第70話 酒宴
いつも誤字報告ありがとうございます。
ここから新章が始まります。
閑話的な回を2つ挟んで、主人公の新しいスキルが開眼しますので、ご期待下さい。
魔操組合で裁縫の魔操器のプレゼンテーションをしてから、七日というスピードで商品化の承認がおりた。これは専務が資料を本部に持ち帰り、手続きを一気に進めてくれたかららしい。
魔操器の審査を待っている間に隣の家の工事も終了し、愛用の道具や設備も全て新しい工房へ移転が完了したので、リリは家で使う分のミシンを一台作ってくれている。スノフの工房でも付属板の生産が始まり、まず最初に売り出されるものには、ここで作られた魔操板がセットで添付される。
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今日は帰りに魔操組合へ寄り、リリの作ったミシンを受け取りに行く。新しい魔操器を製造する場合、初期生産分は必ず魔操組合で検品を受けなければならず、それは開発者本人と言えども例外ではない。これは基準の品質を有する魔操器を作る技術があるかの判断するために必要な措置だそうだ。
当の本人は魔操器を作るために必要な材料の納品があり、それの整理に追われているのでこの場には居ない。しかし、お昼を過ぎてからチサがひょっこり現れて、工房にある古い見本を読み漁っている。
「ゼンジ、少し膝を貸してもらうぞ」
「印刷しながらで良いなら構わないぞ」
「それは問題ない」
近くに来たチサを抱き上げて膝に座らせるが、視界を遮られないので入力に影響はない。
「時々膝に座りに来るが、そんなに違うものか?」
「ワシも不思議なんじゃが、この姿勢で座っとると新しい発想が浮かびやすいんじゃよ」
「まぁチサの役に立ってるなら問題ないよ、俺もこうしてると落ち着くしな」
「知識や技術以外でもワシに貢献できるんじゃから、ゼンジにとっても喜ばしいことじゃろ?」
チサは膝の上で見本を広げながら考えに耽り、善司はいつものスピードで魔操紙の印刷を進めていく。そんな2人を見ているスノフは、チサの変わりように目を見張った。特にリリと3人で魔操器の開発を始めた頃からの変化が顕著だ、些細な事で激昂したり突っかかる姿が鳴りを潜め、感じる印象もぐっと落ち着いたものになっている。
「そう言えば今度チサに聞きたい事があるから、次の休みの日にでも教えてもらえるか?」
「前に言っとった魔法の同時発動じゃな」
「並列処理はちょっと興味があるんだよ」
「複数の魔操核を同時に扱う処理じゃから、滅多に目にする機会は無いがな」
「お前さんたち、今度は業務器でも作るつもりか?」
「次にリリに作ってもらうのは、対魔物用の杖だから、並列処理は関係ないんだ」
仕事で使う魔操玉を大量に欲しいリリがイールとロールに魔物狩りをお願いして、ヘルカとトルカも手伝ってくれる事になった。そして、安全確実に魔物を倒せるように、新しい武器の制作に取り組んでいる。この武器もリリがどんな工夫を凝らしてくれるか、善司もチサも楽しみにしていた。
「それとは別に、ワシが仕事の合間に長年取り組んどる構想を、ゼンジに手伝ってもらおうと思ってな」
「さっきから悩んどるのはそれか」
「ある程度形にならんと、ゼンジに伝えられんのじゃ」
「少しだけ見せてもらったけど、わからない事が多すぎてお手上げだった」
「特殊用途の魔操器は、一般の物と全く違う見本の組み方をするから仕方あるまい」
チサにそういった見本の一部を見せてもらったが、そこに書かれている記述様式は別のプログラム言語と言っていいほど違っていた。例えるなら低級言語と高級言語の違いと言い換えられる程だ。ハードウェアのより深い部分を直接制御するその記述方法は、善司にとっても非常に挑戦しがいのある分野なので、出来るだけ短時間で身に付けたいと思っている。
「早くチサの役に立てるように頑張るよ」
「その癖さえ直せば、この場所も快適なんじゃがのぉ……」
善司に頭を撫でられたチサは、しかめっ面をしながらもそれを受け入れている。以前のように暴れたり怒ったりしなくなったのは半分諦めもあるが、この時間が心地よく感じられるようになったからだ。こうされていると、リリがいつも嬉しそうにしっぽを振っている気持ちが、少しだけわかる気がした。
◇◆◇
仕事も終わり、善司とチサは手を繋ぎながら魔操組合へと向かっている。過去の見本を読み込んでいたチサだったが、新たな発想が舞い降りてきたらしく機嫌がいい。
「今日はどんな思いつきがあったんだ?」
「古い見本を読んでおるとダメな部分が目立つじゃろ?」
「あぁ、ここはこうすれば良いのにとか考えてしまうな」
「回りくどい書き方をしとる部分は、手続きが煩雑な特殊用途で使う記述の名残なんじゃよ」
「へー、そうだったのか」
魔操器の動きを厳格に決めて実行する特殊用途向けの記述は、どうしても細かい部分まで設定や管理しなくてはならず、単に計算をする場合でもタイミングを図る必要がある。そんな手法を一般の魔操器に持ち込んでも、それは速度を遅くするウェイトにしかならない。今の見本からはほぼ消えてしまったが、過去の見本にはそんな名残が残っているものがあった。
「じゃから、一般に使われる記述を特殊用途で使う様式に書き直すとどうなるか、そこからゼンジに教えてやろう」
「それはわかりやすくて良さそうだ、よろしく頼むよ」
「このチサ様に任せておけ」
「チサって教師も向いてるんじゃないか?
前も思ったけど、噛み砕いて説明するのがすごく上手いぞ」
「ゼンジほど柔軟な思考を持った者になら教えてやっても良いが、その辺に転がっとる開発者にいくら説いた所で時間の無駄じゃ」
それを聞いて、自分の事を特別視してくれる、この小さな先輩の期待に応えられるように頑張ろうと気合を入れ直す。チサと出会ってから、魔操言語の奥深さがどんどんわかってきた。知れば知るほど、最初に作った見本が大きく評価された事で得た自信が無くなってしまう程だ。しかしそんな自分を導いてくれる存在があるから、まだまだ前に進んでいける。
小さくて暖かい、でも大きな存在であるその手を握りながら、善司はチサにそっと感謝した。
◇◆◇
検品の終わった魔操器を引き取って家に帰ると、リビングに新しく設置した机の上に置き、ここでみんなに使ってもらえるようにする。
「リリお姉ちゃん、ありがとう」
「最新の魔操器がこの家にあるなんて、信じられないね」
「本当にもらってしまっていいの?」
「うん、ボクを家族にしてくれたお礼だから、遠慮なくもらってね」
「……試験で使ってたのより綺麗」
「……刻印も目立つようになってる」
「あれは何度も作り直してたから汚れたり継ぎ目が出来ちゃったけど、今度のは長く使ってもらえるように丁寧に仕上げたんだ」
「これがあれば簡単な服やカバンも作りやすいですわ」
「手縫いだと少し大変ですものね」
「色々なものを作ってみてね」
「ワシも魔操器を改良しながら開発というのは初めてじゃったから、こうして世に出るのは嬉しいもんじゃな」
「こうして自分たちの関わった物が形になるのは、やっぱり感動するな。
リリ、本当におめでとう」
「こうして売り出せる事になったのは、ゼンジとチサ、それから試験に付き合ってくれたみんなのお陰だよ。
ボクの方こそ本当にありがとう」
リリは花の咲くような笑顔を浮かべ、しっぽを大きく揺らして喜びを全身で表現する。
その後はいつもと違い、先にお風呂に入ってから夕食を食べる事にしていた。今日は新しい魔操器の発売記念に、ちょっとしたお祝いをする事になったからだ。ワインを開ける予定にしているので、飲酒後の入浴を避けるために順番を入れ替えている。
この世界に来てはじめてのアルコールなので、善司も少し楽しみにしている。おかずも軽くつまめるものを多めに作ってくれたので、お酒やジュースで乾杯して祝宴が開始された。
◇◆◇
「……ここまでカオスな状態になるとは思ってなかった」
善司は食堂の惨状を目の前にして、この祝宴を少しだけ後悔していた。
イールとロールは未成年なので、ジュースを飲んだだけで平常運転だが、ニーナとホーリはこの世界だと成人だからと、途中でチサが少しだけワインを飲ませていたが、一口飲むと顔を真っ赤にして眠ってしまった。善司が2人を寝室まで運ぶ事になったが、本気でチサを片手で持ち上げられるくらい鍛えようと思った。
「ゼンジさ~ん、うふふふふふ……
はい、あ~んして下さい」
「わかった……
あ~ん(ぱくり)」
「ゼンジさんはひな鳥みたいですごく可愛いです、うふふふふふ」
ハルは笑い上戸だった。それに、いつもの控えめな性格から、積極的にグイグイと押してくるタイプに変貌している。さっきからおかずを差し出しては、あ~んを要求してくる。
「お母さんのこんな姿、見るの初めてだよ」
「でも、すごく楽しそうだね」
娘たちも初めて見る母の姿に驚いていたが、とても幸せそうに笑いながら善司に餌を与える姿を見て、制止する事なく見守っている。
「ふふふ……次はこれをどうぞゼンジさん、あ~ん」
「そろそろお腹いっぱいになってきたんだが」
「だめですよゼンジさん、そんな事では大きくなれません。
はい、あ~ん……うふふふふふ」
ハルに自重を促してみたが聞き入れられず、善司は諦めて大きく口を開け、差し出されたおかずを食べるしかなかった。
◇◆◇
「ゼンジさん、そこに座ってくださいませ」
「わたくし達はあなたに言いたい事がございます」
「いや、もう座ってるんだが」
「口答えを許した覚えはございませんよ」
「あなたに許可された答えは、“ハイ”か“わかりました”だけですわ」
「……わかりました」
善司の前に来て、見下ろすように立っているヘルカとトルカには、何故か尋問をされている。口調はこんな感じだが2人は笑顔で話していて、逆にそのギャップが迫力を生んでいた。
「ゼンジさんはわたくし達の事を、どうお思いですか」
「正直に答えてくださいませ」
「2人はすごく綺麗だし魅力的な女性だと思うよ」
「ならどうして手を出してくださらないのですか」
「お風呂ではあれほど胸を凝視されてましたのに」
「そこまでじっくり見つめるような事はしてないと思うが……」
「そんな細かい事はどうでも良いのです」
「重要なのは、ゼンジさんがわたくし達に寵愛をくださらない事です」
「好みではないというのなら諦めますが、とても寂しいですわ」
「この世界で頼れる殿方は、ゼンジさんだけですのよ」
「ちゃんと2人の事も考えるし大切にするよ、寂しい思いをさせてごめんな」
善司は椅子から立ち上がると、寂しそうな表情になった2人を抱きしめて頭を撫でる。酔った上での話なのでどこまで本気かはわからないが、好意を寄せてもらってる事は普段の態度でもそれなりにわかっている。
妻にするのはちゃんとお互いの気持ちを確かめあってからにしたいが、向けられた愛情にはしっかり答えを返してあげたいと思う。
◇◆◇
「ゼンジ、ここに来て私の肩を揉みなさい」
「わかったよチサ」
「あら? 言葉遣いがなってないわよ。
“わかりました、チサ様”でしょ?」
「……わかりました、チサ様」
見た目幼女がワインを飲んでいる姿は背徳的だったが、それが吹き飛ぶくらい驚いたのはチサの変わりようだ。一人称が“ワシ”から“私”に変わり、“~じゃ”という口調も消え、小さな女王様のように変貌していた。チサの中に流れる精霊の血がそうさせているのかと思うくらいの別人格ぶりだった。
「さすが私の愛しいゼンジは、物分りが良いから大好きよ」
「ありがとうございます、チサ様」
チサは善司の顔を抱くように自分の方に寄せ、頬に軽く口付けをする。善司も少なくない量のアルコールが入っているので、特殊プレイみたいなこの状況を楽しんでいた。
「私の隣に立てる男はゼンジだけなのよ、光栄に思いなさい」
「嬉しいです、チサ様」
「それが理解できたのなら、私を抱きしめなさい」
「はい、チサ様」
「次は膝の上に乗せるのよ」
「はい、チサ様」
「そのまま頭を撫でなさい」
「はい、チサ様」
チサはここぞとばかりに善司に甘えていた。善司もこうして素直に甘えてもらえるのは嬉しいので、お姫様抱っこをしてみたり、忠誠を誓う騎士のように跪いて手の甲にキスしたり、ノリノリで普段できないことをやってみた。
◇◆◇
「うぅ~、ゼンジィ~、ボクを捨てないでぇ」
「大丈夫だよリリ、もう絶対に離さないからな」
善司はリリを抱きしめながら、そっと頭を撫でる。普段はそうされると嬉しそうに揺れるしっぽは、今は力なく萎れて垂れ下がっている。
リリは泣き上戸だった。かまってあげるとある程度回復して笑顔を取り戻すが、暫くすると不安になるのか泣きながら抱きついてくる。
「ゼンジはボクの耳をどう思う?」
「とても可愛いと思うし、ピクピク動く所が好きだよ」
「じゃぁしっぽは?」
「ふさふさで触り心地がよくて大好きだ」
「うわぁぁ~ん、嬉しいよぉゼンジィ……(はむはむ)」
先程から何度目かになる同じ質問の答えを聞いて、リリは嬉し泣きをしながら善司の肩を甘噛みする。別に痛くないし不快でもないが、寝る前に上着を着替えないといけないほど、リリから愛情を向けられていた。
何だかんだと言いつつ、久しぶりの飲酒はとっても楽しい時間になった。酔ったみんなの相手は大変だが、嫌な絡まれ方をしたり暴れたりしないので苦にはならない。たまにならこんな時間も良いかもしれないと思いながら、残ったワインを飲み干す善司だった。
主人公が魔操言語関連で自信消失したのは、いわゆる「ダニング・クルーガー効果(Dunning–Kruger effect)」というものが働いたからです(笑)
認知バイアスの一種ですが、この段階で諦めずに前に進むと、実力を大きく伸ばせる見込みが高くなります(エンジニアあるある)