第65話 対策会議
翌日、善司が職場で焼いてもらった魔操板を、リリの作った裁縫の魔操器にセットして起動してみる。
最小出力に絞られたパラメーターで、リムに刻まれた円状に動く移動魔法が発動し、スポークで繋がれた軸に伝わった力が回転運動を始める。
「やっぱりちょっと速すぎるねこれ」
「わたくしもお母様と一緒に同じ様な魔操器を使った事がありますけど、真っ直ぐ縫うのでしたらこれ位の速度でも大丈夫ですわ」
「曲がった部分や返し縫いの時に、この速度だと困りますわね」
「その魔操器だと、一番遅い速度はどれ位だったんだ?」
「そうですわね、これの半分以下でしょうか」
「かなりゆっくり動きますのよ」
半分以下の速度と聞いて、リリの表情が暗くなる。移動魔法の速度をこれ以上落とすと実用的な力が出ないし、リムの径を大きくすると安全基準を超えた出力になってしまう。何より、本体が大きくなってしまっては本末転倒だ。
「やっぱり制動装置をつけて無理やり遅くするか、歯車で調整するしか無いのかなぁ」
「制動装置で負荷をかけっぱなしにすると、発熱の問題も出てくるだろ?」
「歯車だと音が大きくなってしまうじゃろうな」
「この魔操器はすごく静かで驚きましたわ」
「それに振動がとても少ないですわね」
リリの開発した魔操器は、ダイレクトドライブにした事で騒音や振動も減り、摩擦損失で無駄になるエネルギーを抑えられるのも大きな利点だ。その特徴を活かした上で更に低速回転させるにはどうすれば良いか、ヘルカとトルカも参加して5人で頭をひねったが、食事の時間になっても解決策は見つけられないでいた。
◇◆◇
お風呂に時間になっても、リリの表情はいまいち晴れなかった。話しかけられた時の受け答えはいつも通りだが、大好きなお風呂に入ってお湯の中でも左右に揺れていたしっぽが、今日は元気がない。
「魔操器の開発って難しんだね」
「ゼンジはあまり残念そうな顔をしてないけど、何か解決策を思いつきそう?」
「チサさんも同じ感じですよね」
「挑戦には失敗がつきものじゃからな、こんな事で諦めるわけにはいかんと思っとるんじゃ」
「俺もチサと同意見だ、それに魔操言語でまだ出来る事があると思ってる」
「チサ……ゼンジ……そうだね、ボクもこれくらいで諦めたりしないよ!」
リリがお湯の中でガッツポーズを取ると、しっぽもその気持に合わせるように元気になる。今までの概念を打ち破る魔操器なのだから、魔操言語も固定観念に囚われたままではダメだ。
「……あの、ひと針ごとに動きを止めるとか出来ないんですか?」
「……それが出来るならゆっくり裁縫が出来ますよね」
「えっとね、物の動きには慣性力っていう、動き続けようとする力が働くんだ。
だからひと針ごとにぴったり止めるのは難しいんだよ」
「……そうなんですか」
「……やっぱり簡単には出来ないんですね」
その時、善司の中にひらめきが降りてきた。それはプログラム制御でLEDの明るさを変えたり、モーターの回転速度を変化させる、PWM(Pulse Width Modulation)だ。この技法を使えば、機器がオンになる信号を間欠的に送って、その幅や間隔を変化させる事で明るさやスピードを変える事が可能になる。
「なぁチサ、魔操言語で一定間隔ごとに処理させる事は可能だよな」
「あぁ、もちろんじゃ。
何十回、何百回に一度にせんといかん程、短い間隔なのが欠点じゃがな」
「それはむしろ好都合なんだ。
その間隔って魔操核の性能で変化したりするのか?」
「いや、どれを使っても同じじゃよ」
いくつかの見本にタイマー関数のように使っている記述があったので確認してみたが、今からやろうとしている対策には非常に有効な仕様だった。
「何か思いついたの、ゼンジ」
「あぁ、俺の想定どおりなら回転速度を無段階に制御できる」
「何じゃそれは、そんな事が可能なのか!?」
「魔法を連続起動するんじゃなく、間隔を開けて起動するんだ。
例えば動かす時間と止める時間を均等に与えてやれば、回転速度は半分近くまで落ちる」
慣性の力や縫う時の抵抗もあるので完全な制御は難しいが、ミシンにそこまでの精度は必要ない。軸を回転させる方法だと慣性力が小さく動きがぎこちなくなると思うが、リリの作った魔操器は車輪のような構造になっているので問題ないはずだ。
「凄いよゼンジ、魔法をそんな使い方するなんて考えたこと無かった」
「これは軸を回転させる従来の魔操器だと無理かもしれないが、リリの作った回転方法だから可能なんだ」
「……ゼンジさんすごいです」
「……それに新しい回転方法を編み出したリリお姉ちゃんも」
「これはひと針ごとに止められないかって言った、ニーナとホーリの言葉で思いついたんだ」
「ありがとうニーナ、ホーリ、ボクすごく嬉しいよ」
リリはニーナとホーリの2人に抱きつき、頬を擦り寄せながら喜んでいる。
「……リリお姉ちゃん、ちょっとくすぐったいよ」
「……でも私たちが役に立てたなら嬉しい」
「これだけの人数で考えると、思わぬ手がかりが見つかるもんじゃな」
「やっぱり、みんなで入るお風呂は最高だな」
「リリお姉ちゃんの喜ぶ顔が見られてよかったね」
「お湯の中なのに、しっぽがあんなに揺れてるよ」
「昨日はわたくし達でしたが、今日はニーナちゃんとホーリちゃんにべったりですわね」
「妹に甘える姉は、とても素晴らしいものですわ」
「この様子だと、明日は心おきなくお買い物が楽しめそうね」
明日は新しく家族になった3人の服を買いに行こうと休みをもらっていたが、この段階で開発の道筋が見えてきたのは僥倖だ。今日の動作試験で想定どおりの結果が出なかった場合に、時間をかけて解決策を練るための休みでもあったが、これで見本のコーディングに十分時間を掛けることが出来る。
「今日はボクがニーナとホーリの背中を洗ってあげるね」
「……うん、お願いします」
「……私たちもお姉ちゃんの背中としっぽを洗ってあげる」
「ありがとう、よろしくね」
3人は湯船から出ると洗い場の椅子に座って、お互いの背中や頭を洗い始める。楽しそうな声が独特のエコーを伴って響き、浴室全体がいつもより明るい雰囲気に包まれていた。
―――――・―――――・―――――
翌日、服飾雑貨の店までみんなで歩いているが、今日もリリはニーナとホーリと腕を組んで楽しそうにしている。リリのほうが少し身長が低いので、こうしていると完全に姉と妹が逆に見えてしまうが、昨夜はブラッシングを受けながら2人を膝枕して、愛おしそうにその頭を撫でていた時は、しっかりとお姉さんをしていた。
「昨日はリリお姉ちゃんに膝枕してもらったけど、気持ちよかったね」
「ああしてるとお姉ちゃんの方が妹に見えるのに、膝枕の時は別だったよね」
「普段の元気な話し方と違って、優しく語りかけてくれるからでしょうか」
「不思議と母性を感じてしまいましたわ」
「チサもそうだけど、古い血が濃く出てる人は不思議な魅力があるよな」
同じ様に膝枕してもらった他の双子たちも、その時の事を思い出して少しうっとりとした表情になっている。妹のように無邪気に甘えてくる姿は可愛いのに、膝枕をして慈しむように頭を撫でてもらうと印象が一変するからだ。
「……今度はチサさんにも膝枕やって欲しい」
「……きっと同じ様に落ち着ける気がする」
「ボクもチサにお願いしてみようかな」
「ワシに甘えても良いことなど無いぞ」
「そんな事はないと思うぞ、俺ももっとチサに甘えてみたいし」
「お前はワシに甘え過ぎじゃ!
今もこうして手を繋いでやっとるのに、これ以上依存するでないわ」
「私もチサさんに膝枕やって欲しいわ」
「ハルはゼンジに影響されすぎじゃな、申し合わせたように手を繋ぎたいなどと言い出しおって、似た者夫婦にも程があるぞ」
善司とハルの二人と手を繋いでいるチサは、家を出て歩き始めてすぐ、二人同時に手を繋ぎたいと言われた事を思い出し呆れ顔になった。
「おや、ゼンジ様ではありませんか、おはようございます」
「おはようございます、セルージオさん」
家族で和気あいあいと通りを歩いていると、横道から奴隷商のセルージオが出てきた。今日もパリッとした黒いモーニングコートを着こなしていて、その姿を見たニーナとホーリが近づいていく。
「「……お久しぶりです、セルージオさん」」
「おはようございます、ニーナさん、ホーリさん。
幸せに暮らしていらっしゃるようで何よりです」
「……毎日楽しくてすごく幸せです」
「……妹や姉もたくさんできました」
「ねぇ、この人はニーナとホーリの知り合い?」
少し後ろの方に居たリリが、ニーナとホーリが親しそうに話しているのを見て、二人の間から顔を覗かせる。
「初めまして、私はこの街で奴隷商を営んでおりますセルージオと申します」
「……私たちとゼンジさんを引き合わせてくれた人」
「……この人のおかげで、今の幸せを手に入れたの」
「そうだったんだ……
ボクの名前はリィラルリィと言います、リリって呼んでください」
「リリ様ですね、畏まりました。
確かティーヴァの街でご活躍とお聞きしておりますが、こうしてゼンジ様たちとご一緒という事は、移住されたという噂は本当だったのですね」
「この街に引っ越すって決めたばかりなのに、良く知ってるね」
「奴隷商は独自の情報網を持っとるからな」
「チサ様でらっしゃいますね、お噂はかねがねお伺いしております」
「どんな噂かは大体想像できるが、今はこの家族たちと生活しておるから、妙な詮索はするでないぞ」
「それは心得ております、チサ様。
ゼンジ様にご迷惑をおかけするような事は、決していたしませんので」
セルージオはチサに恭しく頭を下げながら、そう答えを返してくれた。それを聞いて満足したチサは、善司とハルの間に戻り再び手を繋ぎ直す。
「リリ様は北部のご出身でいらっしゃいましたね」
「うん、そうだよ」
「ゼンジ様とご一緒でしたら心配は無用だと存じますが、何かお困りの際は私共にもご相談下さい」
「……えっと、ありがとう」
リリは少し不思議な顔をしたが、こうして話していても悪い人ではないと感じたので、お礼を言って再びニーナとホーリの腕を抱くように隣に並ぶ。
その後はハルやイールとロール、それに南国から来たヘルカとトルカの紹介もして少しだけ話しをしたが、やはりフンドラ公国で政権交代があった事は知っていた。そして、この街に来て善司たちと出会えて、一緒に暮らす事を喜んでくれた。
奴隷商で把握している限り、フンドラ公国に双子はヘルカとトルカしか居なかったので、2人がこうして亡命してくれば、双子排除政策の犠牲になる人物は現時点で存在しなくなると教えてくれたのは、さすが奴隷商の情報網と言ったところだろう。
◇◆◇
善司たちと別れ通りを歩くセルージオは、街の噂を自分の目で確かめ、やはり心配の必要は無いと確証を得た。
決して良い噂だけではなかったチサが、ああして善司たちに自ら寄り沿い、家族の心配までしていた。魔操関係者の話を聞く限り、あれほど他者に心を寄せるなど考えられず、自分以外の人間が近くに居る事を容認する人物ではなかったはずだ。
そして先日この街に移住を決めたリリも、若くて優秀な魔操器職人という噂はあったが、あまり表舞台には姿を見せず、正確な容姿すら謎に包まれていた。もちろん、その理由が獣人の先祖返りであると把握していたので、無用なトラブルを避ける為という理由は知っている。そんな彼女が、あの様に笑顔を浮かべながら通りを歩いているというのは、驚くべき事だ。
南国で発生した政権交代の波に飲まれ亡命してきたヘルカとトルカ、自分の商会から善司の元へ嫁いでいったニーナとホーリ、そしてこの街の最底辺で生活していたイールとロールにその母親のハル。
そんな人々が1人の男の元に集まり、全員が仲良く幸せそうにしている。
(やはりゼンジ様は素晴らしい方だ)
それほど多様な事情を持った人たちが集まって、何か問題や困り事が起きてないかと娘が心配するので様子を見に来たが、ただの杞憂に終わった事にセルージオは胸を撫で下ろした。商会では上司と部下という立場があり厳しくしているが、プライベートでは娘の頼みを断れない甘い父親だった。
この世界にはステッピングモーターというものは存在しません。
そもそもモーターの無い世界なので(笑)
自動ドア等の駆動部分は、全て魔法で実現してます。