第75話 新しい扉
そろそろ夕方に差し掛かる頃、スノフの工房にチサとリリが訪ねてきた。リリが小さなバッグを持っているという事は、ドライヤーを動かす見本が出来上がったんだろう。昨日のお風呂でも、いつ試作品が出来上がるか話題になっていたので、今日の夜に間に合うように仕上げてきたようだ。
「スノフ爺、邪魔するぞ」「お邪魔します」
「おう、よう来たの2人とも」
「試作品が出来上がったのか?」
「みんな期待してくれてるから、急いで仕上げてきたんだよ」
「スノフ爺、いま時間は大丈夫か?」
「在庫の整理をしとるだけだから大丈夫だが、魔操板を焼きに来たのか?」
「在庫の整理はワシらでやっておくから、こいつを焼いて欲しいんじゃ」
チサが自宅で印刷してきた魔操紙を手渡すと、それを読んでいたスノフの顔が徐々に難しいものに変わっていく。善司の開発した双子でも使えるようになる信号処理と、魔法の同時発動という業務器用の特殊な記述が混在しているので、その様な表情になるのも無理のない事だ。
「確かお前さんたちは遠隔攻撃用の武器を作っとったはずだが、こんな特殊な書き方をせんといかんものなのか?」
「これは昨日焼いてもらった魔操板の実験がうまく行ったから、実用的な魔操器に応用してみてるんだよ」
「業務器用の見本はワシにはさっぱり読めんから言われるままに焼いたが、今度は何をしでかすつもりだ」
「なんじゃゼンジ、スノフ爺には詳しい事を話しとらんかったのか」
「いつも帰る前に雑談をするから、その時話そうと思ってたんだ」
「なら焼き上がってからのお楽しみじゃな」
ニッコリ笑うチサに急かされたスノフは魔操板の焼き込みに取り掛かり、残った3人は在庫の整理を開始する。しばらくして焼き上がった魔操板を、リリの試作した魔操器にセットしてスイッチに触れると、筒の先から温かい空気が勢いよく吹き始めた。
「温かい風が流れる魔操器って、お前さんたちはまた業務器の小型化に挑戦しとるのか?」
「いや、これは一般家庭で使える商品だよ」
「この大きさの魔操器に二つの魔操核を実装する技術力は凄いが、これだと製作難易度が高すぎるし、原価も相当かかるだろ」
「これは民生器を作るのとほとんど同じ難易度だよ」
「魔操核も赤を一つだけじゃしな」
スノフが訝しげに試作品を見つめるので、一度動作を止めてリリが外装を外してくれる。そこには赤の魔操核が一つと、バッテリーになる魔操玉が一つ、それに魔操板を入れるスロットが存在するだけだ。
「魔操核が一つということは、裁縫の魔操器みたいに二つの魔法を交互に間欠発動しとるわけか」
「さすがに風の魔法はその方法じゃと、内部で気流が乱れて吹き出す勢いが殺されてしまうから無理なんじゃ」
「この魔操器は業務用で使う信号の分配だけを応用して、二つの魔法を同時に連続して発動してるんだよ」
「攻撃に使うほど規模を上げんでも構わんから、魔操玉で動かしても連続可動が出来るすぐれものじゃぞ」
「こいつはまた、とんでもない物を作りおったな」
「スノフさん、意外と驚かないんだな」
「お前さんたちの非常識っぷりはわかってきたからな、妙な魔操板を焼いとるから何かしでかすと思って、心構えが出来とっただけだ」
そうして、魔操核の処理速度や演算部分が二個、あるいは四個ある事を説明していく。いくら心構えが出来ていたとは言え、今までの常識を覆すその事実にスノフも自分の耳を疑ったが、実際に動作する魔操器が目の前にあるので、受け入れるしか無かった。
当然それを発見した理由を聞かれたので、善司も自分の素性をスノフに話す事にした。これまで家族しか知らなかった事実だが、スノフなら吹聴する心配はないし、善司も全幅の信頼が置けると思っている。
「これまで色々な事があったが、それがすべて吹っ飛ぶような事実だな」
「一緒に住む家族には話してたんだけど、黙ってて悪かった」
「バカの事を気にするな、お前さんと一緒に暮らすほど相性のいい相手ならともかく、ワシなどに軽々しく話す方が信用ならんわ」
「俺はスノフさんの事をとても良い雇い主だと思ってるし、いつか打ち明けようと考えてたから、話してしまえて気持ちが楽になったよ」
「ワシもお前さんの事はますます気に入った、もう二百年前に会っとったら、今とは違う道を歩んどったかもしれんと感じる位だ」
「じゃが、今こうして魔操業界に身を置いておるから、この時代が訪れたんじゃ。
魔操器の歴史が変わる瞬間に立ち会ったからには、スノフ爺も巻き込んでやるから覚悟しておくんじゃな」
「ワシから見れば、まだまだヒヨコ同然のお前さん達に置いて行かれるほど、耄碌した覚えはないわ!」
そう言って笑うスノフの顔は、とても楽しそうだ。
実際、善司を雇ってからは、実に有意義な時間を過ごしている。
それにこうしてチサと接する時間が増えたのも、スノフにとっては喜ばしい事だ。嫁ももらわず子供も居なかったため、この街で知り合った同じ血を持つチサを、孫の様に思っていた。それでもお互いに遠慮してしまう事が多く、すれ違ったまま疎遠になって別々の街で暮らしていたが、善司のおかげで再び縁を紡ぐ事が出来ている。
寿命が長いというのは決して良い面ばかりではなく、必ず諦めや無関心・無感動といった弊害が発生してしまう。自分自身もそうだったが、特にチサは競争相手や理解者に恵まれず、そういった傾向が強かったのでずっと心配していた。しかし、今のこの表情を見ると、そんな感情とは無縁というのが良くわかる。
スノフ自身も忘れかけていた高揚感を思い出し、若返ったとすら感じる不思議な気分だった。それは間違いなく異世界から来たというこの男の影響で、ずいぶん長い時間おもてに出てくる事が無くなっていた感情を呼び起こされて興奮していた。
◇◆◇
起動テストだけやったドライヤーを再度立ち上げ、全員で風量や温度をチェックする。風の吹き出し音はするが、ファンが無いため風切り音は発生せずに実に静かだ。風量もそれなりにあり、温度も元の世界の製品と遜色ない程度ある。
「風速も温度もまだまだ上げられるが、どうじゃゼンジ?」
「欲を言えば、もっと風は強い方がいいかな。
温度はあまり熱すぎると髪を痛めるから、これ位でいいと思う」
「風を強くしたら温度も下がるから、両方とも少し上げた方がいいね」
「後は今より少し強い風速を“強”にして、温度と風速を少し下げた“弱”の二段切り替えがあればいいかな。
ちょっと面倒になるかもしれないけど、両方の風速で温風を切る機能は欲しい」
「その辺りの実装や調整なら造作も無い、ワシに任せておけ」
「初回でここまで思った通りの設定ができるチサは、やっぱり凄いな」
「これが経験の差ってやつじゃよ。
ほれ、褒めるなら頭を撫でんか」
自分の方に近寄ってきたチサの頭を撫でると、嬉しそうに微笑みながら見上げてくる。
「切り替えを作るのは難しくないから、すぐ出来るよ」
「その辺りは、みんなに使ってもらいながら、使いやすい配置や形状を考えようか」
「うん! 裁縫の魔操器みたいに、最高の子供にしようね」
リリも近くに寄ってきて頭を差し出してきたので、優しく撫でてあげる。就業時間中の職場で少しイチャイチャしすぎだが、スノフもこちらを嬉しそうに眺めているので、今日の所は勘弁してもらおう。
「こうして見ておっても、今までの常識を根底から覆す偉業をなす連中とは思えんな」
「革命を起こそうとか功績を残そうとか、そんな大それた事を俺は考えてないよ。
単に便利な生活をしたいだけだから、それに必要な技術をこの世界で再現しようとしてるだけだ」
「ボクもみんなが便利に生活できる魔操器を生み出すのが大好きだから、ゼンジの考えはすごく良くわかるよ」
「安心や安全、そして便利で暮らしやすい環境を作るのは、魔操器の使命じゃからな。
この先の発展を考えると、期待が膨らむ一方じゃ」
4人で在庫整理を終わらせたので時間に余裕があり、微調整をした魔操板を焼いていけとスノフが提案し、善司の入力で魔操紙の印刷を始めた。チサが定位置とばかりに膝の上に座り、余分に印刷した魔操紙を渡して、細かい説明を伝えながら入力していく。隣りに座ったリリも善司の手元をじっと見つめているが、期待を隠しきれずにしっぽが左右に動きっぱなしだ。
「やはり入力速度はゼンジに敵わんな」
「仕事で同じ事ばかり続けてるから、どんな見本でもそれなりの速度で印刷できるようになったよ」
「こうして話をしても、指の動きがほとんど変化しないのが凄いよね」
「慣れた見本だと、ワシの確認作業が追いつかんくらい速いぞ」
「こうして真剣に取り組んどる姿は、昨夜の甘えまくっとった人物と同一には見えんの」
「あれ、すごく落ち着けたから、毎日でもやって欲しいくらいだ」
「ボクもブラッシングの時にまたやってね」
「一体チサ坊に何をやってもらっとるんだ?」
「昨日は家族全員がチサに膝枕してもらった」
「お風呂ではゼンジが背中を洗ってもらったり、ボクも頭と背中としっぽを洗ってもらったよ」
スノフが探るように3人を見たが、誰も慌てたり否定しないので、チサが納得してそういった行為に及んだ事がわかる。
「普段あれこれ要求してこんニーナとホーリに言われたら、ワシとて断れんから膝枕をやってみたが、まさか全員にやるハメになるとは思わなんだ」
「ボクはまた膝枕してもらえて、すごく嬉しかったよ」
「皆に好評じゃったが、何がそんなに気持ちいいのか、ワシにはさっぱりわからん」
「ちょうど良い高さと、小さいけど温かい手かなぁ……」
本人が言っていた通り小柄な体格なので、柔らかさという点では今一歩だが、それを補って余りある安心感を与えてくれた。リリの膝枕もそうだったが、恐らく2人に濃く流れている古い血がそうさせるんだろう。
「チサ坊に甘えられる、お前さんたちの豪胆さは凄いな」
「風呂を上がってから寝るまでの時間は、全員がゼンジの部屋で過ごすんじゃから、少々甘えられる程度で機嫌を損ねたりはせんよ」
「ワシの知らんチサ坊の姿が、どんどん明らかになっていくな」
「但し、ゼンジは一度甘えだすと際限が無さ過ぎじゃから、膝枕は一緒に寝るとき限定じゃ!」
「そんな寂しい事を言わないでくれよ……」
ちょっとしょんぼりとしてしまった善司の頭を、隣りに座っていたリリが慰めるように撫でている。その温もりを感じた善司は、入力スピードを落とさずに魔操紙の印刷を進めていく。
「膝枕をしたくないとは言っとらん、少し自重しろと言っとるだけじゃ」
「わかった、善処するよ」
「煮え切らん答えじゃのぉ……」
途端に機嫌が良くなり、更に入力スピードを上げる姿を見て、チサは善司の膝の上でそっとため息をつく。今まで誰かに甘えられた経験がないので、どう接してやればいいか戸惑うが、決して嫌なわけではない。年齢は自分の方が遥かに上とはいえ、大人の姿をした者たちに甘えられると、母性本能のようなものを刺激される。
「やっぱりチサとゼンジって、すごく相性が良いよね」
「お前さんたち、もう結婚したらどうだ?」
「こやつの毒牙にかかったら、ワシの体が持たんわ!」
「以前はそんな気持ちになれないと思ってたけど、最近よくわからなくなってきたよ」
「ゼンジの変態性が更に悪化しとる……」
善司の新たな扉は、徐々に開きかけていた――