第6話 求職
第2章の開始になります。
イールとロールは軽い足取りで森の中を移動していた。魔操作が出来ない2人は、魔物を倒す時も魔法でなく物理攻撃を使うため、大人と比べても見劣りしない程の体力や俊敏性を持っている。
そんな身体能力の高い2人が、今日は満面の笑みを浮かべながら、スキップをするように森の中を駆け回り、魔物を探していた。
これ程ご機嫌な理由は今朝の出来事だ――
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善司が目を覚ますと、イールとロールが眠る前より更に近づいて、抱きつくようにして眠っていた。横に目を向けるとハルはすでに起きていて、寄り添うように眠る3人を慈愛に満ちた目で見ている。まだ10代に見えるほどの容姿だが、その姿からは母性があふれていて、善司の心も落ち着かせてくれる。
「おはようございます、ハルさん」
「おはようございます、ゼンジさん。よく眠れましたか?」
「はい、初めての場所でしたがぐっすり眠れたのは、こうして2人が近くに居てくれたからかもしれません」
「2人ともすっかり甘えちゃって……
ゼンジさんは硬い床で眠られて、お体に不調はありませんか?」
「仕事で家に帰れなくて、よくこうして眠っていましたが、その時より快適な場所ですから、問題ないですよ」
「昨夜も少しだけお聞きしましたが、ゼンジさんは本当に過酷な労働をされていたんですね」
眠る前に2人で話した時にも話題に上ったが、この国には奴隷制度がある。奴隷には「一般奴隷」「愛玩奴隷」「労働奴隷」「犯罪奴隷」があり、普通の奴隷は売り手にも買い手にも義務や責任が発生するが、犯罪奴隷に人権は無く、鉱山などで寝泊まりさせられ外にも出してもらえずに、死ぬまで働かされる。
デスマーチ中の善司の生活は、まさにそんな身分の人間と大差なかった。それを聞いた彼は、改めて離職を決意して良かったと、心の中で思っていた。
そんな話をしていると、善司の腕の中に居た2人が身じろぎする。
「おはよう、イール、ロール」
「2人とも、おはよう、目が覚めたなら顔を洗ってきなさい」
「おはよー、ゼンジ、お母さん」
「まだちょっと眠いけど……おはよう、ゼンジ、お母さん」
「2人ともよく眠れたか?」
「うん、ゼンジの腕枕すごく気持ちよかった」
「毎日こうして眠りたい」
「そんなに気に入ったのなら、またしてあげるよ」
「えっ!? ゼンジはここに居てくれるの?」
「どっかに行ったりしない?」
「昨夜ハルさんと話をして、しばらくここでお世話になることに決めたから、よろしくな」
「やったー! ありがとうゼンジ」
「とっても嬉しいよ、ゼンジ!」
抱きついて胸に頬ずりをする2人と、それを両手で優しく抱きしめている善司の姿を、ハルは嬉しそうに見つめていた。
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「ゼンジとこれからも一緒なんて嬉しいねローちゃん」
「今夜も腕枕で寝るのが楽しみだねイーちゃん」
「今日はすごくよく眠れたよ」
「私もすごく安心できた」
2人は魔物を探しながら森を移動しているが、今日の話題は善司の事ばかりだ。
いつも母に寄り添う様にして寝ていたが、小さかった頃はともかく大きくなってからは、華奢で線の細い彼女に腕枕をお願いするのは躊躇われた。もっともっと甘えたい気持ちはあるが、体調を崩してからはそれも出来なくなり、寂しい思い募らせていた時に彼が現れた。
力仕事をしている人ほど体格は良くないとはいえ、自分たちより遥かに背が高く、体つきも全く違う善司の腕に抱かれて眠ると、全身を包み込んでくれるような安心感があった。
父の温もりを知らない2人にとっては、全てが新鮮で心地の良いものだった。
「お母さんとゼンジ、すごく仲が良くなってたね」
「ゼンジはお母さんと結婚してくれないのかなぁ」
「お母さんが元気になったら、妹か弟が欲しい」
「次も双子だといいね」
自分たちが眠った後にずっと話をしていたと言っていたが、朝になってからの2人の距離はずいぶん縮まっていた。それに、病気になってからはいつも申し訳無さそうな笑顔を浮かべていた母の顔が、今日はとても穏やかで明るいものに変わっていた。
病気が悪化し倒れてから半年くらい経つが、あんな母の顔を見るのはずいぶん久しぶりで、その事も2人の足取りを軽いものにしていた。昨日ちょっと長く話をしたせいか、今日は熱が少し高かったが、善司が近くで仕事を探すと言っていたし、街を離れて狩りをしていても安心できる。
「この先に魔物がいるね」
「行こう、イーちゃん」
少し先に小型の魔物を見つけ、2人で一気に走り寄って斬りつけると、いつもの小さな玉とは違い赤い双角錐の形をした石が落ちた。
「魔操核だよローちゃん!」
「ほんとだ! 初めて出たねイーちゃん」
「今日も美味しいものが食べられるね」
「お母さんの好きなものを買って帰ろうね」
2人が手を取り合って喜んでいるのも無理はない、魔操核は魔物が落とすレアドロップ品だ。魔操器を動かすコアとなる部分で、パソコンで言う所のCPUに相当する。
魔物の大きさによってその色は変化していき、赤は一番グレードが低く処理能力も高くないが、買取価格は通常ドロップ品の魔操玉とは比べ物にならない。
攻撃魔法を使えないため、森で小型の魔物を狩るしかない2人にとって、いま手に入れられる最高額のアイテムになる。小型の魔物はもう一つのレアアイテムである、黄色い魔操核を落とす事があるが、これは滅多に出ないスーパーレア級のアイテムなので、手にする可能性はかなり低いだろう。
思わぬ臨時収入で更に機嫌の良くなった2人は、森の中を元気に走っていった。
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森へ魔物狩りに行った2人を見送った後、善司も出かける準備をする。この世界で何が出来るかはまだわからないが、母娘の力になると決めたからには仕事を探さないといけない。
今日のハルは少し熱が高い、突然の訪問で無理をさせてしまったのだろうと、善司は責任を感じている。まずはこの病気を何とか治療する事を第一の目標にして、肉体労働でも何でもいいから実入りの多い仕事を探そうと決意していた。
「そろそろ出かけようと思います、ハルさんはゆっくり休んでいて下さい」
「私が少しでも街を案内できれば良かったのですが、本当に申し訳ありません」
「街は昨日、2人にも案内してもらっていますから、あとは歩きながら憶えますよ」
善司は桶に入った水で手ぬぐいを濡らし、それを固く絞ってハルの額に乗せながら答える。幸いこの世界にも仕事の紹介をしてくれる、職安のような組織があると教えてもらっているし、昨日行った店の親父や別の場所に飛び込みで聞いてもても良いだろう。
「まだこの世界に慣れていないでしょうから、あまり無理はしないで下さいね」
「はい、あなたや子供たちに心配をかけないように気をつけます」
不安そうに見つめるハルの頭を少しだけ撫でて、善司は立ち上がった。自分より年齢は上だが、年下に見えるその容姿のため思わずそうしてしまったが、嫌がっている様子は無くなでなでを受け入れてくれている。
「俺の帰りが遅くなるようでしたら、子供たちと先に食事はとっておいて下さい。
では行ってきます」
「行ってらっしゃい、ゼンジさん」
善司の出ていった扉を、ハルはじっと眺め続けている。10年以上辛い生活を続けてきたが、こんなに優しくしてもらい、気遣ってくれた人に出会ったのは初めてだ。それどころか、嫁ぎ先でも数人居た側室の1人という立場だったので、夫からも愛情はあまり感じられなかった。
出会ったばかりで、まだまだ彼の事は知らない部分が多いが、自分と娘を真っ直ぐに見てくれる存在と巡り会えて、胸の奥にこれまで感じた事のない暖かなものが生まれてくると同時に、発熱以外の熱さを顔に感じていた。
◇◆◇
家から出た善司は少し伸びをして、通りに向けて歩き出す。この家のある場所は路地の奥から、更に壁際に進んでいった場所で、日当たりも良くなく環境も悪い。
幸い地球にあるスラム街といった場所ではなく、ならず者や犯罪者がたむろしている訳でもない。そんな場所に女性が3人で暮らしていたら、今ごろ無事では済まないだろう。
しかし、安定した収入が得られるようになれば、まず引っ越しを考える様な立地だった。
通りに面した場所には集合住宅のような家や洒落た作りの店が並び、看板には意匠が施されていたり店名らしき文字が書いている。異世界の言葉が理解できると同時に、文字も読めるようになっていた善司は、それらを眺めながら道順を憶えていく。
「よう、兄さん! また珍しい物を持ってきてくれたのか?」
気がつくと昨日服を売ったお店の前に来ていた。店の親父はニコニコした顔で善司の方を見ていて、昨日買い取った異世界の衣服に、かなり満足しているようだ。
「こんにちは、今日は違うんだ。
実はこの町で仕事を探していて、今からギルドに行ってみようと思ってる」
「兄さんはどんな仕事を探してるんだ?」
「まだこの街に来たばかりで、何があるのかわからないけど、実入りの多い仕事がいいな」
「兄さんは、あの双子と違って魔操作は出来るんだよな?」
「俺の居た国にはそんな技術がなくて、出来るかどうかわからないんだよ」
「昨日買い取った服は寒い場所で使うものだったが、どんな田舎から出てきたんだ……
まぁいい、ちょっとこっちに来てこの魔操器を使ってみな」
親父に手招きされてカウンターの中に行くと、複数のボタンが並んだ機械を指さしていた。ボタンには数字と記号が刻まれていて、その上に数桁の数字が並んだドラムが付いている。
「これが魔操器?」
「ほんとに何も知らないんだな。
こいつは金の計算をしてくれる魔操器だ、そこの数字が書いている所を押してみな」
昨日はカウンター越しに取り引きをしたので気が付かなかったが、これで買取金額の計算をしていたようだ。
言われた通りに数字のボタンを押していくと、ドラムがクルクルと回転して入力した数字が表示される。その後に加算のボタンを押し、新たに数字の入力すると合計金額が計算された。表示方法はアナログだが、紛れもなく卓上計算機や、スーパーのレジと同じものだった。
「これは凄いな」
「こんなものどこの店にも置いてるぜ。
ともかく兄さんに魔操作が出来るのは間違いない」
ドアの開閉もそうだが、こうした身近な道具として魔操器が使われているなら、それを使えない双子がどこにも雇ってもらえないのは仕方のない事かもしれない。
「これが使えれば、どんな仕事でも出来るんだな?」
「あぁ、どこでも雇ってもらえるが、俺の知ってる所を紹介してやろうか?」
「どんな仕事か教えてもらえるか」
「魔操紙を印刷する工房なんだが、そこの爺さんが困っていてな、仕事をすればするだけ給料を出してくれるから、慣れてくれば実入りも多くなると思うぜ」
「魔操紙ってのはどんな物か俺は知らないが大丈夫か?」
「魔操器を動かすために必要なものなんだが、特別な技能は必要ないはずだから、詳しい事は爺さんに聞いてくれ」
「わかった、せっかくだし行ってみるよ」
「大通りのよろず屋から紹介を受けたといえば判るから、まぁ行ってみな」
工房のある場所を聞いて、店の親父に礼を言った後に通りを歩いていく。口調は乱暴だが、面倒見が良い親父だった。
魔操紙の印刷というのは、どんな仕事なのかわからないが、仕事をこなせばこなすだけ収入が上がるというのは魅力的だ。期待と不安を胸に抱きながら、曲がる角の目印になる店の看板を見つけ、善司は路地に入っていった。