第72話 魔操核の秘密
お酒を飲んでみんなの意外な姿を目の当たりにしてから数日たち、家族の絆がより一層深まっている。その理由はヘルカとトルカ、それからリリに善司がプロポーズして、妻として迎えた影響が大きい。あれだけ気持ちを伝えられ、中途半端な状態で待たせることは出来ないので、一緒のベッドで眠る日に男として責任を取る事に決めたからだ。
チサとの関係に大きな変化はないが、以前より距離はずいぶんと縮まった。更に気軽に何でも言い合えるようになって、膝の上に座ってくる機会も増えている。それに影響されたのか、一緒に寝る日には全員が膝の上に座ってくるようになった。最年長のハルも、後ろから抱きしめながら頭を撫でると嬉しそうに甘えてくるので、こんな時間を過ごすきっかけになったチサには感謝している。
この世界に来てから乗り物を使わず職場にも徒歩で通い、規則正しい生活を続けて食生活も改善した善司は、気力も体力も学生時代並みに充実して、心身ともに満ち足りた毎日を過ごしていた。
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リリが魔物狩りに出る家族のために開発している杖の試作品が完成し、リビングでその仕組みや必要な制御法を説明してもらえる事になった。棒の先に厚みのある円盤が立てた状態で取り付けられ、まだ魔操核なども剥き出しの状態になっていて、評価用のプロトタイプと呼ぶにふさわしい見た目だ。
持ち手の長さも短く取り回しもしやすそうだが、円盤の部分をハート型や星型にして、その周囲に羽根やリボンの装飾をあしらえば、アニメや漫画で出てくる変身魔法少女の持つ、ステッキみたいに見えるかもしれない。
「魔法の杖と言ってたけど、火とか水みたいな魔法が飛び出すのか?」
「まぁ、ゼンジがこの世界の魔物を倒す武器を知らんのは仕方ないじゃろうな……
魔物は特定の音や振動を与えると、自分の構成を維持できんようになって、その体が崩壊するんじゃ」
「これはそんな音を遠くに飛ばす杖なんだ」
「何かの物理的な魔法で攻撃するわけじゃないんだな」
「それでも倒せん訳ではないが、その手の魔法は森やダンジョンで使うには危険じゃから、使う奴はまずおらんの」
「確かに音や振動なら、火事になったり不必要に何かを壊す危険が減るし、扱いやすい攻撃方法だな」
「人にはただの雑音にしか聞こえん音じゃし、間違って誰かに発動しても驚かせるくらいで済むのが利点じゃ」
「振動剣でもいいんだけど、より安全に倒せるように遠距離武器を選んでみたんだ」
イールとロールは剣を使って物理的な攻撃をしていたが、効率的に致命傷を与える場合は、振動を発生させる魔操器で殴ったり斬りつけたりするのが一般的だ。剣や鈍器を使った斬撃や打撃だと手数も必要なため、中型や大型の魔物相手だと危険が大きすぎる。ハルが2人に小型の魔物だけ相手するように、きつく言い聞かせていたのはそれが理由だった。
「この杖の丸い部分に何個も並べてる部品から音が出るのか?」
「ここからすごく高い音を出すと、遠くまで届く事はわかってるんだけど、魔物に有効な波形をうまく作り出せないんだ……」
「拡声器で普通に音を流して魔物を倒す武器もあるにはあるんじゃが、有効範囲の短さと燃費の悪さが欠点なんじゃ。
それを解決する手法として研究はされとったんだが、まだ実用化されとらん」
杖の構造とリリの話を統合すると、小型の超音波発生装置を平面に複数並べて出力する、元いた世界で言うところのパラメトリック・スピーカーの原理と同じだった。アミューズメントパークで、待機列だけに音声が届くスピーカーがあって、不思議に思ってその技術を調べた事があったが、これには大きな欠点がある。
「魔物に有効な波形にならないのは、高い周波数の波が伝わる時に発生する音は、伝播する時の歪みを利用してるから、元の特性から変わってしまうのが原因だな」
「即座にその結論に行くつくとは、それも元の世界の知識か?」
「それと似た原理を使って、特定範囲にだけ音を届ける技術があったんだよ、それの問題点と一緒じゃないかと思ってな」
「なら、それをあらかじめ補正しておけば、目的の音が取り出せるわけじゃな」
「さすがチサだな、歪みを織り込んでおいた信号に振幅変調をかけて出力してやれば、望んだ波形が得られるはずだ」
「やっぱりゼンジもチサもすごいね、トライスターを結成して本当に良かった」
高度な測定機器が存在しない世界なので、歪み補正のパラメータをはじき出すのに試行錯誤は必要だが、頼りになる相棒も居るから不安はない。
「魔物に有効な波形が出ているかどうかって、やっぱり実際に倒してみるのか?」
「それはこの瓶に入ってる液体が波打つかどうかでわかるんだ」
リリが机の横に置いていた透明な薬瓶を見せてくれたが、中に入っている黒い液体は粘度が高いようで、瓶を傾けてもゆっくりとその形を変化させている。
「魔操板や魔操核が取り付けられてるし、この杖は今の状態でも動くんだよな?」
「うん、既存の魔操板だからこの液体は波打たないけどね」
「試しに動かしてみても構わないかな」
「いいけどちょっと待ってね」
リリは薬瓶を少し離れた場所に置いて、杖を構えた善司の後ろに移動する。
「もしかしてリリって、ものすごく高い音も聞こえたりするのか?」
「良くわかったねゼンジ。
はっきり聞こえるわけじゃないけど、なんかゾワゾワってするんだ」
「悪い影響は無いんだよな?」
「気分が悪くなったり頭が痛くなったりしないから大丈夫だよ」
獣人の血が流れてるので、可聴域も人間を超えてるのかと思ったが、予想通り超音波も感じ取れるようだ。
円形の部分を瓶に向けて、狙いを定めながら柄のスイッチを押してみると、赤い魔操核に光の筋が走るのが確認できた。こうして動いている所を初めて見たが、長細い双四角錐の魔操核は、下半分だけが光っている。
瓶の中の液体は微動だにしないので、やはり歪みが発生して魔物に有効な周波数になっていないのだろう。さすがに指向性の高い超音波を使っているだけあり、周囲に音漏れが発生しないのは素晴らしい。
「魔操核が動くのを見るのは初めてだけど、半分だけしか光らないんだな」
「ゼンジには魔操核がどう動くか見えとるのか?」
「どう動いてるかはわからないけど、起動したら下半分だけ光りだしたから、そんなものなのかとちょっと疑問に思っただけだ」
「普通はそんなのわからないんだけど、ゼンジにはどう見えてるの?」
「魔操核の下半分の中を、光の線が走ってるように見える」
それを聞いて、チサとリリは顔を見合わせた。今までも開発や製作で動いている魔操核は何度も見たが、善司の言ったような現象に遭遇した事はない。
「ゼンジがこの世界に来た時に言葉や文字がわかる能力を身につけとったが、魔操核の動きがわかる力も授かったのではないか?」
「それなら他の魔操核でも試してみようか、ちょっと待っててね」
リリは家を飛び出すと、隣の工房に置いてある魔操核を各種持ち帰ってきた。元から付いているのは小型の魔物から時々ドロップする一番安価な赤色の魔操核で、同じ小型魔物からごく稀にドロップする性能の高い黄色。中型魔物からはレアドロップの緑とスーパーレアの青、大型も同じ様に紫と黒だ。
それぞれの魔操核に入れ替えて起動してみたが、黄色は全体に光が走り、緑は下半分で青が全体、紫は下が四分の一だけ光り、黒は下半分だった。
「処理能力は赤が一番低くて、黒が一番高いんだよな?」
「その通りじゃよ」
「こんな魔操器だとわからないけど、複雑な計算や処理をするものだと、速度の差は歴然だよ」
「黄色は赤の倍くらいじゃな、緑は黄色の倍とはいかんが確実に速くなって、更に青で速度が上がる。紫は黄色の数倍速いし、黒に至っては紫より更に倍程度の処理能力を有しとるんじゃ」
「そんなに変わるなんて、ちょっと凄いな」
「ボクたち魔操器職人は開発に必要だから、こうして全種類の魔操核を組合から融通してもらえるけど、黒はかなりの貴重品だから、速度もそれに見合うくらい凄いよ」
「そこまで処理能力に差があったら、確かに貴重品扱いは当然だな……」
しかし善司は別の事を考えていた、それは元の世界にあったCPUでも色々な種類があり、高価で処理能力も高いがサイズが大きすぎてあまりコア数を増やせないもの、逆に処理能力は低いがサイズも小さく多数のコアを搭載して総合力で勝負するタイプなど、様々な用途に向けて売られていた。
もし魔操核にもそんな種類があるのだとしたら、黄色の半分の能力しか無い赤でも、2つの事を同時に処理できれば、上位の魔操核に迫る速度になるかもしれない。
「何か思いついたのか、ゼンジよ」
「もしかしたらなんだが、赤の魔操核は一個で2つの処理を同時に出来るんじゃないかと考えてる」
「なっ……そんな事はありえるのか!?」
「俺たちの世界にもこれとよく似た部品があって、1つの塊に見えても中は2個とか4個、多いものだと16個やそれ以上の同じ役割をする構成品の集合体で、その数の分だけ処理を同時に実行できたんだ」
「それと同じ様な構造になってると、ゼンジは思うわけじゃな」
「多分1つの処理しか動かしてないから、魔操核が半分だけ光るんだと思う。
そうなると、緑も2つ紫は4つ黒は2つの処理を同時に実行可能だ」
「もしゼンジの想像が当たってたら、凄い事になるよ!
赤の魔操核で2つの魔法が一度に使えたら、今まで作れなかった魔操器にも挑戦できる」
リリは嬉しそうにしっぽを振り、チサは難しそうな顔をして考え込んでいる。
「俺は計算をする魔操器を使って、それぞれの処理能力を計る見本を作ってみようと思う」
「計算器はボクの工房に置いてあるから、それを使ってくれたらいいよ」
「チサは2つの魔法を同時発動するような見本を作ってくれないか?」
「それは構わんが、試験する魔操器がないぞ」
「それならボクが作ってみるよ。
業務用の魔操器の作り方はちゃんと知ってるし、移動と風の組み合わせなら魔法を刻んだ部品の余りがあるから、すぐ出来るよ」
「なら音響武器の見本と並行して、こっちの検証も進めてみようか」
「なんかすごく楽しくなってきたね」
「全くじゃ、思いもよらん発見があったり、必要な魔操器が即座に手に入ったり、何でもありじゃな」
難しい顔をしていたチサも、善司の仮説をどう証明するか考えていたので、魔操器を提供してもらえる事になって、嬉しそうな表情に変化する。
そして、善司にとっても今後の見本作成に大きな影響を与える発見だった。マルチスレッドが使えるなら、元の世界で活用していた高速化手法が応用できるという事だ。魔操言語でスレッド間の通信や協調処理が出来るか不明だが、お互いに依存しない処理を同時に実行するなら問題ない。どんなケースでも完全並列とはいかない場合が大半だろうから、速度が2倍になるわけではないが、処理時間短縮に繋がる場面は多いだろう。
思わぬ気づきが今後の魔操業界に大きな変化をもたらすきっかけになり、後の時代に“三星の天啓”と呼ばれた夜だった。
マルチコア!
主人公の新たな能力が判明しました。
具体的な処理速度やコア数が判明するのは、日常回を1話挟んで74話になります。