第73話 思いつき
パラメトリック・スピーカーの原理を興味本位で調べた頃の記憶を発掘しながら、どういった補正をかければ効果的に歪を抑えられるか考えたが、魔法が存在する世界だと物理法則が地球と同一かわからないし、気圧や大気の構成成分も同じか不明なので、まずは大きく変化させたパターンを何種類か試す事にする。
幸いな事にリリの聴覚が非常に繊細で、微妙な違いを聞き分けてくれるので、それを参考にしながら細かな調整を進めていくことにした。振動剣でなく音を選んだ理由も、自分の特技をより活かせる分野だったからだ。
チサの方も音響武器で使う見本の制作を手伝いながら、2つの魔法を同時に発動する見本を、善司にレクチャーしながら組み上げている。信号処理に関する知識を、どんどん自分のものにしていっているチサと、2つの魔操核を同時制御する業務用機器の技術を、乾いた砂が水を吸うように吸収していく善司。そして2人の持つ最適化や効率化の知識が融合する事で、魔操言語を取り巻く環境が一気に進化していた。
「今日はこれくらいにしておこうか」
「そうじゃな、じき飯の時間になるしの」
善司は椅子に座った状態で腕を上にあげて軽く伸びをして、そのまま膝の上に座っているチサの頭を撫で始める。
「ゼンジは本当にワシの頭を撫でるのが好きじゃな、飽きたりせんのか?」
「なんか目の前にあると、つい手が出てしまうんだよなぁ……」
「ワシ以外の頭もよく撫でとるが、もはや条件反射じゃな」
「家族の中ではチサの頭が一番撫でやすいかな」
「やれやれ……とんでもない男に気に入られてしもうたが、徐々にこの状況に慣れていっとるワシ自身が怖いわ」
善司の寝室にある机に座って見本を書く時は、必ずこうして膝の上に座って作業をしている。ちょうど良い高さになるのはもちろんだが、アイデアも浮かびやすく不思議と落ち着けるからだ。特にお酒を飲んで別人格とも言える状態になった姿を受け入れてもらえてから、年下に甘える照れや後ろめたさが無くなり、状況を楽しむ余裕すら生まれている。
百年以上生きてきて、お酒を飲んだ機会は一度や二度ではないが、あんな状態に陥ったのは初めてだった。楽しい時間だったので多少深酒してしまった自覚はあるが、あんな醜態を晒す事になるとは予想していなかった。ただ、今となっては後悔はしていないし、また同じ姿を見られても構わないと思っている。
「しかし、チサも信号処理に関しては、かなりの水準に達してると思うぞ」
「それはゼンジとて同じじゃ、教えてもおらん事まで次々理解していくではないか」
「不思議とある程度聞いたら、他の処理での応用が想像できるんだよ、きっとチサの教え方が上手いお陰だ」
「それだけではない気がするんじゃが、ゼンジには教えがいがあるから楽しいのは確かじゃ」
「俺も誰かに自分の知識を伝えるのが、こんなに面白いとは思ってなかった」
善司が魔操言語の新しい知識を次々と吸収できるのは、この世界に飛ばされた時に身に着けた、言語解析スキルの助けを借りているからだ。業務器の見本といっても、0~9~Fの様に数字の羅列で記載されている訳でなく、ニーモニックで書いているようなものなので、読み解く糸口を丁寧に教えてもらえばスキル効果が上乗せされる。
それに善司も、チサの柔軟な思考には舌を巻いた。この世界の常識だった豪華で複雑な見本の書き方をあっさり捨てて、シンプルでわかりやすいコーディング方法に乗り換えてしまった。誰も真似や修正ができない、高度で複雑な見本を作るのがチサの持ち味だったが、そんなものに頼るより異世界の知識を取り入れた記述法で、更に高みを目指すと決めたからだ。
善司もこれまで仕事で助っ人を請われ、より確実な方法や効率的な処理を伝授する事もあった。それにオープンソースコミュニティや、そのリポジトリサイトで開発者同士の意見交換をした経験はあるが、たとえ同じ目標があったとしても、それぞれのスタイルやポリシーの違いから分裂する事も多かった。
しかし、チサとはこれまでぶつかる事があっても必ずお互いに納得ができて、更により良い方法に結びついている。これだけ相性のいい開発者は、仕事でも趣味でも遭遇した事が無く、開発を進めていくうちに、ますますその存在に惹かれていく善司だった。
◇◆◇
いつもの様に全員でお風呂に入り、仲良く温まった後に善司の部屋に集合して、スキンシップをしながらゆったりとした時間を過ごす。すっかりこの家の日常になってしまったが、特にお風呂とこの時間は家族全員が等しく愛してもらっていると感じられる瞬間なので、欠かせない習慣になっていた。
とりわけリリはブラッシングという至福のひと時を過ごせるようになり、しっぽの毛を丁寧に梳いてもらいながらハルやチサや妹たちに甘え、頭や耳を撫でてもらったり膝枕してもらったり、これまで出来なかった事を思う存分堪能している。
「ゼンジたちが今やってるのってどんな感じ?」
「うまく行きそう?」
「音を使った武器の方は、やっと手がかりが見えてきたって所かな」
「魔法の同時発動の見本はゼンジに教えながらじゃったから時間がかかったが、今日完成しておるぞ」
「魔操器も明日のうちにー、仮組みが出来るからねー」
今日はチサに膝枕してもらいながらブラッシングを受けているリリが、少し間延びした喋り方で移動と風の魔法を組み合わせた魔操器の開発状況を答える。
「魔操核の性能を測る魔操板も明日には焼けるから、試すのが楽しみだな」
「……一度に色々な事をやってすごいですね」
「……私たちだと混乱して間違えそう」
「同時に進めとる訳ではないから大丈夫じゃ」
「ひとつの事に集中したほうが効率は良いんだろうけど、やりたい事が一度に出来てしまったから、区切りを決めて進めていってるんだ」
善司とチサで教え合ったり議論しながら開発を進めているので少し時間がかかっているが、それぞれ自分の仕事を終わらせた後にやっているとは思えない程のスピードで完成している。それは2人とも魔操言語の構文が、全て頭に入っているからだ。
「そう言えば見本を焼く魔操器は、俺たちの家かリリの工房に設置できないのか?」
「魔操鍵盤はチサさんが持ってますから、そっちもあると便利になりそうね」
「あれを設置するには、魔操紙工房として登録せねばならんのじゃ」
「ボクの工房に置くのは可能なんだけどー、それをやっちゃうと一定数の魔操板を生産し続けないとダメなんだー」
「その魔操器を遊ばせておく訳にはいかないということですわね」
「ゼンジさんは独立される気はないのですよね」
「今の職場を辞めるのは考えてないなぁ……
開発も印刷もどっちも楽しいし、スノフさんとはこれからも一緒にやっていきたいからな」
「スノフ爺もゼンジの事は気に入っとるからの。
あやつも精霊の血がかなり濃いんじゃが、古い血に好かれる体質でも持っとるのか、全く油断ならんやつじゃなこの変態は」
自分の膝の上でダレきっているリリの耳を、つんつん突きながら話すチサの顔は少し楽しそうだ。むずがる程のくすぐったさは無いが、その刺激に反応してしっぽにも力が入り、ブラッシング中の善司にもそれが伝わっている。
「ボクも出会ってすぐに耳を見られてー、撫でてもらったりしっぽを触ってもらったけどー、全然嫌じゃなかったんだー」
「私たちも初めて森で会った時から、ゼンジの事は信用できたんだよ」
「ゼンジならお母さんの事を何とかしれくれそうな、不思議な予感みたいなものがあったね」
「私は最初、かなり警戒してしまったわ」
「ハルは子供たちを守らないといけないという使命感や、双子の母親って負い目もあっただろうから仕方ないよ」
「最初はお互いの距離感を図りながらって感じでしたね」
「俺もそれまでの経験に囚われすぎて壁を作ってたから反省してるよ」
「でも噂や世間の目に流されず、自分の信念を貫いてくれたから大好きになったんです」
ベッドの端の方に腰掛けて会話に参加していたハルが、嬉しそうに善司の近くに来てブラッシングの妨げにならないように寄り添いながら微笑む。背中に張り付いていたイールとロールも、そんな母の姿を嬉しそうに見つめていた。
「……ゼンジさんが元いた世界で、辛い体験をされた事は聞いてましたが、何が原因だったんでしょう」
「……こんなに温かい家庭を作ってますし、ゼンジさんに足りない部分があったとは思えないんですが」
「この世界に来て気づいたんだけど、俺には積極性が足りなかったんじゃないかと思ってる」
「ワシに対しては積極的すぎる気がするがのぉ……」
「ボクにはもっとー、やってみたい事を言ってくれていいからねー」
「わたくし達は殿方とお付き合いするのは初めてですけれど、ゼンジさんの全てを受け止めたいと思っていますの」
「気を使っていただいているのは嬉しいのですけれど、もっとご自分に素直になっても構わないですわ」
「みんなありがとう、俺には勿体ないくらいの言葉をもらえて嬉しいよ」
今となっては何が原因で女性と辛い別れを繰り返していたのかわからないが、こうして家族も増えて全員が仲良く笑っている姿を見ると、そんな事はどうでも良くなってくる。
液体になりそうな程ブラシングを堪能して、チサの膝枕でゴロゴロしているリリの姿を見ながら、善司は今の家族に喜んでもらえそうな、地球にある電化製品を思い浮かべていた。
「もし赤の魔操核1つで魔法の同時発動が出来るとわかったら、リリに作ってもらいたい魔操器があるんだけど構わないか?」
「んー、どんなの?
小さいのだったらすぐ出来るよ」
「手で持って使える程度の大きさだし、構造が単純だから難易度は高くないと思う」
「もしかしてゼンジの世界にあった機械?」
「あぁ、そうだよ」
「それは面白そうじゃな、どんな機械なんじゃ?」
「短い筒に持ち手をつけて、風の魔法と熱を出す魔法を組み合わせて、温風を発生させたいんだ」
善司の作ろうとしているのはドライヤーだ、今は乾いたタオルでよく拭いて乾かしているが、髪の毛の長いチサやヘルカとトルカは特に時間がかかってしまう。それにリリのしっぽも毛の密度が結構あるので、ドライヤーを当てながらブラッシングすると、更にフサフサになるだろう。
「ゼンジさん、それは何に使うものなんですか?」
「髪の毛に温風を当てると早く乾くんだよ」
「それいいね、お風呂に入った後がすごく楽になる」
「髪の毛が早く乾いたら、こうしてベッドでくつろぐ時間も増えるね」
「それがあると、わたくし達もすごく助かりますわ」
「チサさんもそうですわね」
「昔は面倒じゃから縛ったまま寝ておったが、この家に来てからはしっかり乾かしとるし、そんな物があると便利じゃな」
「ボクのしっぽもすぐ乾くし、いいねそれ!」
「その魔操器を使いながらブラッシングすると、もっとフサフサになると思う」
それを聞いたリリは目を輝かせながら膝枕から起き上がり、善司に詳しい構造や仕組みを聞いていく。地球にあった一般的なドライヤーの形状や機能を、簡単なイラストにしながら伝えていき、風量や温度は実物を動かしながら調整していく事にする。
「……ゼンジさんの世界には、便利な物が多かったんですね」
「……温かい風で髪の毛を乾かすなんて、とても不思議な事に感じます」
「今まで魔法の同時発動には2つの魔操核が必要で、どうしても特殊用途に限られてたから、誰も思いつかなかったんだろうな」
「ゼンジと居ると、どんどん新しい事に挑戦できるから、すごく楽しいよ」
「これは明日の結果が楽しみじゃな」
この世界にある技術で再現されるドライヤーは、ファンが必要ないため動作音も静かで構造も簡単になる。試作品はすぐ作れるそうなので、善司も楽しみが増えてワクワクしていた。
今作品でも作ります、ドライヤー(笑)