
手でほぐすようにしながら乾かしていき、ある程度乾いた所でブラシを使って毛を持ち上げながら、根本まで風を当てていく。少し癖がつくくらいに毛を立てたしっぽは、いつもより更にボリュームが増していた。
「十分乾いたから、続きはベッドでやろうか」
「ゼンジィー、おんぶしてぇー」
ずっと大人しいままだったので気づかなかったが、リリは既に歩けないほど腰が砕けていた。明日からはベッドの上にうつ伏せになってもらって乾かそう、リリを背中に乗せて運びながら善司はそう決意した。
◇◆◇
「しかし、この手触りは癖になりそうじゃ」
ベッドに戻ってからブラッシングで形を整えたリリのしっぽは、いつもより数割増しでフサフサになっていた。善司はひと仕事終えた満足感で、汗もかいていないのに額を腕でぬぐっている。
「ここまでフワフワだと、食べ物に見えてきそうだね
「うん、ちょっと美味しそう」
「食べちゃダメだよー」
ドライヤー乾燥後のブラッシングを堪能してから、善司に膝枕してもらいながら気持ち良さそうにうつ伏せになっているリリのしっぽをモフモフさせてもらったが、その極上の手触りは全員を虜にしてしまった。その柔らかさは綿菓子を彷彿とさせ、美味しそうという感想に善司も同意していた。
「……抱きしめて眠ってみたい」
「……フワフワの枕もいいかも」
「この柔らかさは、どんな高級寝具も敵いませんわね」
「体全体を、この柔らかさに包まれてみたいですわ」
「しっぽ枕くらいならやってもいいよー」
善司に頭を撫でてもらいながら、気持ちよさそうに目を閉じているリリがそう言うと、みんなが順番にしっぽの上に頭を乗せて、うっとりとした顔でその感触を堪能している。見ているだけで気持ちが良さそうなので体験してみたくなるが、他の家族の前で女性のお尻に頭を乗せてうっとりとした表情を浮かべるのは、絵的に非常にまずい気がするので、一緒に寝る時にやらせてもらおうと我慢した。
「私もしっぽが欲しくなるわ……
そして、ゼンジさんに思いっきり愛してもらいたい」
以前ニーナとホーリも同じ事を言っていたが、ハルまでしっぽが欲しいと言い出してしまった。その姿を想像してみるが、とても素晴らしいものが脳内を駆け巡る。
「全員にしっぽがあってもいいな……」
つい口に出てしまったが、全員にしっぽがあっても問題ない、と言うよりむしろ大歓迎だ。ブラッシングに相当の時間がかかってしまうが、今の生活ならその位の時間捻出は可能だろう。
「ゼンジの変態性が振り切れてきたの」
「私たちにしっぽがあったら、どうなっちゃうだろう」
「きっとゼンジの近くに居るだけで左右に揺れちゃうね」
「……うん、それは絶対あると思う」
「……でも嬉しい気持ちを言葉にしなくてもわかってもらえるから、すごくいい」
「それは、わたくし達にもぴったりですわ」
「本気で欲しくなってしまいますわね」
「ゼンジさんの近くに居るだけで、しっぽが揺れすぎて疲れそうね」
「大丈夫だよハルー。
しっぽがいくら揺れても疲れた事なんて無いからー」
「ならワシは全力で揺らして、ゼンジの脇腹をくすぐり続けてやるから、覚悟しておくんじゃな」
「動けなくなるまでブラッシングして、そんな事は出来なくしてやる」
たった一つの魔操器でこれだけ盛り上がれるのが、この家族のいい所だ。脱衣場に複数台を設置すれば、こうした時間がもっと増やせるだろう。
「武器を作ろうと思ってたのに、ちょっと横道にそれちゃったねー」
「でも、すごく楽しいよ」
「ワシも新規開発で、これほど楽しめたのは初めてじゃ」
「商品化の許可が降りたら、五台くらい作って家に置いておこうねー」
その言葉で、全員が嬉しそうな顔になる。特に髪の長い女性にとっては、お風呂上がりの乾燥は切実な問題なので、この魔操器は大きく普及するはずだ。これまで、この世界には髪に風を当てて乾燥させるという概念が無かったので、それを啓蒙する第一歩は必要だが、一度その便利さが伝われば、後は口コミで広がっていくだろう。
まだまだこの世界で再現してみたい家電製品はあるが、まずは本来の目的である音響武器の方に本腰を入れようと、気持ちのスイッチを切り替える。そっちも今までにないものにして、魔物狩りをする人たちの怪我や事故を減らしていきたい。
―――――・―――――・―――――
翌日、お昼を少し過ぎた頃に、チサとリリがスノフの工房を訪ねてくる。今日はあらかじめ2人が来る事を伝えていたので、すぐ魔操板の焼き込み作業にかかってもらった。
風を出す筒の部分は髪の毛や異物を巻き込まないよう、後ろの方に網状のガードを付けてもらい、持ち手には温風と冷風と風量が四種類選べるように、スライド式の切り替えスイッチとして実装されていた。本体にはチーム名のロゴも刻まれていて、このまま最終製品として出せるクオリティーだ。
「さすがリリは仕事が速いし、うまく切り替えも実装してるな」
「どんなのが一番わかり易いか、みんなに相談しながら作ったんだよ」
「何せあの家にはこの魔操器が必要な者が多いんでな、使い手の意見を直接聞けるのが良いところじゃ」
「それを即座に形にして、印刷した魔操紙まで持ってくる、お前さんたちの行動力は驚きだ」
昨日は善司に敵わないと言っていたチサの入力速度も、実はかなり速い部類になる。比べる人物が間違っているだけで、長年仕事を続けてきただけあって、タッチタイピングもマスターしている。それに、魔操言語の構文が全て頭に入っているので、興が乗った時のコーディングスピードは、ノウハウが豊富なぶん善司よりも速い程だ。
焼き上がった魔操板をセットして、切り替えスイッチを強温風の位置で起動すると、昨日より強い風が筒の口から吹いてくる。吹き出す風の温度も、元の世界で使っていた製品と変わらない程の熱量だ。そのまま弱温風に切り替えると、温度の下がった弱い風が吹き出してきた。そして強送風や弱送風に切り替えると、熱を発生させる魔法が停止して、扇風機のような風を生み出す。
「風も強くなったし温度もちょうどいいし、これなら問題ないよ」
「じゃぁ、持ち帰ってみんなに使ってもらってから、魔操組合に持って行こうか」
「明日は全員で魔操組合にいくとするか、スノフ爺もかまわんか?」
「いつでも行けるように仕事の調整はしとるから問題ないぞ」
「魔操核の事も説明しないといけないだろうし、ちょっと時間がかかりそうだな」
「四つの魔法を同時に発動する魔操器は、もうちょっとだけ待ってね」
「試験用の魔操紙の印刷もまだ出来とらんしな」
「その辺は本部の技術者も交えて詳細な説明を求められるだろうから、それまでに準備すれば十分だろ」
スノフの言葉通り、魔操核の常識が覆される事実が明らかになる今回の発表は、支部内だけで対応できないだろう事が予想できる。下手をすると、3人で王都まで行って説明しなければいけないかもしれない。チサは元々王都で活動していたので、もしそうなっても不安はないが、少し面倒な事になりそうだと善司は心配していた。
チサの動きは、海外の男性用シャンプーDove Men+CareのCMで有名になった動画の、あれっぽいイメージです(笑)